前回までのあらすじ
平凡な国王に交替
アラゴン Aragon 攻略の最中、ペドロ2世 Pedro II は逝き、新王フィリペ1世 Filipe I が即位した。
アラゴンをほぼ無力化、イタリア半島にも進出予定
アラゴン攻略はイングランド England の全面的な支援で成功裏に終わり、バレンシア Valencia、バルセロナ Barcelona などを奪取。ジェノバ交易圏 Genoa trade node での交易力は格段に高まった。
シエナ Siena、教皇領 The Papal State との戦争は継続中だが、勝利は時間の問題だろう。
資金は1000弱までは回復
肝心のカネだが、戦争続きだと兎角カネがかかるもので、賠償金 war reparations を相当もぎ取ったにもかかわらず、資金は相変わらず1000ダカットを下回っている。
しかしジェノバ交易圏 Genoa trade node の支配率が向上し、セビリャ Sevile に並ぶ収益源となってきた。毎月数ダカットの加算。
そろそろ南アフリカへ植民予定
サントメ Sao Tome への植民も終わり、希望岬へ届くようになったはずだ。
1494年、聖書の現地語訳 Bible Translated 発生
プロテスタント protestant を国境にするかどうかは別として、一旦バレンシア Valencia をプロテスタント州にしておいた。
改宗するにしてもタイミングを見誤ると叛乱祭りになるので、改宗中心地 center of reformation の発生数をよく観察しながらタイミングを検討することにした。
1495年、フランスを盟主とした包囲網 coalition が発足
包囲網に参加される前にチュニス Tunis、スース Sus に宣戦布告して、停戦期間外の激おこ国の数を減らした。
フランスがブルゴーニュと開戦した後、他国が抜けていき、包囲網は迅速に縮小されてフランスだけになった。
なおフランスの外交をよく見ると、カスティリャ Castile と同盟 alliance していた。いつの間に・・・
1495年、シエナを併合してイタリア半島への進出を果たした。
周辺国のどれにでも攻めこめる絶好の位置だ。
1496年、トレムセン・オスマンに宣戦布告
チュニス・スースとの戦が終盤になっており兵力が余っている。トレムセンも激おこ国なので、包囲網に参加される前に開戦した。
オスマン Ottomans はジェノバ Genoa を攻めており、すでにサルディーニャ島 Sardinia は占拠されている。
まあトレムセン全土を占領すれば、何らか和平はできるはずなのでオスマンは放置で構わないだろう。
フランスはついに自分自身で作った包囲網を取り下げたようだ。
1496年、マリ Mali で叛乱支援が奏功
奥地でモッシ分離主義者 Mossi Separtists が蜂起した。しかしマリとは停戦期間中 truce なので、偵察以外の役に立たない。
1497年、トレムセン全土を占領しても10%・・・
トレムセンの残り4州全てに領有権主張を付けており、全土を占領したのだが、オスマンのせいで戦勝点10%にしかならない。
ジェノバ・ルッカと戦争中のオスマンは、圧倒的な大軍を動員しているようだ。
オーストリアが同盟国なので丸見え。そのうち南下してシエナに来る気がする。
仕方ないので、あらゆる海軍戦力を集めてオスマン艦隊をイスタンブールに閉じ込めて海上封鎖の戦勝点を稼ぐ。
万が一、出港してきたらこちらもタダでは済まないのだが、敵は引き籠っているので気が変わらないうちに和平しておきたい。
戦勝点を10くらいは嵩上げできたので、何とかトレムセンの首都だけは奪取することができた。戦勝点21なのだが、17までしか認めてくれない。
1497年、ムザベ Mzab を攻めてトレムセンを再度攻略
トレムセンはムザベに独立保障しているので、ムザベごと葬ることにした。
トレムセン陸軍は現在ゼロで、ムザベは3000。周囲には3万以上のポルトガル軍が集結しているという鎧袖一触・四面楚歌モードなので、すぐにカタが付くだろう。
新大陸にてシボラ探索 The Search for Cibola を開始
黙々と新大陸で7つの都市探索を続けていたコンキスタドールがシボラの噂を聞きつけた。
しかし原住民に攻撃 Attaced by Natives されてしまい、わずか2州の探索でシボラ探索は失敗に終わった orz
1498年、マリの叛乱支援は終わった
叛乱軍が撃破され、叛乱支援は終了となった。
しかし人的資源 manpower を払底させることには成功したので、嫌がらせとしては十分だったといえる。少なくともマリが周辺国に戦争を仕掛けるのは防止できたはずだ。
フランスが順当に拡大
ブルゴーニュから数州を奪ったようだ。
1498年、西アフリカに領有権主張の連鎖がだいぶ構築できた
スパイの頭目は64歳になったが未だ現役で、領有権主張の連鎖を構築するのに大いに役にたった。
1498年、マーシナ Macina 攻め
