ポルトガルAAR イベリアン・アップデートはカスティリャと仲良く(その1)
標準セットアップ
顧問 Advisor は、なかなか良い顔ぶれ
序盤のスパイ頭領 Spymaster は、けっこう助かるんだよね。
1444年12月、メーヌ割譲でイングランド暴発
スコットランドに1州確保したものの、大陸側ではフランスにアキテーヌ地方を割譲させられて終わった。
1446年12月、グラナダに僭称者発生
ま た 君 か 。
叛乱軍の戦力は 9,000 で、政府軍は 6,000 と逆転していたが、戦乱は広がることもなく叛乱軍はいつの間にか消えていた。
その後、グラナダの後継者をチェックするとユスフがそこに居た。
これは不穏による叛乱ではなく、イベントなのかもしれないな・・・
1448年6月、カスティリャがグラナダに宣戦布告
カスティリャは1448年2月に停戦切れとなり、4カ月後に宣戦布告した。
今回のパッチからマラガ Malaga に要塞が設置されたので、1年後にポルトガルが参戦すればジブラルタルだけは奪えるだろう。
1449年2月、ポルトガルもグラナダに宣戦布告
セウタからイベリア半島に攻め込むという、ポルトガルにしかできない離れ業でジブラルタルを確保した。
カスティリャがグラナダにかかり切りになっている間に、チュニスのライバルであるトレムセンに通行権をもらってチュニス西端に上陸。
チュニスは序盤から暴れまわっており、ジェリドをすでに併合済み。
さらにフェザーン・トゥーグラと開戦していたが、グラナダとの同盟のせいで、カスティリャ・ポルトガルとも戦争になっており、いわば3面戦争となっている。
統計画面を見ると兵力は19,000となっており、中々油断ならない戦力だったが、フェザーンの攻城に 8,000 を割いていたので、残り 11,000 を全力で潰しにいった。
緒戦で 11,000 を追撃の連続で片付けたが、続々と傭兵を出してきて、攻城戦が終わった 8,000 と合流されてしまった。その結果、野戦で敗れてカビリャまで撤退させられた。
両軍ともに全軍を再集結させ、首都チュニスの近辺にて関ケ原の戦い。
甚大な損害を被りながらも、何とか勝利した。
首都チュニス、ケフ要塞を陥落させたあたりで、元ジェリド領に叛乱軍 10,000 が湧いたので、勝利点は 100% に出来なかったが、チュニス・グラナダと和平することにした。
カスティリャ軍は後からのこのことやってきたが、まったく戦おうとしない。
1452年2月、チュニス・グラナダと和平
残念ながらグラナダ4州のうち3州はカスティリャのものになったが、ジブラルタルは確保した。チュニスからは橋頭堡として、いつもどおりアンナバを確保の上、カビリャを独立させた。
チュニスをズタズタにしたので、トゥーグラとの戦争は1ダカットで手打ちになっていた。トゥーグラの同盟国だったフェザーンだけが滅亡の憂き目を見るという非情…
北アフリカの外交情勢は以下のとおり。
カビリャにトレムセンが攻めかかってくれれば、これに反撃する形で参戦するのが一番よさそうだが、目論見どおりになるとは限らない。
モロッコへの宣戦布告は、土地を与えるならカスティリャは参戦するといっているので、これが次善だろうか。
アンナバを確保したので、アラゴンにも領有権主張が付けられるようになったので、いちおう付けてはおく。スパイ頭領 Spymaster のおかげで進捗が速くて助かる。
ので、しばらく国力涵養(待ち)にしておくとしよう。
フランスが財政破綻で、ラブールをカスティリャに譲渡
メーヌ割譲を巡るイングランドとの戦争の後、ブルゴーニュのプロバンス攻めに巻き込まれたフランス。資金難に陥ったらしく、イングランドから奪ったラブールを手放すはめになっていた。
ラッキーイベントが連発
モロッコ戦を控えて、セウタの要塞強化は嬉しい。防御 +40%になった。
交易力強化。毎月の収入が4を超えた。
1454年10月、スース独立戦争
そしてさらに・・・キター !
