ポルトガルAAR イベリアン・アップデートはカスティリャと仲良く(その5)
ここまでのあらすじ
欧州方面を同盟国のスペインに抑えられ、定期的に新世界・西アフリカの残敵掃討を続行するポルトガル。
- 北アフリカでは、チュニスをスペイン領マグレブにされてしまったので、そのまま放置。
- 西アフリカでは、カティナは併合が完了。残ったソンゲーなどを定期的に襲って領土を削る。
- 中央アフリカでは、キリスト教化しなかったコンゴが覇者となっていた。
これを襲って海岸沿いを奪取、内奥部には別国家を独立させて毒を撒いたが、まだ停戦期間中であり何も起こらず。 - 南アフリカ、東アフリカはスペインに植民地化されてしまった。
インド洋方面のモーリシャスなども抑えられてしまい進出に失敗した。 - 新大陸はブルターニュ、大英帝国、デンマークなどが最寄りの島には植民してきたが、そこから先はポルトガルで独占
- あまりにもやることが無いので、マムルク攻めで陸路を確保したついでにライバルのオスマンに噛みついてみる
といった感じになった。
宗教戦争はカトリック同盟がほとんど広がらないまま、新教連盟に攻められてマインツがオーストリアを蹴落とし、神聖ローマ帝国皇帝に成り上がっていた。
だんだんやることが無くなって、プレイヤー厭戦になってきた。
1562年3月、ポルトガルの現況
国王は摂政マリアの後、8代目のアントニオ1世で 3-3-0。後継者は幾分マシな 0-5-3 ではあるが劣化は改善の兆し。個性は久しぶりにまともで、3個のうち2個ともが良属性となっている。
ただし温厚 calm のほうは大して役に立たないのだが。
属国はマリ Mali のみ
無理やり属国にしたので、攻撃的拡張 AE の影響でマイナス180もの最悪の印象が尾を引いており、相変わらず併合できない。
これなら併合後、独立させたほうが楽だった。
同盟国はスペイン、ヌペ
ヌペ Nupe は使命達成の方便として同盟したのだが、同盟を切り損ねて今に至る。
周り全部ポルトガルなので、戦争による同盟終了もあまり期待できない。
アイデア ideas
この時代を象徴するアイデアグループ、人文主義 humanist の取得を進め、あと2つでコンプになりそう。コンプになれば栄華のポイントが増えるはずだ。
制度 institution
いまだに首都リスボンにおいてすら、活版印刷は受容されていない。
まだまだかかりそう。
リーダ leaders
オスマンとの戦争で陸軍伝統は 60強に復帰、海軍伝統は探検航海により100に復帰しそう。
将軍たちは加速しか付いておらず凡将だが、意外に長生きしており数は十分だ。
諸身分 estates
人文主義の何個目かのアイデアで分離主義の年数マイナス10を引いて以来、不穏と叛乱は収まっている。忠誠40を下回らない範囲で、聖職に与えた土地も取り戻し始めた。
フランス付きブルターニュ攻めしかないようだ・・・
新世界とコンゴは一応開戦はできる状態にあるが、
- 新世界は土地自体が孤立しているうえ痩せ地
- コンゴは防諜網が強く1州しか領有権主張を付けておらず、周りに別の国もない
ので今後の展開が難しい。つまり簡単に勝てるかわりに長期的な利得は少ない。
こうなると、本格的に欧州進出を考えざるを得ない。
あくどいことを考え中…
欧州方面の国境が全てスペイン領に遮られているので、植民地に領有権主張を付けて開戦事由を獲得し、和平交渉で領有権主張無しに飛び地を確保するしか進出方法はない。
これができるのは新大陸や西アフリカで植民競争を行っているブルターニュ、大英帝国、フランス、デンマーク。
このうち大英帝国はオスマンと並んでライバルになっているので本命だといえる。
しかし大英帝国は海軍が健在であり、以前のような幸運に恵まれない限りアシカ作戦に失敗するリスクがあるので、まずは戦況に応じて陸路でも海路でも選べるブルターニュを攻める。ジェノバを抑えているトスカナを同君下位にしており、イタリア半島にもついでに進出できそうなのもよい。
大英帝国がハイエナでフランスあたりと開戦したところで和平し、横槍を付けるのがいいだろう。その後、大英帝国の交易圏を奪取できれば、新大陸の富も活用できるようになるはずだ。
フランスは現在ハートマーク付きなので、いつかは同盟したいが、ブルターニュと同盟しているため巻き込まざるを得ない。領土を取らなければ関係悪化は抑えられると思うが。
なおオーストリアもハートマークなので、外交枠を空けて同盟しておくのも一手かとは思う。
開戦準備中にツマラン戦を始めるスペイン
わかったよ、代わりにやっておけばいいんだろ?
