※英語版に基づきます。日本語版の訳語は知りませんので、置き換えてください。

ポルトガルAAR カネの亡者(その5)包囲網戦争が勃発

前回までのあらすじ

平凡な国王に交替

アラゴン Aragon 攻略の最中、ペドロ2世 Pedro II は逝き、新王フィリペ1世 Filipe I が即位した。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tombi-aburage/20200320/20200320141411.jpg

アラゴンをほぼ無力化、イタリア半島にも進出予定

アラゴン攻略はイングランド England の全面的な支援で成功裏に終わり、バレンシア Valencia、バルセロナ Barcelona などを奪取。ジェノバ交易圏 Genoa trade node での交易力は格段に高まった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tombi-aburage/20200320/20200320202541.jpg

シエナ Siena、教皇領 The Papal State との戦争は継続中だが、勝利は時間の問題だろう。

資金は1000弱までは回復

肝心のカネだが、戦争続きだと兎角カネがかかるもので、賠償金 war reparations を相当もぎ取ったにもかかわらず、資金は相変わらず1000ダカットを下回っている。

しかしジェノバ交易圏 Genoa trade node の支配率が向上し、セビリャ Sevile に並ぶ収益源となってきた。毎月数ダカットの加算。

f:id:tombi-aburage:20200321065611p:plain

そろそろ南アフリカへ植民予定

サントメ Sao Tome への植民も終わり、希望岬へ届くようになったはずだ。

tombi-aburage.hatenadiary.jp

1494年、聖書の現地語訳 Bible Translated 発生

プロテスタント protestant を国境にするかどうかは別として、一旦バレンシア Valencia をプロテスタント州にしておいた。

f:id:tombi-aburage:20200321072258j:plain

改宗するにしてもタイミングを見誤ると叛乱祭りになるので、改宗中心地 center of reformation の発生数をよく観察しながらタイミングを検討することにした。

f:id:tombi-aburage:20200321081407j:plain

tombi-aburage.hatenadiary.jp

1495年、フランスを盟主とした包囲網 coalition が発足

包囲網に参加される前にチュニス Tunis、スース Sus に宣戦布告して、停戦期間外の激おこ国の数を減らした。 

tombi-aburage.hatenadiary.jp

フランスがブルゴーニュと開戦した後、他国が抜けていき、包囲網は迅速に縮小されてフランスだけになった。

f:id:tombi-aburage:20200321090727j:plain

f:id:tombi-aburage:20200321145047j:plain

おフランスの外交をよく見ると、カスティリャ Castile と同盟 alliance していた。いつの間に・・・

f:id:tombi-aburage:20200321090744j:plain

1495年、シエナを併合してイタリア半島への進出を果たした。

周辺国のどれにでも攻めこめる絶好の位置だ。

f:id:tombi-aburage:20200321081138j:plain

1496年、トレムセン・オスマンに宣戦布告

チュニス・スースとの戦が終盤になっており兵力が余っている。トレムセンも激おこ国なので、包囲網に参加される前に開戦した。

オスマン Ottomans はジェノバ Genoa を攻めており、すでにサルディーニャ島 Sardinia は占拠されている。
まあトレムセン全土を占領すれば、何らか和平はできるはずなのでオスマンは放置で構わないだろう。

