ポルトガルAAR イベリアン・アップデートはカスティリャと仲良く(その7)
ここまでのあらすじ
絶対主義の時代 Age of Absolutismに突入
宗教改革の時代 Age of Reformation は全ての特典をコンプして終了。
世界貿易から10年経ち、ついに絶対主義の時代 Age of Absolutismに突入した。
- 交易会社の条件はすでに達成済み。
- 絶対主義は当然ゼロだが、和平のタイミングで一気に上げるつもり。
- 複数文化は取れば多分達成できる。
1611年、ポルトガルの現況
スペインとは一触即発の対立状態
トルデシリャス違反に激おこのスペインとは一触即発の対立状態のままだが、両国ともアジア・アフリカの権益分割に精を出しており、お互いにライバル指定すらもしていない。
包囲網形成の危機
包囲網を形成されないよう、停戦明けたら即・宣戦を徹底していたがモレがあったらしく、危うくソンゲーに包囲網を組まれそうになった。
2国めが参加する前に宣戦布告し、その場としては事なきを得たが、停戦期間外の激おこ国家がソンゲー含めて4か国以上存在してた状態になっていたということなので、よほど注意しないと、本格的に包囲網を組まれるのも時間の問題だといえる。
・・・と思ったら、マラッカが包囲網を形成し始めた。
過去に痛い目にあっているので、とにかく小さいうちに潰す。
激おこ(稲妻レベル)
- ヨーロッパでは、ライバルのフランス(ブルターニュを属国化)、ライバルのオスマン、スペイン(トルデシリャス違反)
- アフリカではティンブクトゥ(自分の属国なのだが…)、ソンゲー(残り1州)
- アジアではブルネイ、マサッカル(いずれも戦争中)、パサイ(さっき戦争した)
属国は5つもある
外交枠は5だが、属国が5つもあるため外交関係は7となっており超過している。
- このうち10年経過しているマリ(アフリカ)
- あと3年で外交併合可能となるオパタ(新大陸)
などは、早く併合して外交枠を空けて同盟国を増やしたいところ。
ティンブクトゥは、もう返還すべき中核州もないので、永久に無理かもしれない。そのうち戦争に負けたさいの代償に差し出すか…
同盟国はオーストリア、サヴォイ
サヴォイはフランス攻めのつもりで同盟したが、いまやフランスとも同盟しており役立たず。オーストリアも中途半端な戦力になっているが、隣国ベネツィアヤハンガリーを攻めたときに攻撃的拡張が貯まり、敵に回ると嫌なので、同盟は維持しておく。
女帝は健在
女帝ジョアナは、うだつの上がらない婿をサヴォイアから迎えており、いまだ健在。先王の弟を廃嫡し、後継者に据えた息子アントニオもすでに成人しており安泰。
なお現在、アジアで大型船刈り取りキャンペーン中なので、初めて外交アドバイザーを海軍式上昇の奴にした。
アイデア ideas と制度 institution
以前に取った別のアイデアとかで、外交アイデアコストが低下しており、早くもコンプ寸前まで来ている。
制度は世界貿易だが、これは自動的に全州に伝播するようで、しばらく放置しておけばよいようだ。
リーダ leaders
移動6の提督は、さすがに引退したが、他の2名はまだ勤続している。
多分40年くらいになると思う。
陸軍の将軍は海軍の提督よりも入れ替わりが激しく、一人も残っていないので、かなり差がある印象だ。
小型船で大型船を狩れるという。
勤続40年のフェルナンド・デ・マガリャエス 6-3-1-1 は、海軍士気上げ大臣とセットにするとかなり強力なようで、小型船で大型船を圧倒できている。
