前回のあらすじ
欧州方面への橋頭堡を幾つか確保
フランス France・ポルトガル Portugal・カスティリャ Castile に3連続で袋叩きにされたアラゴン Aragon は、ナバラ Navarra・ナポリ Napoli も失っており事実上無力化している。
プロバンス Provence もポルトガル・ブルゴーニュ Burgundy で袋叩きにして弱らせ、最後に誰かが滅ぼした。
この結果、欧州方面では、アンジュー、プロバンス、バルセロナ、パレルモなどに橋頭堡を築いている。
カトリック Catholic からは破門されているが、脱カトリックには失敗
ライバル rival のフランスが教皇庁支配者 PAPAL CONTROLER のときに、何かのイベントで教皇庁との関係がマイナスになったらしく破門されてしまい、サヴォイ Savoy を中心にフランス・ジェノバ・教皇領・シエナ・モロッコを含む包囲網を組まれた。
先着3番目までにプロテスタント Protestant になろうと思ったが、改宗中や戦争中などで改宗のタイミングを逃し、いまだに破門されたカトリックのままとなっている。
包囲網戦争も何とかしのいだ
ジェノバ Genoa の言動が軽率な君主 Babbling Baffoon のおかげで、不意打ちは食らわずに済んだ。
形成された包囲網の中ではモロッコが一番いいカモだったので、こちらから仕掛けて包囲網戦争 coalition war となったが、モロッコ・教皇領・シエナなど、要するにフランスから遠い国々を全土占領して戦勝点 war score を稼ぎ、若干有利な形での和平に持ち込むことができた。
ブルゴーニュ Burgundy、ミラノ Milano との同盟が意外に有効
今回はブルゴーニュ、ミラノと同盟したことが視界の確保で有利に働き、フランス France を含む全面戦争もうまくさばけた。なお戦争は一度もご一緒していない。
イベリアン・ウエディング Iberian Wedding もブルゴーニュ公頓死も発生せず
この凶悪な2イベントは発生しなかった。
1504年、モッシ Mossi 攻略
版図を急に広げ過ぎたモッシは、内部擾乱で人的資源ゼロにまで弱っている。
ポルトガルが領有権主張を3つ、マリ Mali が中核を2つも持っていたので宣戦布告した。マリの土地を返しなさい!
金鉱 Gold を2つももっているマリ軍は7個連隊を戦線に投入しており、かなり役に立っている。最後はワン・オン・ワンになるまで粘り、モッシ軍に競り勝った。
ポルトガル軍は士気最低で戦闘に参加しているので、すぐに士気ゼロになってしまい、投入兵数の割には戦闘に貢献していない感じだ。
とりあえずボノマン分離主義者の管轄地域は取らずに残しておき、他の土地を譲渡させた。
西の新大陸の探索も順調
インカ・アステカ系の土地のようだ。東の新大陸の西端に植民し終わっているので、いちおう西の新大陸の東端にはギリギリ植民できるが、今は東アフリカやインド洋に到達するためケープ Cape 方面への植民が優先なので、新世界側は後回しになっている。
やっと5つめの州の植民が終わり、東の新大陸に初めての植民地国家 Colonial Nation が成立。少数派の追放で植民加速したほか、イベントで1州余計に植民先が増えたりしたこともあって、あちこち植民している中で、かなり早い植民地国家成立となった。
1505年、チュニス Tunis 攻略
スパイ網 spy network を張るのがものすごく遅くなっているが、ジェノバ・ナポリが領有権主張 claim を付け始めているので、がんばって首都チュニス Tunis に領有権主張を付けて先に割譲させた。
その後、ナポリがジェルバ Djerba 要塞を狙ってハイエナを始めた。チュニスはもはやなすすべもない。もしこれでトリポリ Tripoli でも成立すれば、ポルトガルとしては止めが刺しやすくなる。
西アフリカではモッシが戦後も止まない内乱により、ますます苦しい状況になっているところへ、ジェンネ Jenne がハイエナを仕掛けようとしている様子だ。
