※英語版に基づきます。日本語版の訳語は知りませんので、置き換えてください。

ポルトガルAAR 属国を活用したら外交併合で10年以上かかり、その間外交君主力の増加はゼロ...

DLC: AoWまで、パッチ: 1.16くらい

今度は属国に吸収させることを徹底するパターンで1488年まで50年ほどプレイしてみた。

自国は領有権主張する上で必須な最前線のみ直轄領とする方針で推進。

モロッコ(グラナダ)攻略 1447-50

  • カスティリャを誘って、モロッコ(グラナダ)へ侵攻。
    タンジール Tangir を占領、屈辱して戦力投射を増やして和平。グラナダは武力で属国化。
  • 同時にトレムセン Tlemcen がチュニスに襲われていたので防衛側で参戦。
    全土占領した後、アラゴンに領有権主張をつけられるようアンナバ Annabaを奪取。あわせて今後のために、要塞のあるケフ Kef を奪取して単独和平。
    屈辱して戦力投射を増やす。アルジェ Algiers を属国として独立させる。
  • 翌年、当事国のトレムセンがチュニスを下して、トリポリを独立させ、ほとんど無力化した。

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フランスによるガスコーニュ侵攻 1451-3

  • イングランドがフランスに襲われた。味方の大国が他にはいなくて嫌だったが、仕方ないので防衛側で参戦
  • イングランドは4年間ほど戦っていたようだが、ポルトガルは1453に途中で単独和平して離脱した。フランス南部の要塞を占領し、できるかぎり海上封鎖して戦勝点を水増しの上、アキテーヌの1州についてフランスの中核州主張を剥奪した。
  • イングランドガスコーニュ、ノルマンディの3州を奪われたが、中核州を剥奪された州とカレーは無事で、ポルトガルとの同盟も維持された。このときの恩は、後に十分返してもらえたので参戦して良かった。

トゥーグラ(チュニス) 1456-7、トリポリ(トレムセン)1460-2

  • 自ら解放したアルジェ、トレムセンに解放されたトリポリなどの小国がいい感じに周辺国(トゥーグラ、チュニス、トレムセン)と同盟関係になっていたので、周辺国との再戦を主目的に小国へ宣戦布告を繰り返し、北アフリカでの勢力を拡大した。
  • いずれも小国だったので、複数の戦争を同時並行で実施した。トレムセンは敵方の同盟国だったので、自国との同盟は外して叩いた。
  • トゥーグラは Gafsa をポルトガルに併合した上で武力属国化。マムルクの属国であるフェザーンに隣接したので領有権主張をつけた。チュニスからは Sfax を奪取してトリポリのThubaqt ほか2州に領有権出張をつけた。
  • トリポリに宣戦布告して2州を奪取、その先のマムルク領ベンガジほか2州に領有権主張をつけた。Sfax は用済みになったのでチュニスに売却。トレムセンからは属国アルジェの中核州全てを回収した。

モロッコと再戦 1464-7、ジョロフ 1466

  • 属国のグラナダがモロッコの北部3州に領有権主張をつけたので、それらの奪取を目的に宣戦布告。奪取し、屈辱で和平。
  • ジョロフがマリに叩かれて1州だけになっていた。近所で行きやすいので同時並行で開戦、保護国化した。

マムルク Mamluk へ宣戦 1468-70

  • マムルクは東の方とすでに戦争中だったので、西には中途半端な兵力して回してこなかった。各個撃破しながら首都近辺まで進軍。
  • しかし両面作戦に危機を感じたマムルクが東の方と和平。2万弱の陸軍をもってきたので途中で和平した。フェザーンは全土併合、マムルク本土からは要塞のあるベンガジなど2州を併合。
  • 同盟国もないまま浮いていたチュニスにも宣戦布告。残っていた所領を属国のトゥーグラ、グラナダ、アルジェに引き渡し滅亡させた。
    グラナダ、アルジェへの引き渡しは領有権主張なしの州だったため、おそらく膨大な攻撃的拡張 Aggresive Expansion になっていたと思う。これは急ぎすぎであり失敗だった。