この海戦では3隻を捕獲するという大戦果を挙げた。
諸身分 estates
ブルジョアとの取引を目一杯使った後、イベント選択を誤って影響100%にしてしまうという致命的なミスを犯したが、その後 Low Trade Income -5.0% のペナルティが付いたために助かった。
征服により、過剰拡大70%以上になったことが影響したのだろうか。
とにかく助かったが。
各地の情勢
- 西アフリカは、ティンブクトゥ以外には、1州しかない国が3つある
- 東南アジアは、目下、征服強化中。ポルトガル、スペイン、それらが乱した平和を衝いて地元のマラッカなどがハイエナをしており大荒れ。
- 明の天命は100に張り付いており、手が出しづらい。
開発300以上のアジアの国が隣接すれば、天命はみるみる低落するという話だったと思うが、今のところ、そういう事態にはなっていないようだ。
とりあえず、朝貢国になっていない国から抑えていき、じりじり切り崩すしかなかろう。
1611年、マカッサル・ブルネイ戦争
あまり注意を払わずに、マカッサルの同盟国全てを共戦国に指定したら4か国の参加となった。ブルネイ以外は雑魚なんだけど。
1614年、フランスが宣戦布告してきた。
領土奪還の普通の戦争なので、包囲網に加わっているオスマン参加しないし、別の戦争中のベネツィアも参戦しない。これなら何とかなるか。
両方に同盟していたサヴォイは防戦側のポルトガルに付いた。オーストリアは参戦せず、同盟は終わった。外交枠が1つ空いたので、オランダとの同盟にでも切り替えるつもりだ。まだ枠を2つも超過はしているけれど。
本土へ回航中、インド洋の小島に取り残されたスペイン陸軍の大軍を発見。
パサイ攻略軍のつもりらしい。早く行けよ。
ベネツィアがフランス側で途中参戦。
教皇領との別の戦争が終わったところで、ベネツィアも参戦してきた。
またダルマチアが完全封鎖されているが、今回は陸軍・海軍ともに引き払っているので、ダルマチア要塞のみでの持久戦となっている。
包囲網にマラッカ、スペインも加わってきた。
開戦後に加わってきたので、実質的にほとんど無害。
但し、終戦後はこの2国の包囲網が残るはずなので、ゾロゾロ他の国も加わってくると想定される。
本土のフランス軍はひどく消極的
5万近い陸軍がいるはずなのだが、なぜか攻城戦を妨害しに来なかった。
一体どうしたのか?と思っていたら、いつの間にか植民地でやりたい放題されていた。
あと3万ほど、所在不明になっていたが、意外なことにカレー付近に集結していた。
ヴァロワに入ったときには、実にヤバかった。
しかし、何故か襲ってこなかったので、ポルトガルとサヴォイは尻に帆かけて南方へ逃げ出した。
こちらが引き下がると、南方へと反攻してきた。
すぐには追ってこなかったフランス軍、こちらが退がったら追ってきた。
東方からはベネツィアの大軍が攻め寄せて来て、ノヴァラでポルトガル・サヴォイの連合軍と会戦となり、ほぼ同数だったが、負けてしまった。
フランス本土の攻城戦は進捗率64%、85%になっても陥落しないというダイス運の悪さに祟られており、いまいち進捗がよくない。
この後、自領のフィリニステレ要塞は奪回し、フランス側の要塞2つを陥落はさせたが、野戦でフランス軍に敗れてしまったため、残り2つの要塞攻略は間に合わないものと判断。
フランス・ブルターニュの海外植民地4つを貰って手打ちとした。
大英帝国の海軍が、セビリャ交易圏を荒らしている。
3分の1をもっていかれている。フランス海軍からも大型船を捕獲して10隻になったことだし、交易戦争でも仕掛けるか?