新世界攻略
新世界で現地部族同士で争い始めたので、横槍を入れることにした。
3州ほどもぎ取って植民地国家が10州になり、商人が増えた。
新世界の西端でシボラ Cibola 探索を開始
陸上は未探索だった最西端の島々にコンキスタドールを送り込んだ。
するとシボラ探索が開始された。
未探索の陸地自体が残り僅かなので、発見に至るかどうかは分からない。
以前に発見したことはあるが、確定しなかったら無かったことにされたことがあるので、今回は留意したい。
大したことない感じのシボラ Cibola 発見
約15年後、おそらくは部分的探索成功の結果で終わった。
マラッカと衝突
南シナ海を探索していったら、マラッカが発見され、さっそくマラッカ事変が起きた。
貿易戦争 Trade War では領土はもらえない(同盟国からは貰えたかも?)ので、わざわざ遠征して仕掛ける気も起きない。
1966年、ブルターニュ・フランスへ宣戦布告
ピレネー越えで攻め入る。
開戦直後だけはフランスの要塞を全く無視して、ラブールからブルターニュへの進路を直接指定できたので、1隊はそのまま陸路でブルターニュまで駆け抜けさせた。
道中ブルターニュ陸軍と遭遇したが、蹴散らして予定進路をただ前進。近隣の港を落とした後、輸送船で増援を送り込み、フランス軍が来たら撤収する覚悟(?)でコタンタン半島の攻囲戦を行った。
残りの2隊は南フランスの東西から攻め入ったが、西の1隊はさっそく陸戦に敗れてリスボンまで逃走した。東の1隊は見張りのつもりでナルボンヌに1個連隊を置いていたが、フランス軍がオランダ方面に行って戻ってこず、スペインが援軍を増派してくれたので攻囲戦が進むようになっている。
ブルターニュの同君下位トスカナは、ジェノバとフィレンツェをスペイン軍が陥落させた。しかし何故かピサは攻囲戦を行ってくれなかったので、ポルトガル軍の増援を送り込んだ。
アフリカ征服のおかげで100個連隊を動員できるようになり、戦争が楽しくなってきた。
この戦争の最中にも、オランダとナポリは叛乱軍が猛威を振るっている。
オランダは悪名高き叛乱イベントだろうか?
ナポリは多分これで3回めぐらいの大規模動乱となっている。
フランスの隣にも大量に叛乱軍が湧き、フランス軍に特攻をかけて斃れていった。
1968年、ブルターニュからフィニステレ岬を奪って和平
アンジューの攻囲戦をしていたところに、フランス軍が殺到。
砲兵ばかりで戦闘幅を満たせず、劣勢なので戦闘中にブルターニュと和平した。
新大陸にあった植民地2か所、西アフリカ南岸のケープ・コースト、フィニステレ岬の要塞を奪った。これでブルターニュ、フランス、大英帝国の本土が射程内に入ったので、大英帝国に領有権主張を仕込み始めることにする。
1569年、オスマン開戦
とりあえずフロに領有権主張を2つ付けたので、これらを割譲させた後、陸軍を全て地中海西部に戻す。
マムルクさんがまたオスマンに攻め入られて危篤状態。
マムルクに付けさせた通行権はまだ生きているので、オスマン陸軍を叩きに行くことにした。オスマンの拡大を防ぐだけでも意味があるだろう。
カスティリャも叛乱鎮圧して陸軍がナポリで暇しているので、おそらく北からオスマンを攻めてくれるものと期待する。
スペイン海軍は大型船も14隻持っているので、オスマンの大型船7隻、ガレー 58隻にも対抗できるだろう。ポルトガルも早期型カラックなら5隻持っているぞ。
なおオスマンとチュニスは同盟しているので、チュニスも付いてくる。瞬殺だが。
しかしスペイン無敵艦隊は、オランダの叛乱鎮圧に向かうのだった。
おお~い?ちょっと?まずこっち手伝ってくれねえか?