またアフリカで、聖書の現地語訳 Bible Translated
サン・トメ Sao Tome と同じくらい意外な場所で再び発生。
このイベント、2回以上起きるんだね・・・
1507年、アフリカ各地の叛乱祭りを次々と鎮圧
この2年位の間に、チュニス・トレムセン・フロ・ベニン・コング・アルジェ・モロッコ・トゥーグラ分離主義者が次々と蜂起。輸送船は忙しい。
少しでも不穏を下げるため、モロッコを許容文化 Accepted Cultures にするなど、不穏のマイクロマネジメントは続く。
コング分離主義者 Kong Separatists のみ、コングとは全然離れた予想外の場所(ギニア湾岸のシェラ・レオネ)に湧き、しかも反乱軍がフータ・ジェロン要塞に引っ掛からずに、そのまま通過して内陸方面に向かったのでちょっと慌てた。
この要塞でしばらく拘束しておき、先に北アフリカで蜂起中の叛乱を始末した後、再度舞い戻って撃破する予定だったが、そのまま内陸に通過されてしまったので、陸軍の本国返送を延期して内陸への追走をすぐに始めざるを得なくなった。めんどくさ。
はるばるコング本領まで追走し、叛乱軍の足が止まったところで撃破した。
この後、北アフリカで幾つか叛乱軍を始末。ほどなくして、西アフリカではジェンネ分離主義者と物神崇拝者が同時蜂起したが、ギリギリ陸軍の再配備は間に合った。
これで主な叛乱鎮圧は一巡したので、陸軍を通常の戦争に投入できるようになった。
1509年前半、ボノマン Bonoman、ジェンネ Jenne 攻略
モッシからボノマン分離主義者が独立しており、新ボノマン領となった州にはモッシだったころから領有権主張を付けてあったので、建国当初からいつでも開戦できる状況。
新ボノマンはむしろポルトガルに好意的だったが、さっさと滅ぼしたいジェンネと同盟していたので開戦した。
ボノマンからは1州奪取、ダグボン独立。ジェンネは2州とも併合して滅亡させた。
1509年後半、ベニン Benin、ザザウ Zazzau 攻略
ベニンと停戦明けとなり、残り2州の両方に領有権主張を付けたところで開戦。
ベニンを喰ったザザウ、少し前に誕生していたアシャンティ Ashanti も参戦してきた。
アシャンティには7,000ほど陸軍がいたので、こちらもマリ軍を差し向けていたが、開戦するなり南方のベニン湾沿いに遁走、原住民 natives との戦闘で自滅していた。
破門からは逃れがたく、改革派 Reformed に改宗
ポルトガル領内に改革派の州は一つもないのだが、どうやら改宗はできるらしい。
そういうものなんだっけ?しかも改革派を採用した2つ目の国になれるらしい。
早く言ってよ!
改宗により宗教統一度はゼロになったが、もうすでに25%を割っていて絶賛・災厄発動中なので、どのみち気にする必要はない。ついでに大金も入手できたので良かった。
そして宗教改革の時代 Age of Reformation の1つめの条件をようやく達成した。
発見の時代 Age of Reformation と違ってポルトガルにとっては条件達成が難しい時代なので、もう数年経っているというのに、未だに栄華 splendor は87しか貯まっていない。
他国の強制転向 Converted another Nation あたりは手軽なので、数年内に達成したいところだ。
なお改革派としては2番手なので、改革中心 Center of Reformation がポルトガル本領に出現。半年に1州のペースで猛烈に改宗が進み、神の恩寵 favor がどんどん貯まる。
改革派 Reformed では、プロテスタント Protestant とは違って、経済・軍事・安定の3つの分野のボーナスを月単位で任意にオン・オフできるらしい。恩寵さえ貯まっていれば、3つともオンにしてもいいようだ。
新大陸で若さの泉の手がかり発見
若さの泉という夢を追うのに150ダカット...たっカイヤ...
だが、支払います!