しかし向こうは移動5の提督なので、捕獲できないかもしれないので止めとく。
数年後にフランスで宗教内乱が起きた。
プロテスタント支持と出ているが、特にフランスで何か起きているようには見えない。
1618年、第二次スンダ戦争
前回の戦争で、スンダに中核州を大量に保有するパレンバンを属国にした。
その中核州を取り換えす建前で開戦。
マラッカに領有権主張を持つパタイを属国にし、中核州を大量にパレンバンに返還。スンダは残り2州になった。
絶対主義を上げるために自治度下げたら、叛乱リスク大幅増
とりあえず30までは上げた…もっと高自治度の州をくれ(*´Д`)
いちおう人文主義などが利いているので、見た目ほどには危険ではない。
まだ自治度を下げていない州であれば、叛乱鎮圧に失敗しても気にはならないし。
でもオランダと比べれば平和そのもの。
オランダには8万以上の叛乱軍が湧き、スペインは取り返す努力すらしなかったので、州と叛乱軍がオランダに併合された。
こんなに居ても仕方ないのでオランダは即刻、解体していたようだ。
ポルトガルに譲ってほしいくらいだわ。
明の海軍が現れ始めた。
特に戦争もないようだが、大規模な輸送船が南シナ海に現れ始めた。
漢字なので、すごく目立つ。
1624年、第二次オスマン戦争
オスマンがエチオピア攻略を始めて暫く経ったところで、同盟国フェザーンに宣戦布告。包囲網の切り崩しを図る。
エジプト方面には大軍がうろついている。
エジプト方面には、エチオピアに行軍中、もしくは戻ってきた大軍がいた。
偵察用の傭兵部隊を慌てて逃がす。
バルカン半島方面はもぬけの殻。
一方でバルカン半島方面は、まったくの無人。
順調に攻囲戦を消化してイスタンブールに再び迫る。
陸戦は勝ったが、海戦は散々な結果に。
陸軍輸送中に、うっかりオスマン海軍の主力に捉まってしまった。
離脱はできたが、折角貯めた大型船をまた2隻失った。オスマンに大型船の半数をやられたことになる。
なんだかんだで、ベネツィアとオスマンにはけっこうな数の海軍がやられてしまった。海軍上限の半分くらいしか船が無いし、探検が終わったため海軍伝統も60前後から伸びなくなったので、そろそろ造船でもするか…
そろそろ潮時と見て、和平する。
イスタンブールを落として、アナトリアに入った。
海岸沿いではないので、敵の陸軍の動きがよく見えないため危険度が高くなってきた。シリアの方には、叛乱鎮圧中ではあるが、かなりの大軍が居るようだ。
首都を陥として戦勝点もそこそこになったので、3州割譲で和平した。
クリミアを独立させる。
オスマン戦争の後モ、アジアで戦争を続けていたので、ちょっと後になってしまったが、クリミアを独立させた。
1626年、パサイ戦争
オスマン攻略中に、アジアに残した余りの軍勢でパサイの隣のどうでもいい国(スペインとほとんど同じような黄色だったので、しばらく国があることに気付いていなかった)を攻略していたが、その途中でパサイとの停戦が切れた。
オスマンからの帰還兵を輸送船で一気にアジアに送り込み、3州奪って和平した。
戦は大したことなかったが、過剰拡張90%超えとなったほか、不穏も高くて2年後にはとんでもない数の叛乱軍が湧いた。
4万近くの叛乱軍が湧くので、叛乱が発生する州には傭兵20個を置き、他には騎兵やら砲兵やらを待機させておいた。今にも発生しそうだったので、陸軍維持費も2段階くらいは上げた状態で待ち伏せ。
1628年、明がついに動く
いや、前から動いていたとは思うが見えなかったんで。
明はアユタヤ相手に朝貢要求の戦争を仕掛けているようだ。
弱気になったアユタヤに脅迫すれば、戦争しなくても州がもらえると分かったのだが、それでもあえて仕掛けるか…
20年に一度の大安売り
聖職 Clergy の影響力を嵩上げしていたイベントの効果があと数か月で切れるので、97%だった影響が100%になるように適当に土地を与えて微調整の上、行政君主力200を獲得した。
もっとも与える土地を捻出するために、中核化を行ったりしたので差し引きすると行政君主力150の場合と差はなくなってしまったのだが。
栄華 800 が貯まって、絶対主義 毎年 +1 を取得