モロッコの属国は全てスースがわに付いたようだ。素晴らしい!
これだけ味方がいれば、陸戦危うからず。
モロッコ軍も引き際を弁えているようで、比較的小さな損害で離脱した。
フェズ側に退却していく。
さらに幸運が続く。教皇庁支配者に就任
リスボン出身の枢機卿のロビー活動が成功したようだ。
わずかに 33%の確率だったが当選した。
陸戦も同盟軍が大活躍
チュニス戦で騎兵戦闘幅強化 Born to the Saddleを付けたアブランシュ伯率いる騎兵が、両翼からモロッコ軍をガンガン削る。
※ちなみに騎兵は4個連隊しかないので、幅は何にも関係ない。
同盟軍が参加しているおかげで、陸軍伝統がガッツリもらえた。
攻城戦も同盟軍が大活躍
攻城戦 +1 の将軍が率いる 100名ほどのポルトガル軍と、6,000名のスース陸軍がタンジールを陥落させた。
周りも賑やかになってきた。
プロバンスの破門は取り消しておいてあげたのだが、教皇領 The Papal State は通常の領有権主張で開戦したもよう。
プロバンスがわの同盟国はロレーヌ、ザクセンで、大したことはない。さきほど破門を取り消してあげたので、ポルトガルとプロバンスの関係は 75 になっている。
トゥーグラについても、チュニスとの戦争のさいに1州、奪回してあげたので関係は良好。この戦争が終わったら、どちらかに介入したい。
いっぽう、先の戦争で疲弊したチュニスは、いまだにジェリド分離主義者を討伐できていない。スパイ網が余っており、支援費用も 15 と格安だったので、支援することにした。
しかし、この直後に数に劣るチュニス軍に戦闘で敗れさった。損した・・・
1457年9月、カスティリャ継承戦争
人的資源がないため、アフォンソ5世の甥の援助は断った。
モロッコ降伏
タンジールに続いてフェズも陥落させた後、戦場はトレムセン領内へと移った。
独立戦争の盟主はスースなのでモロッコと手打ちされてしまうリスクは残っているが、現時点では戦勝点が少ないので、トレムセンの首都か要塞を落としたら和平する方針で賭けに出ることにした。
トレムセン陸軍は単独で東部のアンナバ(ポルトガル領の飛び地)方面へと遠征していたので、その隙に西部と南部の州を抑えた。
ダーラ要塞に攻城戦を仕掛けると、トレムセン陸軍が大返ししてきたので迎え撃った。
敵に倍する兵数を頼みに、陸軍維持費を下げていたのが祟り、陸戦に破れてアンナバまで退却行の憂き目にあった。
アンナバまで追いかけてきたので輸送船で西部に全軍再配置をかけた。
トレムセン陸軍が再び大返ししてくる前に、首都を陥とすことができた。
これで戦勝点99%になったので、即日モロッコと単独和平。
の要求で和平した。
まとめて4州も奪ったので、モロッコ分離主義者の不穏 unrest は一気に上がり、1年ちょっとで総兵力16,000の反乱が勃発する見込みとのこと。
しかし現在、800以上の資金があるので、傭兵でも雇って戦力補充すれば何とか鎮圧できるだろう。
その後のモロッコ(2年後)
ポルトガルの占領地が一挙に解放されたので、再びモロッコ陸軍の再建が始まった。
しかしスース、タフィラルト、マレケシュの交互に殴られ、さらに僭称者の反乱まで勃発。
ついに力尽き、モロッコはスース、マラケシュ、タフィラルトの独立を認めた。
戦争がおわると、さっさとスース、タフィラルト、マラケシュの同盟は破棄されて仇同士となった。
1458年12月、トゥーグラ救済
ムザベに攻め込まれ、さらにカビリャからも追い打ちをかけられたトゥーグラの首都は陥落寸前。