カツィナ Katina と同盟しているが、遠すぎるため来ないし、行けない。無視。
1499年、ティンブクトゥ Timbukutu とマリ Mali 攻め
ジェンネ 要塞 Jenne が無人だったので、マーシナ攻略の終了間際に、横殴りに攻め込んだ。ティンブクトゥは1州しかないが、現在はソンゲー Songae 支配下にあるティンブクトゥ要塞の隣の州であり、後々便利そうなので併合しておく。
マリとは経済3点セットで個別和平した。
1501年、カビリャ Kabilya とアルジェ Algiers を始末
どちらも1州のみの小国なのだが、ポルトガル包囲網に加わったりしてリスクとなっており解消が必要だ。
色がほとんど同じなので見分けにくいが、カビリャとトレムセンを消滅させた。
続いて隣のアルジェとスースを攻め、スースは経済3点セットで個別和平、アルジェの方は消滅させた。
属国のモロッコも併合見込みのないまま、マムルーク Mamluks からの独立支援を受けるに至るなど用済み感が増してきた。
カタルーニャ叛乱を勅令 Edict と神学者 Theologian のコンボで封じ込め
叛乱進捗100%になったが、不穏 unrest は 5.7と4.7だったので
- 時代の特典による勅令で5下げる
- 神学者を雇って2下げる
ことで封じ込めることにした。
まずは勅令 Feudal De Jure Law を発動する。
続いて顧問 advisor を神学者に交替させる。
不穏 unrest はゼロになり、叛乱の発生は当日に防止された。
プロテスタントの改革中心 center of reformation が2つに増えた
あと1つなのだが、プロテスタントへ改宗する決心がつかないので、もうしばらく待つことにした。
しかししばらく見ない間に3つめが発生し、ポルトガルがプロテスタントになる機会は失われた。
新世界の全貌が見えてきた
碇のような形状の大陸のようだ。なお交易圏は存在するが、経路は表示されず、どこにも繋がっていないように見える。資金に余裕があるので、植民は同時3か所を継続中だ。
モロッコは解放することにした
マイナス200に張り付いており、戻せる見込みはないので解放することにした。
空いた外交枠で、欧州内部勢力のどれかと同盟しようと思う。
1503年、ジェノバ攻略
西アフリカ、北アフリカの叛乱リスクがほとんどなくなったので、前回やり損ねたジェノバ攻略を始めることにした。
どういうわけか、ジェノバは孤立無援の状態となっているようなので、通行権をもらって教皇領経由でジェノバを攻めることとした。
最初の1カ月で陸軍を一掃、10カ月後には終戦となった。
過剰拡大100%越えになるので2州併合にとどめておく。
それでも周辺国の驚きは尋常ではなく、終戦後には包囲網を組まれた。
1504年、ソンゲー Songhai 攻略
宗教改革の時代 Age of Reformation に代わる2か月前に、ソンゲー攻略を開始。
オヨ Oyo に通行権をもらって南からも攻め入った。
もちろん時代の特典、戦争税 war tax を発動してメリットは満喫しておく。
なお植民はギリギリ間に合わず、仕掛中の3州に開発ボーナスは付けられなかった。
1505年、オヨ Oyo、ボノマン Bonoman 攻略
ソンゲー陸軍を殲滅後、陸軍を南下させてオヨ Oyo、ボノマン Bonoman に次々と侵攻。親切にも通行権をくれたオヨにこの仕打ち。我ながらひどい話だな、こりゃ。
オヨは同盟国ボノマンが借金のため参戦せず孤立無援。しかしボノマンの方は同盟国ザザウ Zazzau と、そのまた同盟国のベニン Benin も参戦してきた(ザザウを共戦国に指定したので)。
カツィナ Katsina を属国にする
ソンゲー領内に領有権主張 claim、ザザウ Zazzau 領内に領有権主張と中核州 core をもっているので、属国にしておき中核州を返却させれば便利に使えるかもしれない。
カツィナと個別和平した後、ソンゲーとの全体和平のさいに領有権主張のついている領土を与えるつもりだったが、カツィナを属国にしたさいにソンゲーとカツィナは和平した扱いとなったため、ソンゲーとの全体和平のさいに領土を与えるようなことはできなかった。
ボノマン、オヨには領土が接していなかったため、
- ザザウに領土を返還させるつもりだったが、戦争目的が違うため外交コストがかかることが判明。経済3点セットでの個別和平に切り替え。
- ボノマンとの全体和平で、ボノマンとは経済3点セット。
ベニン領からはイベドゥ Ibedu を奪取 - そこに繋がっているオヨ領を1つ確保
することで2州を獲得したが、ボノマン領3州は手付かずに終わった。
1506年、フランスから包囲網戦争を仕掛けられた
こちらもオーストリア、カスティリャ、イングランドを味方にしており、国境の要塞には兵が籠めてあったので、あまり慌てずに対処できそう。
しかしオスマン、マムルク、フランス、ブルゴーニュと大手が勢ぞろいなので欧州大戦といってよかろう。
つづく