マヌエル I 世に代替わり 1468

  • 虫の息となっていたチュニスを包囲中にアフォンソ V 世が死亡、安定度 -2 を食らって代替わり。
  • しかしマヌエルの君主力は 3-5-4、将軍としても 3-2-2-0 とかなり優秀な君主のため寧ろ歓迎だった。

マジャブに宣戦布告 1473-4

  • 属国トゥーグラの領有権主張がついていたので、奪取のため宣戦布告し、武力併合した。

クレタに宣戦布告  1475

  • 同盟国もないまま浮いていたクレタにも宣戦布告して併合。
  • しかしこれはオスマンをいたく刺激してしまったようだ。

アラゴンに宣戦布告 1475-1479

  • ここでようやく、最大の仮想敵国アラゴンと初の戦争。サヴォイ、ボヘミアが先方の同盟国だが、ボヘミアは参戦したものの最後まで戦場に現れなかった。
  • 戦力投射が50近くまで減衰しており、他に攻められる仮想敵国もいないので、戦力はほとんど同等だったが仕掛けた。かなりきつかったが、シチリア島ナポリ本土は全土占領。
  • カスティリャアラゴン陸軍25個連隊とサヴォイ15個連隊に繰り返し嬲られて、先に単独和平してしまった。
    これによりアラゴン本領には進出不可能となった。敵方の戦力がほぼ維持されており和平後に戻ってきたため、サヴォイも首都までは占領する時間が無く、2つの要塞を陥落させたところで全体和平した。
  • パレルモ、カグラリ、バレアレスの3州を奪取した。すかさずアラゴン本土に領有権主張をつける。

マムルク、オスマントリポリ、トレムセンの包囲網から宣戦布告された 1479-1482

  • サヴォイ攻略中に背後を衝かれた。なんだ、このオスマン、マムルク60個連隊スタックは。
  • イングランドが途中で参戦して攻城 +3、砲兵つき陸軍のべ30個以上を送って助けてくれなければ惨敗するところだった。
  • トレムセン首都での大決戦にイングランドのおかげで勝って50個連隊はベンガジまでの大撤退。これで時間稼ぎができ、トレムセン領の全土占領に何とか成功。クレタの独立と1州の返却で和平してもらえた。

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叛乱祭りの始まりだ 1485-1488

叛乱率70%超えが5箇所もあり、いずれも数年内に蜂起は必至の情況。

  1. まずバレアレス諸島で蜂起。輸送船を沖合で待たせて3回挑んだが占領は防げず、占領後の翌月に奪い返した。
  2. 鎮圧するなりサルディーニャ島で蜂起、先のバレアレス鎮圧で士気が高まっていた状態で待ち伏せていたので占領阻止に成功。

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  3. 続いてシチリア島パレルモで蜂起。開発20の州なので、叛乱が発生したら太刀打ちできないと思って見捨てていたが、フタを開けてみると意外と少なくて、10個連隊だけだった。
    しかし隣はアラゴン領で、パレルモが占領された後、間違いなくそちらへ去っていくことから、あえて鎮圧せず放置して後回し。
    叛乱軍はアラゴン領メッシナで対岸のナポリ陸軍と睨み合っていたが、最終的にはアラゴン海軍が輸送してきた陸軍に力押しで撃破された。

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  4. モロッコ殲滅戦の最中に、ベンガジでマムルク分離主義者が蜂起。ただしここには要塞があるので、モロッコ占領が終わってから向かい、攻城戦は7%まで進捗していたものの間に合って、易々と討伐に成功。
  5. 最後にモロッコ西南の Sus。マムルク分離主義者討伐が終わり次第、すぐに大返しで戻ったが、向かう途中で蜂起してしまい、2州のうち1州は占領されてしまった。しかし2州めの占領は許すことなく討伐した。