関係改善だと時間的に間に合わないので、同盟をして一気に100以上にした。
しかし参戦を誘ってくれないので、和平強要でムリヤリ参戦した。
ポルトガルの参戦によって戦勝点が低下したせいか、トゥーグラの首都が陥落しても和平・併合は起こらず、戦争は続くこととなった。
トレムセン攻略を終えた全軍をアンナバに一旦終結させ、その後、ムザベに向かわせて全土を占領した。
ムザベは、和平する価値もないほど何もなかったので、トゥーグラが全体和平するまで待ち、好意 favor を40 稼いだ。
だいぶ先だが、チュニス、トレムセン、カビリャとの戦争では役に立ってもらおう。
なおムサベはその後、カビリャに併合された。
教皇領 The Papal State、なぜかプロバンス Provence と引き分ける
そしてプロバンスは破産した。
1459年1月、1つめのアイデア、探検 exploration を選択
行政君主力が貯まったので、探検アイデアグループを選択した。
最新のパッチでは、1つめのアイデアが新世界の探索、2つめが植民者に入れ替わっている。
もっとも、この2つはいつもまとめて取得していたので、特に支障はない。
さっそくカーボ・ベルデへの植民と、ジョロフへのスパイ網構築を始める。
国王アフォンソ5世、若くして逝去
ムザベとの戦争で、国王アフォンソ5世が行軍中に逝去。
無能な嫁さん 1-0-1 が摂政となった。王子は 5-0-6 であり前途有望?だが、まだ3歳なので先は長い。
安定度が3から2に低下したが、さきほど行政君主力を使い切ったところなので、すぐに上げることができない。
1462年、国力涵養の後、マラケシュ攻略
ヨーロッパ大陸では幾つか戦争が起きていたが、
なので、介入に向けた関係改善は進めつつも、参戦については見送った。
そうこうしているうちに、モロッコ分離主義者の大反乱(16,000名)がガルブで勃発した。反乱勃発 90% になった時点から陸軍維持費を上げ、さらに陸軍上限を超えて傭兵を雇ったので、力づくで鎮圧できた。
反乱鎮圧のさいの補充で、人的資源はゼロになったが、さっかく士気も最大になったw ので、マラケシュ攻略を行うことにした。敵方の同盟国はタフィラルト。
当方の同盟国はスースだが、独立戦争で単独和平したために好意が貯まっておらず、参戦はしない。しかし通行許可をもらうことで、陸軍の上陸時間が大幅に短縮されるというメリットはしっかり享受できるのがうれしい。
途中でフランスがイングランドへ攻め込む
助けない場合、威信 -25、外交評判 -1 とのこと。
この時点で5年くらい薔薇戦争が続いているが、いまだに鎮圧できていないので、参戦した場合、フランス軍はポルトガルのほうに来るに違いない。
この後も延々と内戦は続き、終結までに10年かかったようだ。
難なく、大西洋岸の2州を割譲させる
タフィラルトを屈服させた後、マラケシュを攻略。無難にこなす。
そろそろイタリアかアラゴンあたりに行ってみようか…
停戦期間のため、北アフリカでやれることはなくなった。
- 西アフリカ(ジョロフ)に行く
- イタリア・アラゴンにちょっかいを出す
- 何もしない(国力涵養)
の3択だが、せっかく大叛乱の鎮圧直後で不穏がゼロになっているので、どこかに遠征でもしたい気分だ。
関係諸方面の情勢をチェックしてみる。
- 欧州本土では、ブルゴーニュと属国たち一派と、リェージュ・神聖ローマ帝国・カスティリャが大戦争中。
- ミラノがスイスと戦争中。介入に向けてスイスとは関係改善実施中だが、まだ60くらい。