f:id:tombi-aburage:20200321095433j:plain

フランスはついに自分自身で作った包囲網を取り下げたようだ。

f:id:tombi-aburage:20200321151439j:plain

1496年、マリ Mali で叛乱支援が奏功

奥地でモッシ分離主義者 Mossi Separtists が蜂起した。しかしマリとは停戦期間中 truce なので、偵察以外の役に立たない。

f:id:tombi-aburage:20200321165232j:plain

1497年、トレムセン全土を占領しても10%・・・

トレムセンの残り4州全てに領有権主張を付けており、全土を占領したのだが、オスマンのせいで戦勝点10%にしかならない。

f:id:tombi-aburage:20200321204109j:plain

ジェノバルッカと戦争中のオスマンは、圧倒的な大軍を動員しているようだ。
オーストリアが同盟国なので丸見え。そのうち南下してシエナに来る気がする。

f:id:tombi-aburage:20200321205118j:plain

仕方ないので、あらゆる海軍戦力を集めてオスマン艦隊をイスタンブールに閉じ込めて海上封鎖の戦勝点を稼ぐ。

万が一、出港してきたらこちらもタダでは済まないのだが、敵は引き籠っているので気が変わらないうちに和平しておきたい。

f:id:tombi-aburage:20200321214121j:plain

戦勝点を10くらいは嵩上げできたので、何とかトレムセンの首都だけは奪取することができた。戦勝点21なのだが、17までしか認めてくれない。

f:id:tombi-aburage:20200321215221j:plain

1497年、ムザベ Mzab を攻めてトレムセンを再度攻略

トレムセンはムザベに独立保障しているので、ムザベごと葬ることにした。

トレムセン陸軍は現在ゼロで、ムザベは3000。周囲には3万以上のポルトガル軍が集結しているという鎧袖一触・四面楚歌モードなので、すぐにカタが付くだろう。 

f:id:tombi-aburage:20200322011600j:plain

新大陸にてシボラ探索 The Search for Cibola を開始

黙々と新大陸で7つの都市探索を続けていたコンキスタドールがシボラの噂を聞きつけた。

f:id:tombi-aburage:20200322012555j:plain

しかし原住民に攻撃 Attaced by Natives されてしまい、わずか2州の探索でシボラ探索は失敗に終わった orz

f:id:tombi-aburage:20200322020113j:plain

1498年、マリの叛乱支援は終わった

叛乱軍が撃破され、叛乱支援は終了となった。

f:id:tombi-aburage:20200322015558j:plain

しかし人的資源 manpower を払底させることには成功したので、嫌がらせとしては十分だったといえる。少なくともマリが周辺国に戦争を仕掛けるのは防止できたはずだ。

f:id:tombi-aburage:20200322015622j:plain

フランスが順当に拡大

ブルゴーニュから数州を奪ったようだ。

f:id:tombi-aburage:20200322022316j:plain

1498年、西アフリカに領有権主張の連鎖がだいぶ構築できた

スパイの頭目は64歳になったが未だ現役で、領有権主張の連鎖を構築するのに大いに役にたった。

f:id:tombi-aburage:20200322022757j:plaintombi-aburage.hatenadiary.jp

1498年、マーシナ Macina 攻め

カツィナ Katina と同盟しているが、遠すぎるため来ないし、行けない。無視。

f:id:tombi-aburage:20200322035215j:plain

1499年、ティンブクトゥ Timbukutu とマリ Mali 攻め

ジェンネ 要塞 Jenne が無人だったので、マーシナ攻略の終了間際に、横殴りに攻め込んだ。ティンブクトゥは1州しかないが、現在はソンゲー Songae 支配下にあるティンブクトゥ要塞の隣の州であり、後々便利そうなので併合しておく。