1511年、教皇領 The Papal State にお仕置き
ポルトガルを破門したのはフランスなのだが、江戸の仇は長崎で返すw
もう改革派になってしまったので、教皇領との関係を良好に保つ動機もないしな…
今や教皇領となっているアヴィニョン Avignionほか旧プロバンス Provence の2州に領有権主張を付けて、その奪取を目指すこととした。
・・・フランスに取られる前に取っておきたいので。
敵方は
- フェラーラ Ferrara を喰ったマントヴァ Mantova
- オーストリア Austria に喰われて見る影もなく落ちぶれ、現在、国内は反乱軍に荒らされ中のハンガリー Hungury
- 何で同盟しているのか分からない北海沿岸のユトレヒト Utrechet
という感じで、マントヴァ以外はかなり分散している。
ポルトガル側は
- ブルゴーニュ Burgundy は喜んで参加
- ミラノ Milano は我が国の外交評判 diplomactic reputation が気に入らないらしく、マイナス補正がかかっており不参加
- カスティリャ Castile、イングランド England は不参加
という様子だったが、ブルゴーニュがユトレヒトに当たってくれればイタリア側は単独で何とでもなるので開戦した。ミラノが参加だと楽なのだが…
君主が夭折して摂政政治に
ミラノとの開戦後、40歳にもならない君主が夭折。
後継者 heir はいるが王妃 consort はいないので摂政政治 regency になってしまった。
後継者は10歳なのでダラダラと5年くらい戦争を長引かせても大丈夫だ。
なお君主が死亡したことで、個性による外交評判のペナルティがなくなり、ミラノが参戦してくれるようになった。実にいいタイミングで死んでくれたな。
今からマントヴァ、フェラーラの2要塞を攻略しようとしている中、教皇領の陸軍17,000はまるまる健在であり、周囲をウロウロしている。
そんな中、ミラノ軍11,000が陸軍維持費最高の状態で攻城戦の手伝いをしてくれるのはとても助かる。すぐに呼び出して参戦 A Call to Arms! させた。
またアンジュー要塞をオンにするのを忘れた
またしても開戦後も無人のままで放置になっていたらしく、直行してきたユトレヒト軍に即刻落とされてしまった orz
まあ釣りとしては、今回もそこそこ役に立った形だが…
マントヴァの周辺国がハイエナを開始
周りでルッカ Lucca、ジェノバ Genoa などの軍がゴソゴソと動き始めたので見てみたら、ルッカがマントヴァに宣戦布告していた。ジェノバ・ナポリなども巻き込まれたようだ。
もっともマントヴァは全土占領中なので、ルッカは戦争目的 war goal のモデナ Modena を占領できないのだが・・・
マントヴァ陥落、教皇領も全土占領
ミラノ軍のみかじめ(ポルトガル軍に常時随伴)のおかげで、陸軍維持費最低のままで全土占領を果たすことができた。もし維持費を上げたら毎月30ダカットなので、費用的には大いに助かった。
絶望した教皇領陸軍が最期に特攻してきたが、攻城戦も終わっていたのでZOCも消えて交通至便となっており、周辺の全軍で迎え撃って全滅させた。
マントヴァとは経済3点セットで個別和平。
教皇領とは、戦略的には全体和平してよいような状況だが、いま和平しても摂政政治でやることがなくヒマなので、少し足を伸ばしてユトレヒトも片づけることにした。
ユトレヒトへの反攻
ブルゴーニュがすでにユトレヒトの要塞を1つ落としているが、ブルゴーニュ本土の要塞もユトレヒトに1つ落とされているので、おあいこであり戦勝点は40未満。
ポルトガルとしては、できれば北海沿岸にも1州確保し、そのうち敵対するであろうイングランドへの橋頭堡を作っておくとともに、そこでも交易資金回収したいので戦勝点99での完全勝利を目指す。
州を確保しても、そのうちオランダ独立に巻き込まれて無になりそうな気がしているが、まあその時はその時で。
ユトレヒトは全土が神聖ローマ帝国の範囲内だったッ!