しかし、まだ影の王国 Shadow Kingdom は起きておらず、イタリア北部は神聖ローマ帝国領のまま。いま土地を奪っても返還要求されるのが関の山で、賠償金しか期待できない。
- カーボ・ベルデへの植民は400名を超えたところ。
いまジョロフを攻略しても、中核化範囲外のため、領土は要求できない。 - アラゴンには4州ほど領有権主張が付けてあり、宣戦布告は可能。
ブルゴーニュ戦争中のカスティリャも、条件次第で参戦OKらしい。
どれも決め手に欠ける。とりあえず以下のように考えた。
- カスティリャとオーストリアが参戦しているので、ブルゴーニュ戦争への介入はありかと…新たにリェージュとの関係改善を開始
- スイス戦争は、双方疲れ切ったところでの参戦はありかと…スイスとの関係改善を継続
- マラケシュ戦のさいに雇った移動5のコンキスタドールで、ジョロフ・マリあたりを事前偵察
陸軍を再編成して、完全編成 (1,000名)の連隊全てをマリに上陸させた。
階級イベントで商人の影響 influence が100 に
悪名高き階級イベント Social Mobility が発動した。
現在 89.4 なので、99.4 になるはずだと思っていたのだが、なぜか 100 になった。
もっとも、翌年には 影響が低下することは分かっていたので、別段危険はない。
顧問の給料 Advisor Costs が -15% となるので、さらにお金に余裕ができた。
待望の新君主が即位
外交ゼロなのは残念だが、行政・軍事だけで合計 11 もあるので、決して悪くはない。
1463年12月、アラゴンがカスティリャへ宣戦布告
主力のほとんどはマリ Mali やマーシナ Macina を偵察しており、モロッコに3千ちょっとを残すのみ。
戻るのに時間はかかりそうだが、カスティリャが壁となっているので要塞は予備役のままにしておく。
もちろんカスティリャの応援に回る。
1465年6月、ブルゴーニュ公頓死
ブルゴーニュとの戦争が終わらないせいで、カスティリャ本土はアラゴンのやりたい放題となっている。
しかしブルゴーニュ公が頓死してネーデルラントがカスティリャの
手に入ったおかげで、戦局は不利になっていない。
1465年7月、教皇領がプロバンスをハイエナ
ブルゴーニュ公、ブルターニュ公、サヴォイに領土を削られ、ロレーヌには背かれて、もはやアビニョンしか残っていない。そこへハイエナ。
1465年8月、スースがタフィラルトを攻める模様
ポルトガルとの同盟は大分前に切られているので誘われもしない。
ほぼ互角同士なので、その後、数年間にわたって泥沼化した。
1467年2月、チュニスがカビリャを攻める模様
チュニスに張り巡らされたスパイ網が不穏な動きをつかんだ。
すまん、アラゴン戦で苦戦していて、守ってやれんのだ。
1466年12月、アラゴンの同盟国ラグーザが脱落
ポルトガルの活躍でラグーザの首都は陥落。
しかしナポリには、フィレンツェ、ナポリが集まってきており全然落ち着かない。
イベリア半島はさらにひどい状況。アラゴンに叛乱軍が湧いたが、まったく戦局には影響せず。
1467年12月、カスティリャが勝負を投げてしまった。
邪魔だったフィレンツェ、ナポリ陸軍をシチリア半島に閉じ込めて、ナポリを攻略していたのだが、陥落する前にカスティリャが勝負を投げてしまった。人的資源も払底、ポルトガルが得たものは何もない。
しかし戦後すぐにカスティリャにイベリアン・ウェディングが起きて、アラゴンと同君連合になっていた。得をしたのはカスティリャだけかよ!