後継者が建設コスト 1割引なので、世代交代したら大学を建てようと思っていたのだが、女帝は意外と長生きで 50歳だが現役。貿易会社3つ、陸軍200超えの2つで繁栄を貯めた。
1629年、明・オスマン・マラッカ戦争
マラッカは明の朝貢国で、オスマンとも同盟しているのだが、いつまでも放置しておくと再び包囲網作られるだけなので、こちらから先制することにした。
まず明に攻められて弱体化したアユタヤを脅迫して、1州もぎ取ってからマラッカに宣戦布告。いまだにエチオピアを攻略中のオスマン、明は当然参戦してきた。
オスマン、明ともに戦争を切り上げて、反攻を仕掛けてきている。
最初は3万弱の軍がポツポツと来ていたが、次第に数が増えて、いつの間にか10万越えの明軍が、このせまいマレー半島に密集する事態に。
砲兵を中東方面にしか配置していなかったため、マラッカの首都を陥落させることができないまま、明に圧倒されてしまう結果となった。そのかわり中東方面は、エチオピアから戻ってくる前にバルカン半島の要塞をいくつか落せたのだが。
1630年、戦果は不十分だがマラッカと和平。
戦勝点も10までしか使えず、ジョホール、パハンの2州を割譲させるにとどまった。
明とのガチバトルで陸軍の被害は過去最高。しかし海軍はマラッカから大型船3隻を捕獲して8隻まで盛り返すという大戦果だった。
1633年、周辺国から盗賊国家呼ばわり
戦争した覚えのないオイラト Oirat などからも嫌われた。
1634年、ハンガリー攻略
マダガスカル攻略を終えたスペインの要塞の守備兵がゼロになっていたので、ハンガリー攻略を開始した。教皇領・スペインを共戦国に指定した。
恐ろしくて海辺には近づけない。大型船29隻って…
トルデシリャス違反の植民地を全部割譲させる
スペインには、問題となっていたトルデシリャス違反の植民地を全部譲渡させた。
しかし、アジアで権益が衝突しているため、外交関係はマイナス200のままで改善しなかった。
皇太子死す
30代半ばの皇太子が突然死亡してしまった。女帝は58歳だが後継者は7歳なので、孫なのではないかと思う。しかし本人も亭主も成人までもつかどうか?
建設ボーナス付きの皇太子が死んでしまったので、大学とプランテーションを一気に建て始めた。
スペインで叛乱軍が跳梁跋扈
唯一、イベリア半島に居たが、フランシュ・コンテまで追放していたスペイン正規軍11個連隊が戻ってきたようだが、叛乱軍を鎮圧し損ねて瀕死の重傷。
よく全滅を免れたものだ。
1640年、コンゴ攻略
スペイン戦争でルッカが金で雇ったベネツィア陸軍2万とのガチンコで、厭戦気分が2.5にまで上がったため、2年以上、大人しく国力涵養(叛乱鎮圧含む)に努めていた。
その間にパレンバンの外交併合もやっと終了、過剰拡張もほぼゼロに戻った。
コンゴへのスパイ網が90%に達し、脅迫しても頑として領土を譲らなかったので、領有権主張を3つプラスした上で開戦することとした。
攻略中に栄華が800貯まり、行政効率+5%の特典を獲得した。
絶対主義は前回の特典で毎年1ずつ上がる他、アジアやらハンガリーやらの占領地の自治度をポチポチ上げるつましい努力によって67まで到達した。
1643年、アユタヤを妨害
再び明の朝貢国となっていたアユタヤが隣国へ侵攻。
直接の利害はないが明一味の勢力拡大は望ましくないため、和平強要で参戦して勢力を削ることにした。
陸戦は快勝
アユタヤ陸軍も思った以上に多かったが、明と比べれば大したことはない。
海軍は相打ちで全滅
アユタヤの大型船8隻の捕獲をもくろんだが、うまくいかず逆に虎の子の大型船3隻を撃破された。虎の子といっても、初期型キャラック Early Carrak だけど。
マラッカ交易圏からの収入のおかげで平時なら月に200ダカット稼げるようになり、資金も余っていることなので大量に建艦することにした。
欧州で大型船・アジアで小型船に分けて、ほぼ全土で建艦しているのだが、それでも沿海の州が足りないので2隻ずつ注文している。
アユタヤ停戦
昔に領有権主張を付けた1州と賠償金を確保した。
明の隣に友邦を得る
助けたシーポー Hsipaw からは大変感謝された。
明と事を構えることとなった場合、寄港権や通行権を気前よく与えてくれるだろう。
明に攻め込まれる可能性もあるので、明とシーポーの両国にメッセージ監視設定をしておく。
つづく