ちくしょう!領土が取りづらいぞ。
いちおうオーストリアは好意的だし、外交枠次第では味方にしたいしな・・・
教皇領からは2州奪取して全体和平
フランス南東部の旧プロバンス領は、すべてポルトガルが抑えた。
今度はフランス中心に、包囲網を形成される
現在、摂政政治のため、大規模な包囲網形成を未然に防ぐための停戦切れ即因縁戦争ふっかけ戦術が使えなかった。フランスが包囲網を作った後、最初の数か月でアラゴン・フェザーン・サヴォイ・モロッコが次々と加入。
そのあとティンブクトゥ・ソンゲー・オヨ Oyo など西アフリカの不平分子も加わって巨大化した。
真正面からフランスを切り崩すのは難しいので、包囲網参加国の同盟国を攻めて、少しずつ包囲網から切り離していく常套手段で弱体化を進める。
- まずは北アフリカのカビリャを攻めて、その同盟国のモロッコ・フェザーンの2か国を包囲網から切り離す
包囲網がなくてもやるつもりだったので、もう準備はできている - 次にナポリを攻めて、その同盟国のアラゴンを切り離す
フランスの隣なので、まとめて攻略するのは難しいので先に対処 - 余裕があればソンゲー・ティンブクトゥなどの西アフリカの比較的大きな国々も個別に切り崩す
- 最後にオヨあたりのフランスから遠く遠く離れた、簡単に首都を占領できるような国を攻め、適当な和平に持ち込んで包囲網を解体
この手口は前回の包囲網戦闘と同じ手口だがモロッコよりオヨの方が簡単
このプロセスの途中でフランスから宣戦布告されないよう祈りつつ、どこまで包囲網参加国を減らしておけるかが重要なポイントだ。
カビリャやオヨ攻めは摂政政治が終了次第、すぐに仕掛けることにする。
ナポリについては領有権主張が期限切れで消えてしまったので、今から急いでつけ直す。
1514年、摂政政治が終了、速やかにカビリャと開戦
西アフリカのヌペ・ベニン・ジェンネ分離主義者の叛乱を片付ける必要があり、陸軍の帰投が遅れたが、摂政政治が終了して数か月後にはカビリャ攻めの準備が整った。
カスティリャも参加してくれるようなので呼び出す。
モロッコ陸軍11,000とマラケシュ要塞(今回は無人ではない)の相手をしておいてもらおう。
ポルトガル軍はフェザーンとムザベ分離主義者の相手で忙しいのだw
緩衝地帯を拡大せよ Expand the Buffer Zone の使命を完了
ガルブ地域 Garb Area をすべて奪取したので、不穏が低下する使命を発動できるようになった。北モロッコ、南モロッコ、ガルブ地域の全域で15年間、不穏がマイナス2なので鎮圧効果は絶大。まあ、これが今回の開戦の主目的だったのだが。
次々と包囲網から皆が抜けていった
モロッコとカビリャが脱落すると、包囲網は解消された。
最初にアラゴン Aragon が離脱。「もともと乗り気じゃなかったんですよ…」
数日後にはサヴォイ Savoy も離脱。「実は私も・・・フランスから強要されて…」
ティンブクトゥ「んじゃ、わしらもこの辺で失礼するわ」
オヨ「よく考えれば、フランスって誰だっけ?」
盟主フランス「では解散ということで!」
1515年、探検・植民イベントが連発
新大陸で若さの泉を見失う
原住民の不興を買ってコンキスタドール Conquistador はお亡くなりに。
しかし、その直後に雇った別のコンキスタドールが桃源郷 El Dorado の手がかりをすぐに発見した。見失った同じ州で即座に発生するのは珍しいかも。
まあ、このエル・ドラド探索も11年後には失敗してしまうのだが
植民地での揉め事! Colony in Trouble
植民地で食糧難が発生したらしい。
人口1000名減少 Lose 1000 Population って、実質的に破棄と同じじゃないか。
仕方ないので、外交君主力を支払って苦難を逃れた。
1519年、カスティリャ継承戦争が発生
まだ発生していなかったらしい。どうせ鎮圧されるので人的資源の支援はしない。
1522年、年齢3歳差の後継者が死亡
君主と3歳しか違わなかった後継者は、行軍中に首尾よく死んでくれた。
新たな後継者は軍事君主力は最高の6だが、継承権が弱い Weak のが玉に瑕。
その数か月後、君主も逝去してしまい、王妃による摂政政治に
王妃には不妊 Infertile のペナルティがついているが、もはや関係ない。
果たして王子の成人まで生き延びられるかな・・・