スペイン無敵艦隊は、兵士を載せずに戻ってきた。
マムルクが和平してしまい、スペインは陸軍を寄こさないため、オスマン陸軍にポルトガル一国で立ち向かうはめになった。
数の上でも、将兵の質においてもオスマンを下回っている上、敵地での戦闘となり危険極まりない。展望が見えないので、テトゥアンの独立、いささか重荷になっていたマリの属国解放などで和平することにした。
まあライバルへの宣戦布告によって、戦力投射 power projection を10稼いだから、それでいいとしよう(負け惜しみ)。
なおスペインの大型船14隻からなる主力艦隊は、柱島(バレンシア)を一切出ることもなく、ただ傍観しているだけだった。出撃しているのは輸送艦・小型船・ガレー中心の艦隊だけだったという、まったくの期待外れっぷり。
これを機に同盟を組み替え
マムルクの通行権は撤回され、マリは独立させられた。
外交枠が2つ空いたので、今後の欧州攻略に向けて同盟を締結する。
1573年、コンゴ攻略
防諜網が強くて1州しか領有権主張はつけられなかった。
僭称者が正規軍を叩きのめした後、攻め込むことで人的資源を節約。
1573年、ナウルから世界周航を開始
あちこちの地図を貰いまくって威信をマイナスにしてから、世界周航を開始させる。
威信100に戻った。海軍伝統40のほうはすっかり忘れていた。
アントニオ1世、崩御
アントニオ1世は死すとも、温厚 Calm の効果は死なず。
有効である間に安定度を上げておく。
1575年、キプロス救出作戦
キプロスが地の利を生かしてベネツィアの上陸作戦を阻んでいる。
自分が一位とばかり思っていたが、ベネツィアの方が大金持ち。
罰金でももぎ取ってやろうと思い、和平強要で参戦することにした。
1576年、ついに帝国 Empire となる
開発が1000に達したので、帝国に格上げする。
なお嫁と息子はなかなか優秀。というか早く代われ!
オランダだけは要らないわ…
ポケットを叩くと叛乱軍が3万、もひとつ叩くと叛乱軍が5万。
挙句の果てに
1578年、ベネツィア占領。たったこれだけ?
キプロス、ナクソスに引き籠っている陸軍はとても倒せないが、首都近辺はガラ空き。
艦隊をうまく釣り出して、首都ベネツィアに陸路で入り、占領した。
膨大な金を持っているはずなんだが、これしかもらえない。
クレタ、ナクソス、ダルマチアと賠償金少々を貰うことにした。
なおキプロスはベネツィアに併合された。ちっとも救援しとらん w
フランスとオスマンの死闘
すごい数同士で殴り合っている様子だ。
オスマンの人的資源は払底したようだ。 実はフランスも。
1576年、いまこそオスマンへの報復の秋!
前回はマムルクが途中でくたばったため、単独でオスマンと向き合うはめになり、逆に和平を乞う結果となったが、今回はハンガリー、教皇領、フランスと拮抗しているのでチャンスかもしれない。
1580年、いまこそブルターニュ(フランス)侵攻の秋!
国境の要塞は全て無人となっている。今こそ!