やっと、後継者が生まれた。
特性 infertile が付いているので、中々後継者が出てこなかった。
1469年、泥沼化しているスース・タフィラルト戦争に介入
といっても普通にスースを攻めるだけ。敵方の同盟国はトレムセンだが、大した戦力でもないので巻き込む。
スースの占領は易々と終わった。
スース、タフィラルトともにお互いの首都を占領している状態。
スースの残りを占領した後、トレムセンに向かう。
1971年7月、ジェリド叛乱支援が奏功するも無駄に終わる
数年前にジェリド叛乱軍を支援していたのが、いまごろ発動した。
しかしポルトガルは現在多忙なため、介入できない。
1971年10月、チュニスがトレムセンにハイエナ
トレムセンはともかく、モロッコはそこそこの戦力を持っているので、いい感じに泥沼化しそうだ。
この後、ダーラ要塞、屈辱(トレムセンはライバルだった)、賠償金でトレムセンと和平。スースについてはタフィラルトの領土奪回を狙って属国にした。
1972年12月、時代の特典2つめを獲得
不穏 -5 と迷うところはあったが、とりあえず植民押しで続行する。
1477年4月、カスティリャ・アラゴン地中海を渡る
属国にしたスース Sus の中核州奪回を口実に、モロッコを攻めていたところ、カスティリャ・アラゴンが突如トレムセンへの攻勢を開始した。
何て酷い仕打ちであることか。3,000しか陸軍のない国に5万以上の大軍が群がる。
しかし、不思議なことに、カスティリャ・アラゴンは賠償金だけせしめただけで、領土は一切奪わなかった。なんじゃそりゃ。
1478年8月、タフィラルトとチュニスを殴る
属国にしたスース Sus の中核州奪回を口実に、タフィラルトに宣戦布告。しかし真の目標は無防備な同盟国のモロッコであることはいうまでもない。
首都チュニスに居る陸軍主力がどこに逃げようと、補足するためのプロットは下記AARのとおり。
アンナバ Annaba を発した後、無防備なケフ Kef にまず入るのは共通だが、その後、
の3つ軍の移動プロットを予め用意しておき、ケフ侵入時に敵を発見したら、会敵する方向に向かっている軍に、他の方向の軍の連隊を移動させる。
多くの場合、南方に逃げようとするのでスファックス Sfax での会戦となることが多いようだ。
将の器にはだいぶ差があったようだが、国王が軍事6のため、陸軍技術がだいぶ上回っていたためだと思われる。
首都チュニスで農民叛乱2万4千が湧いたため、全土占領はできなかったが、
をせしめて和平した。
タフィラルトからは、スース中核州全てを奪回した。モロッコの叛乱発生が90%になっているので、ポルトガルも領有権主張を持っているアガディール Agadir もスースにお譲りした。
1480年9月、タフィラルトがモロッコを殴る
一瞬わが目を疑った。
確かに、さきほどまで10,000の陸軍をもっていたが、今は6,000しかいないでしょ?
それでフェズを落とせるわけないでしょ?
しかも、まだイベリア半島から戻ってすらいないでしょ?
まあ、とりあえず好きなようにさせとく。
1481年、時代の特典3つめ
ありあまる軍事君主点でリスボンを開発 development 30以上に強化したため、早くも特典3つ目に到達した。さしあたり、不穏は落ち着いているので、従属国移転 Transfer Subject を選ぶ。
属国移転はともかくとして、領有権主張の連鎖が作れるので、ジョロフ、マリ攻略などには役に立つだろう。
ゲーム起動したら、Cradle of Civilization の全面広告
6月10日まで限定の無償トライアルとのこと。
セーブファイル互換なら考えてもいいが、きっとそんなことはないだろう。無視。
やることないから、西アフリカ行くか。
カスティリャ、アラゴンが分裂でもしない限り、どこにも行けない。
新大陸はセビリャ交易圏に繋がってなかったし…
そうだ西アフリカ行こう(マンネリ)。
先ほど取った Transfer Subject の効果で、内陸の州にも領有権主張が付けられるようになったので。
その2に続く