1522年、ようやく時代の特典の1つ目を獲得
かれこれ20年弱かかってしまった。
他の宗教の国に対する戦勝点ボーナスの特典をとった。
海上封鎖で攻城+1も魅力的だったが、欧州以外では使い道がないので後回し。
1529年、コンゴを属国にして周辺を再征服
数年間、西アフリカで反乱鎮圧と無双状態の戦争を続けた後、中央アフリカに進出することにした。中央アフリカの友好国から地図をもらって、東アフリカ・南アフリカの事情も明らかになった。
中央アフリカではコンゴが程よく弱っていたので、外交枠は2つ超過になってしまうが、コンゴを強制的に属国化してから周辺国の再征服 reconquest をすることにした。
中央アフリカの西半分は、ほぼすべてコンゴの中核州 core だったので、あっという間にコンゴは旧領を回復。強制的に属国したペナルティを取り返しボーナスで相殺でき、ポルトガル大好きなコンゴになった。
1530年、ベネツィア・フランスにオスマンが開戦したようだ
フランス軍が北アフリカを行軍するという珍しい光景が見られた。
なおこの後、反乱祭りのチュニス領内も通過してゆき、道すがら反乱軍をなぎ倒していった。
オスマンはそんな面倒くさいことはせず、無敵ガレー艦隊からフランス本土に強襲をかけていた。ベネツィア海軍は何をやっておるのだw
1530年、近い方の新大陸の南部を征服
近い方の新大陸は、北部と南部に分かれており、南部がわは遠くて植民できていない。
今から植民するのも面倒なので、境目に植民して橋頭堡を作ったうえで、周辺の5か国国から5州奪取して植民地国家を成立させることにした。
まずは2州を2か国から脅迫で獲得、残り3州は3か国を滅亡させて獲得した。
1531年、遠い方の新大陸で、ついにシボラ Cibola 発見
若さの泉、桃源郷と失敗が続いたが、諦めずに探索は続けていた。
するとついに、遠い方の新大陸の北部でシボラを発見。
一気に800ダカットを獲得し、開発24の州を発見した。
1532年、ナポリと開戦
オスマンとの戦争は終わったが、フランス軍の半数は北アフリカを行軍中・・・
フランスの同盟国を攻める好機到来か?
グレートブリテン Great Britain、ブルゴーニュ Burgundy、ミラノ Milano を動員してナポリ・アラゴン・フランスとの全面戦争を開始した。
なおカスティリャは、おそらくアラゴンに独立保障をかけているせいで、参戦できないようだ。まあ、いなくても大丈夫だろう。
ナポリは内乱発生中なので、アラゴン・フランスを先に片づけることにした。
およそ1年後、フランス軍の半数、27,000が欧州がわから本土に戻ってきた。
アラゴン軍と合わせるとブルゴーニュの2倍なのだが、なぜかブルゴーニュ軍に野戦を仕掛けたりはせず、黙って隣で待機するという謎の光景が2年ばかり続いた。
1534年2月、フランス南部を概ね奪取
首都を占領してしばらくしたら、アラゴンは個別和平に応じた。
フランスの北アフリカ遠征軍の主力は相変わらず所在不明なままで戻ってきていないので、アラゴンが脱落しグレートブリテンが本土上陸すると、フランス領内の戦力比は逆転した。
1534年2月、同時にナポリ攻略にも着手
ミラノ軍はナポリ軍に首都を攻囲されているが、ナポリ本土に向かったので、ポルトガル軍もフランス南部の占領を終えた砲兵隊のすべてと旗艦を増援に送ることにした。
1534年5月、ミラノが脱落
数か月後、首都をナポリに落とされた腰抜けミラノ軍は、ナポリとあっさり個別和平して戦線離脱してしまった。
ナポリ攻囲軍の員数が足りなくなったので、歩兵部隊も送り込み攻囲を継続。
数か月後、ナポリ軍が戻ってきたが、なぜかナポリの脇を通過して南方に向かったので、何とか首都を陥落させることができた。
1534年10月、フランスと個別和平
フランス南部・北部・中央部の要塞はあらかた占領したが、東部の要塞は2個とも残っている状態。そんな中、ナポリ軍がフランス軍に合流の構えを見せている。
しばらくはアヴィニョン要塞に引っ掛かってフランス領内には来ないと思うが。
フランス軍も傭兵などで戦力強化し、5万弱まで戦力を増やしてきており、時折、不意に近寄ってきたりするようになって野戦のリスクが増してきた。
ポルトガル軍は陸軍維持費をケチっており、フランス本土には端数しか派遣しないので、このまま続けると同盟軍が各個撃破される可能性が高い。