マリとは経済3点セットで個別和平した。

f:id:tombi-aburage:20200322084841j:plain

1501年、カビリャ Kabilya とアルジェ Algiers を始末

どちらも1州のみの小国なのだが、ポルトガル包囲網に加わったりしてリスクとなっており解消が必要だ。

色がほとんど同じなので見分けにくいが、カビリャとトレムセンを消滅させた。

続いて隣のアルジェとスースを攻め、スースは経済3点セットで個別和平、アルジェの方は消滅させた。

f:id:tombi-aburage:20200322141835j:plain

f:id:tombi-aburage:20200322164212j:plain

属国のモロッコも併合見込みのないまま、マムルーク Mamluks からの独立支援を受けるに至るなど用済み感が増してきた。

f:id:tombi-aburage:20200322155944j:plain

カタルーニャ叛乱を勅令 Edict と神学者 Theologian のコンボで封じ込め

叛乱進捗100%になったが、不穏 unrest は 5.7と4.7だったので

  • 時代の特典による勅令で5下げる
  • 神学者を雇って2下げる

ことで封じ込めることにした。

f:id:tombi-aburage:20200322162107j:plain

まずは勅令 Feudal De Jure Law を発動する。

f:id:tombi-aburage:20200322162122j:plain

続いて顧問 advisor を神学者に交替させる。

f:id:tombi-aburage:20200322162135j:plain

不穏 unrest はゼロになり、叛乱の発生は当日に防止された。

f:id:tombi-aburage:20200322162207j:plain

プロテスタントの改革中心 center of reformation が2つに増えた

あと1つなのだが、プロテスタントへ改宗する決心がつかないので、もうしばらく待つことにした。

f:id:tombi-aburage:20200322170006j:plain

しかししばらく見ない間に3つめが発生し、ポルトガルプロテスタントになる機会は失われた。

新世界の全貌が見えてきた

碇のような形状の大陸のようだ。なお交易圏は存在するが、経路は表示されず、どこにも繋がっていないように見える。資金に余裕があるので、植民は同時3か所を継続中だ。

f:id:tombi-aburage:20200322175214j:plain

ロッコは解放することにした

マイナス200に張り付いており、戻せる見込みはないので解放することにした。
空いた外交枠で、欧州内部勢力のどれかと同盟しようと思う。

f:id:tombi-aburage:20200322180605j:plain

1503年、ジェノバ攻略

西アフリカ、北アフリカの叛乱リスクがほとんどなくなったので、前回やり損ねたジェノバ攻略を始めることにした。

f:id:tombi-aburage:20200322180712j:plain

どういうわけか、ジェノバは孤立無援の状態となっているようなので、通行権をもらって教皇領経由でジェノバを攻めることとした。

f:id:tombi-aburage:20200322181121j:plain

最初の1カ月で陸軍を一掃、10カ月後には終戦となった。

f:id:tombi-aburage:20200323013335j:plain

過剰拡大100%越えになるので2州併合にとどめておく。

f:id:tombi-aburage:20200323014527j:plain

それでも周辺国の驚きは尋常ではなく、終戦後には包囲網を組まれた。

f:id:tombi-aburage:20200323014528j:plain

1504年、ソンゲー Songhai 攻略

宗教改革の時代 Age of Reformation に代わる2か月前に、ソンゲー攻略を開始。
オヨ Oyo に通行権をもらって南からも攻め入った。

もちろん時代の特典、戦争税 war tax を発動してメリットは満喫しておく。

f:id:tombi-aburage:20200323024400j:plain

なお植民はギリギリ間に合わず、仕掛中の3州に開発ボーナスは付けられなかった。

 

1505年、オヨ Oyo、ボノマン Bonoman 攻略

ソンゲー陸軍を殲滅後、陸軍を南下させてオヨ Oyo、ボノマン Bonoman に次々と侵攻。親切にも通行権をくれたオヨにこの仕打ち。我ながらひどい話だな、こりゃ。

f:id:tombi-aburage:20200324011501j:plain

オヨは同盟国ボノマンが借金のため参戦せず孤立無援。しかしボノマンの方は同盟国ザザウ Zazzau と、そのまた同盟国のベニン Benin も参戦してきた(ザザウを共戦国に指定したので)。

カツィナ Katsina を属国にする

ソンゲー領内に領有権主張 claim、ザザウ Zazzau 領内に領有権主張と中核州 core をもっているので、属国にしておき中核州を返却させれば便利に使えるかもしれない。

f:id:tombi-aburage:20200324012942j:plain

カツィナと個別和平した後、ソンゲーとの全体和平のさいに領有権主張のついている領土を与えるつもりだったが、カツィナを属国にしたさいにソンゲーとカツィナは和平した扱いとなったため、ソンゲーとの全体和平のさいに領土を与えるようなことはできなかった。

ボノマン、オヨには領土が接していなかったため、

  • ザザウに領土を返還させるつもりだったが、戦争目的が違うため外交コストがかかることが判明。経済3点セットでの個別和平に切り替え。
  • ボノマンとの全体和平で、ボノマンとは経済3点セット。
    ベニン領からはイベドゥ Ibedu を奪取
  • そこに繋がっているオヨ領を1つ確保

することで2州を獲得したが、ボノマン領3州は手付かずに終わった。

1506年、フランスから包囲網戦争を仕掛けられた

こちらもオーストリアカスティリャイングランドを味方にしており、国境の要塞には兵が籠めてあったので、あまり慌てずに対処できそう。

しかしオスマン、マムルク、フランス、ブルゴーニュと大手が勢ぞろいなので欧州大戦といってよかろう。

f:id:tombi-aburage:20200325025139j:plain

つづく

 

tombi-aburage.hatenadiary.jp