フランス・ブルターニュともに要塞が予備役になっていたため、緒戦は奇襲となった。
1582年、両国と和平
フランスは共戦国でもないので、ギニア湾岸の植民地割譲、屈辱、賠償金で和平。
ブルターニュからは順当に領土獲得。
戦勝点が余ったので港湾も利用できるようにはしておいた。
トスカナを従えているので属国にすることも考えたが、外交君主力が200近くかかるし、いつトスカナが独立してもおかしくないので諦めた。
1585年ごろ、やはり独立戦争になっていた。
1582年、マリから独立したヤテンガ攻略
わずか2州、同盟国ソンゲー。
ヤテンガは全土終了、ソンゲーからは首都ガオ Gao を奪取して終了。
1582年、再びオスマンに襲われたマムルクを再び攻略
またキヒラを攻囲されているマムルクを、また西から攻める。
1586年頃。オスマンだけでも手に負えないのに、周辺4か国からハイエナされてなすすべがない。
ポルトガル軍はやることがないので、全ての州をペンペン草も生えないように完全に略奪して稼いでいる。
1586年、チュニス(とオスマン)を始末する。
チュニスに少々、ハンガリー方面に多数の歩兵・砲兵を集結させる。
オスマン陸軍が戻る前に、なるべく多くの要塞を陥落させ、戦勝点を稼いでチュニスと和平するという算段だ。
まずはマムルクと和平
前回と概ね同じ和平条件とした。
外交官を全員戻し、奇襲の構え。
開戦の翌日にオスマン領に到達し、そのままコンスタンティノープルまで驀進するように、あらかじめ移動をかけておく。
ひたすらコンスタンティノープルへ直進
1個ずつ落としながら、ひたすら前進を続ける。
計算が狂った…
北辺に守りはいない…と思っていたが、ちゃんと居た。
チュニスに賠償金少々と領土1州を譲って和平。
さきほどの2万5千がコンスタンティノープルの先鋒を襲った。
無理な移動だったので、退却先が隣のエディルネ(未占領)になってしまった。
エディルネに残してあった端数の砲兵と合流させ、さらに西に退却できるようにはしていおく。しかし当然ながら、オスマン陸軍が追い討ちをかけてきたので、全滅させられる前に和平することにした。
ゴミ領土1つと少額の賠償金で許してもらえた。チュニスが当事国だからだと思うが。
1588年、新世界再遠征
3国鼎立している島の中で最弱のオパタ Opata なる国を攻略。
いつか属国にして、もう1つの国を攻める材料にするために半島の先端部1州のみにして和平。
1588年、スペイン・教皇領から同盟切られる
突然、この2国から同盟破棄の通知が来た。
調べてみたところ、新世界でスペインがトルデシリャスで抑えている島にも植民していたのが不興を買っていたらしかった。
すでに4か所同時に植民中なので止める気はないが。
1588年、ハンガリーから1州脅し取った後、オスマンがハンガリーに侵攻
トスカナとしか同盟しておらず、まあ弱いのは明らかだな。
1589年、フランスの域のかかった教皇に破門される。
これは痛い。教皇庁影響力90を使えるだけ使って、次回の教皇投票に賭ける。
毎年5ずつ教皇庁影響力が減るので、長引くとやばい。
1590年、西アフリカにトドメを刺す。
フロ、トンブクツ、ソンガイ、エア、ヤオをまとめて葬る予定。
まだ後背地を残しているソンゲー以外は、滅亡となった。
ティンブクトゥは都合により、併合せず属国とする。
西アフリカ東端部は、属国のカネム・ボルヌが領有権主張を付けていたので、そこに吸収させた。なおカネム・ボルヌ自体も現在、外交併合中なので数年後にはポルトガルに吸収される見込み。
ソンゲー旧領のうち、ティンブクトゥの中核がある部分については、中核化を行わず、そのまま属国ティンブクトゥに引き渡す。行政君主力がもったいないので。
1592年、教皇庁支配者となり破門は自動的に解除
フランスに破門され、教皇庁影響力は一切増えない状況になって数年。
投票が行われた結果、教皇庁支配者の地位を奪回した。
奪回と同時に、破門は解除された。
アントニオ死す
破門を解除されたのも束の間、アントニオは天に召された。
能力 6-5-4 の鬼嫁が摂政となったが、息子はすでに14歳なので任期は1年もない。
ここで廃嫡するのもリスキーなので、これは容認するほかないな。
まあ 4-5-2 でもマシなほうではあるし。
つづく