モロッコ殲滅 1487

もう2州しか残っていなかったモロッコを消滅させた。残しておくと包囲網に加わってウザいので。

1488時点の情勢と属国の状況について

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属国その1 グラナダ Granada

摂政政治が明けて最初の戦争で、武力併合により属国化した。1488年になってようやく、外交併合が可能となった。

グラナダ本領3州以外に、旧モロッコ領に4州(領有権主張あり)、旧チュニス領(なし)に2州の飛び地がある。

外交君主力は908必要であり、外交評判がイベントで+1されて+3になった状態でも併合には11年以上かかる。

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さらにそこへモロッコから1州を奪って与えたら、必要な外交君主力は968に増えて所要期間が1年くらい増えて12年になった。

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教皇庁影響力50を使って、さらに外交評判 +1しても10年位はかかるが、ポルトガル本土に近い州が多く早く直轄領にしたいので、併合は始めることにした。

外交君主力は +6 なのだが、併合中は -6 されてしまうためゼロになる。

属国その2 アルジェ Algiers

チュニスから独立させ、トレムセンの中核州を奪還させた。
チュニスTunis に領有権主張はなかったが、無理矢理与えたので飛び地になっている。

トレムセン Tlemcen 領3か所とシチリアの2州に領有権主張をつけており、なかなか貪欲だが、まだ与えることができていない。

外交君主力は516で、所要期間は7年くらい。
もうちょっと大きくなってから併合がよさそう。

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属国その3 トゥーグラ Touggourt

周囲全部にどんどん領有権主張をつけてくれる、なかなか優秀な傀儡国家。
ただし領有権主張を引き継ぐべく武力併合したため、まだ併合は始められない。

属国その4フェザーン Fezzan

過剰拡大を0%にすると外交評判 +1 になる使命を発動しており、早急に過剰拡大を減らしたかった。フェザーン回廊に陸軍の見張り付きで植民を開始しており、いい機会なので独立させてみた。

もっとも、フェザーンは大した開発力の要らない州ばかりなので、最初から中核化しておけばよかったのだが...数年前の判断ミス。

1488年までの総括

攻撃的拡張 Aggresive Expanshion が250という絶望的な水準で包囲網を即組まれた

チュニスの絶滅を急ぐあまり、領有権主張が無い旧チュニス領をグラナダ、アルジェに与えたことにより、マムルク、オスマン、トレムセン、トリポリに包囲網 Coalition を組まれ、10万近い陸軍と6年間も死闘を演ずるハメになってしまった。

傭兵主体の陸軍となってしまい、貯金はゼロ...

何とかクレタの独立と1州の譲渡で済んだが、人的資源が早々に尽きて傭兵主体の陸軍で戦い続けた結果、貯金はまったく無く、2回分の借金を背負うはめになってしまった。戦争税 War Tax を常時発動していたのに、この体たらく。

とはいえ200ちょっとなので、西アフリカや新大陸の貯金箱を割れば多分返せると思う。

厭戦気分が高止まり

アラゴンとの戦争中に発生したマムルクを中心とする包囲網との長期戦で、厭戦気分 war exhaustion が5~8くらいで高止まりして、普段なら滅多に叛乱が発生しないようなバレアレスなどでも叛乱を発生させてしまう事態となってしまった。戦争中に2回ほど厭戦気分を下げるイベントが発生したが、焼け石に水だった。

また2つめの政策 Ideas である探検アイデアの獲得を急ぐあまり、安定度 +2を長引かせたのも良くなかった。そのかわりコロンブスはゲットできたが。

トリポリ(トレムセン)殲滅 1491

和平期間が終わったその日に、トリポリに宣戦布告。包囲網組まれたら面倒だからな。
外交君主力が惜しいので、個別和平はせずに全体和平。トリポリは100ダカットを奪われたうえ滅亡、トレムセンからは外交コストをあまり使わない範囲で奪える限りの州を奪った。

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これで北アフリカは属国同士が全部陸続きになり、敵国はトレムセンとマムルクだけになっている。

...と、ここまでプレイしたところで最新パッチがリリースされ、大きく仕様も変わった。DLCも買い足したため、これにて終了。まあ、攻撃的拡張の管理に失敗した以外は健闘したと思う。 

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