そろそろ潮時と見て、フランスとは個別和平することにした。
フランスには一つも領有権主張を付けていなかったので、ブルゴーニュに中核州返還…のつもりだったが、ナポリが当事国なので外交君主力がけっこうかかる。
もったいないので、お金メインでの和平とした。
あとはナポリ軍のメッシナ要塞を落とすだけなので、この戦争はほぼ終わった。
フランスの他の同盟関係は残っているが、借金漬けの間は参戦しない可能性が高い。
フランス抜きでは包囲網も形成されないだろう。
1536年、ジェノバ攻略した後、さらに教皇領攻め
フランスとの同盟がなくなったジェノバに攻め込み、ミラノと共同でマントヴァとジェノバの欧州がわ領土を全土占領。ジェノバ海軍がけっこう強力だったので、島に引き籠っているキプロスとジェノバのクリミアの領土は放置したまま和平した。
ジェノバの欧州側領土全てに領有権主張はつけていたが、多分これを全部分捕るとエラいことになりそうなので首都ジェノバだけで我慢した。
その後、教皇領へ侵攻。サヴォイ、ババリア、アウグスブルグとの戦争となった。
これは教皇領の領土(ピサ)目当てというわけではなく、大規模な包囲網形成を防ぐための予防措置。
ここいらで中断
今回は北アフリカ・西アフリカはもちろんのこと、欧州側でもブルターニュ、プロバンス3州、アラゴン、ジェノバなどに食い込めていて、フランスもけっこう抑え込めた。
ここまでの展開としては悪くはなかったのだが、いくつか反省点があった。
許容文化 Accepted Culture の認定が遅すぎた
いつもどおり、常に叛乱祭りだったのだが、一つの要因としては許容文化の枠があるにもかからず、外交君主力を惜しんで認定を遅らせたことがある。
認定できるようになったらすぐにやったほうが良かったと思う。
正統性 Legitimacy を低いまま放置した
前王妃による長い摂政政治のあと、継承権が弱い weak の君主が即位した結果、正統性がマイナス20!になった。1000以上軍事君主力が貯めてあり、これで上げることができたのだが、ついつい軍事技術力を上げる方につかってしまい、100まで戻すのに足りなくなってしまった。
どうでもいい辺境の土地を聖職に割り当てていたが、召し上げ忘れた
ほとんどの土地では、数十年経っているのですでに自治度は十分に低下しており、聖職の用は済んでいるはずなのだが、聖職の忠誠が下がるのを気にしたり、改宗のボーナスに目がくらんだりして、こまめに召し上げてはいなかった。
忠誠40を維持できる範囲でこまめに召し上げておかないと、たんに諸身分に割り当たっているというだけで、諸身分イベントによって時折発生する反乱軍大量発生の対象州になってしまうようだ。
シボラ Cibola の州をフロ文化にしてしまった
少数派の追放を活用すると、植民は早いし安上がりなのだが、民族・文化・宗教が追放した連中のものになってしまう。さすがに、この土地を少数派の追放の対象にしたのはまずかったわ・・・金はあるのに愚かなことだ・・・
行政・外交技術で大きな遅れ
プレイ開始時点から行政君主力ブーストをずっと維持したうえで、統治アイデアをとったり、安定度を3まで上げなかったり、色々工夫はしてきたつもりだが、結果的には今時点で行政レベル10に達しておらず、3つめのアイデアグループ解放ができていない。
収入アップのため、欧州の開発が高い州をどんどん中核化した結果、こうなってしまったと反省している。金はあるのに愚かなことだ…
政府改革の第4階層は、ブルジョア重視にすべきだった
その時の諸身分の忠誠度と影響の都合で、何となく聖職重視にしたのだが、アイデアグループを3つコンプしない限り、ほとんどメリットもないものだった。
国の特性から見ても、顧問の給料10%引きのほうが良かった気がする。
傭兵大杉
叛乱を当月に鎮圧することにこだわりすぎた。
鎮圧軍がギリギリ数日の差で間に合わない場合、隣の州で傭兵を2~4個連隊徴用して突入させ、時間稼ぎして間に合わせていたのだが、そんなことを多分3~4回やった結果、傭兵がこんな数に…今回は人的資源は余っているのに愚かなことよ…
まあ解隊すればいいことなのだが、なんか勿体ないんだよね…
旗艦に交易力アップの特典つける意味はなかったんじゃ?
実験してみたところ交易力アップの効果よりも旗艦の維持費のほうが高いため、旗艦を交易保護の艦隊に入れることはほぼなかった。