※英語版に基づきます。日本語版の訳語は知りませんので、置き換えてください。

〔関連書籍〕北海・バルト海の商業世界

北海・バルト海周辺の商業国家の盛衰を解説。
ハンザ、デンマークスウェーデンのプレイ時にオススメ。

 

北海・バルト海の商業世界

北海・バルト海の商業世界

  • 発売日: 2015/05/22
  • メディア: 単行本
 

第Ⅰ章 中世のバルト海・ロシア交易 ~ハンザとノヴゴロドの商館交易

ハンザの4大商館(ノヴゴロド、ベルゲン、ブルッヘ、ロンドン)のうち、ロシア方面の拠点であったノヴゴロドでの商館交易について解説。

ハンザは毛皮(リス)と蜜蠟を仕入れ、フランドル産毛織物、塩、塩漬けニシン、酒類、ドイツ銀、非鉄金属(銅・錫・鉛)などを売っていた。

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ということで見てのとおり毛皮だらけなのです。

当初はノヴゴロドがハンザに押されてゴトランドなど海外拠点を失って本土に追いやられ、ハンザに有利な商館交易が行われていたが、ノヴゴロド商人がリーフラント(ハンザの一部だがリューベックの言いなりではない)に進出してハンザ商人、オランダ商人と取引すると衰退したといった話。

第Ⅱ章 中世後期・近世のドイツの商業と北海・バルト海

 「海のドイツ」代表として盟主リューベックハンブルク、「陸のドイツ」代表としてケルンを取り上げて解説。

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当初はユトランド半島北端海域が海の難所だったため、バルト海がわ窓口のリューベックと北海がわ窓口のハンブルクの間を内陸路で取引していたが、オランダがエーアソン海峡越しに直接バルト海沿岸と取引を始めたことで衰退したといった話。

オランダは食料(穀物)、建築・造船資材の木材などのバルク品を海路でバルト海南岸から仕入れた。

ケルンはハンザ都市だったがロンドンにリューベックより先に進出するなど、イングランドとの関係が強く、ハンザ・イングランド戦争ではハンザの決定を無視してイングランドとの貿易を継続した位の関係だった。

ケルンにとっては、イングランド、低地地方との関係の方が重要だったといった話。

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ということでケルンはラインラント交易圏なのです。

第Ⅲ章 ハンザ都市の商業構造

リューネブルクの塩、ハンブルクの主要産業だったビール醸造などを取り上げて商業構造を分析。

第Ⅳ章 交渉するヴァイキング商人 ~10世紀における(略)

10世紀の話なのでEUではなくCKの時代の話(略)

第Ⅴ章 中世アイスランドの商業 ~羊毛布と女性

14世紀以降、キリスト教徒の断食日用の食物として、干し魚の需要が急増したため、当初は羊毛布(ヴァズマール)が主な産品だったが干し魚に切り替わったといった話。

アイスランドには木材がなくて船が作れないので、当初は訪れるノルウェー商人(ベルゲン)を経由して取引していたが、近場のイングランドハンブルクと推移した。

第Ⅵ章 中世ノルウェーの商業と経済 ~北方のタラ、ハンザ商館、そして黒死病

ノルウェーの取引はベルゲンに規制されており、ノルウェー北部からは干しダラを仕入れ、南からの様々な商品と交換した。ノルウェー北部では干しダラで徴税。

第Ⅶ章 フランドルとハンザ、そしてフランスとハンザ ~ブルッヘの浮沈をめぐる一つの物語

低地地方、フランス方面でのハンザ商人の活動について。

リューネブルク塩(煮詰める)より圧倒的に低価格のベイ塩(天日干し)の取引でラ・ロシェルあたりまでは進出したが、カスティリャと揉めて特権的取引は厳しかったなど。

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ということでリューネブルクといえば塩。生産量は0.21。

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ということでポワトー(フランス)も塩。生産量は0.31。

第Ⅷ章 中世ハンザ商人の世界 ~リューベックを中心に

デンマークとの戦争に負けて処刑されたヴィッテンボルグが遺した取引記録からハンザ商人に一生を描き出す。

第Ⅸ章 近世スウェーデンの都市計画と商業政策 ~グスタヴ・アドルフとストックホルムの首都化構想

近世スウェーデンで推進された都市計画について。

デンマークに北海への出口をブロックされていた建国当時のスウェーデンにとって唯一の北海がわ窓口だった要塞都市ヨーデボリへのこだわりが面白い。

第Ⅹ章 知られざる海洋帝国の姿 ~近世デンマークの海峡支配と国際商業

オランダ、イギリスなどの大国に押されて影が薄かったデンマークが、大国が戦争している最中に中立国として勢力を伸ばし、しかり貿易会社も17社も作ってカリブ海や中国方面にもしっかり進出していましたといった話。

大国に敗れ去れるまでのデンマーク最盛期の版図を示す図:バルト海の玄関口を支配するデンマークあり。エーアソン海峡での通行税徴収はボロ儲けだったらしい。

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ということでヨーデボリはスウェーデン領として唯一リューベック交易圏なのです。
要塞は建っておりませんが。

第Ⅺ章 中世後期から近世における陸上交易の発展と北海・バルト海の世界

ライプツィヒ、ベルリン、ニュルンベルクドレスデンなど南ドイツ寄りの交易の話。

ドレスデンエルベ川下流に向けては(バルト海・北海で仕入れた)穀物や木材、金属、麻織物、ボヘミア・ガラス、上流に向けては塩や魚を取引

など

第Ⅻ章 近世のイギリスと北海・バルト海・大西洋の商業関係

第13章 近世オランダのバルト海貿易

イギリスは大西洋がメイン、オランダは当初はバルト海のちにはアジアがメインだが、バルト海方面の交易について詳しい。