ポルトガルAAR カネの亡者(その6)アラゴンを攻め崩して交易収入は激増
前回までのあらすじ
宗教改革の時代 Age of Reformation へ
発見の時代 Age of Discovery は終わり、宗教改革の時代 Age of Reformation へ。
プロテスタント Protestant への改宗はタイミングを逃してしまい、いつの間にか3つめの改革中心地が出現していたので諦めた。
相変わらずカトリック Catholic のままだが、いっこうに教皇長支配者 Curia Controller に再当選しない。
包囲網戦争が勃発
シエナ Siena に進出後、ジェノバ Genoa の領土を2つほど奪ったところで周辺国が軒並み激おこ国に。
ついにフランスから包囲網戦争 coalition war を仕掛けられた。敵の数が多過ぎて、スクロールしないと確認できないが、他にオスマン、ヴェネツィア、ミラノ、マントヴァ、スイスなどが敵に回っている。
西アフリカではティンブクトゥ Timbuktu で叛乱蜂起中、スース Sus の叛乱進捗90%で大変な時なのだが仕方ない。
新大陸は未だ探検中
新大陸 new world は思っていたよりもさらに大きいことが判明。
いまだにコンキスタドール conquistador による探検 exploration は継続中だ。
- 手前側の島には5州めの植民を開始したところ。植民地国家 colonial nation の1つめが成立間近。
- 遠方の大陸には植民距離ギリギリのところに1州、植民を行っている最中。
完了したらさらに遠くに植民して太平洋発見を目指す。 - 旧世界では南アフリカに2州ほど植民中。
スパイの頭目が70歳で死亡、後任はスパイの頭目
もっとマシな外交顧問 diplomatic advisor が出てほしいが、この顔ぶれでは修正 +1 のスパイ Spymaster がベストチョイス。
貴族階級 noble estates との取引 interaciton で関係改善 improve relation の顧問を出したいところだが、目下のところ包囲網戦争中で資金が不足しそうなので今は控える。
1507年、アラゴン Aragon が教皇領 The Papal State に宣戦布告
この欧州大戦の最中、我関せずとばかり教皇領に宣戦布告するアラゴン。
戦力は拮抗していると思うが、勝てる自信があるのか?
1508年、もうやめてボヘミアのライフはゼロよ!
敵より先に、叛乱軍に要塞を落とされてしまっているので、ある意味、戦勝点の低下を防げているボヘミア。
オスマンの大軍はズルいよ
オーストリア Austria、ボヘミア Bohemia ではオスマン Ottomans がやりたい放題。
オスマンはボヘミア領内の反乱軍もあっさり始末した。
ベネツィア Venice とオスマンの連合艦隊もズルいよ
本来、互いに削りあうべき両国が呉越同舟で襲ってくる。
大型艦7隻、ガレー45隻は尋常ではない。
1509年、イングランドの大陸領2つと引き換えに全体和平
オーストリア、ボヘミア首都が落とされており、いつ離脱されるか気が気ではないため、早めに停戦させることにした。
海軍総出で沿岸封鎖したが、戦勝点は大して増えなかった。
戦勝点はプラスだが、かなり譲歩させられ、こちらからコタンタン Cotentin、カーン Caen を差し出すことになった。
イングランドはスコットランドとの個別和平で数州獲得した代わりに、大陸領をまた2つ失った。
今回は
- 軍事技術 military technology がトップレベル
- 顧問 advisor により規律 discipline を +5%底上げ
- オーストリア、イングランドの攻勢に相乗りできた
- 要塞のある港町に後から入港して不意打ちするいつもの手口で、数カ国の陸軍を殲滅
などにより、野戦での勝利が多く、戦勝点はプラス10強で停戦に持ち込めた。
他の得失としては:
- 中途半端な戦力のフランス海軍からは、大型船2隻を捕獲
- 後継者を何度も野戦に参加させたが生き延びた
- 資金は1000以上の減少となった
- スース Sus、トゥーグラ Touggourt、ソンゲー Songai の反乱は即時には鎮圧できず占領を許した
- 最優秀だった提督 admiral と将軍 general は戦時中に引退して後任は平凡になった
といったところだ。
同盟が強力だったので、大規模な包囲網だった割には傷は浅くてすんだ印象だ。
1509年、チュニス Tunis がマムルクに宣戦布告
いや勝ち目ないでしょ。いくら何でも。
ポルトガル領で分断されており通行できないため白紙和平 white peace となった。
戦争中に大量にマムルク領に湧いたフェザーン分離主義者によってフェザーン Fezzan が再興された。
これすら鎮圧できないとは、マムルクの戦力は相当低下しているようだ。
宗教動乱 Religious Turmoil の災厄が発動
撃破するつもりで要塞 fort をオンにし、翌月に、融和しない方の選択肢を選んだ。
しかし要塞とは関係なく、イベント効果でバレンシア州 Valencia は一瞬で占領されてしまった。
モロッコ Morocco 攻略中で忙しかったため、しばらく放置しておいたらリスボン Lisboa にワープした。
リスボンの方は一瞬では要塞は有効であり陥落せず、普通の攻城戦となった。
落ち着いたところで軍勢を集めて撃破した。その後、バレンシア州を奪回したが宗教動乱は終息しなかった。
25年が経過するか、宗教統一度 religious unity 90%以上が必要らしい。
しかしこの災厄のおかげで、貴族の影響が100%なのに災厄カウントダウンが止まっており、これはこれで助かっている。
1510年、チュニス・スース攻略
消化試合。
1511年、アラゴン攻略に誘われた
カスティリャ軍が急にアラゴン方面に移動を始めたので、おそらく開戦だろうと思って端数の陸軍を本土に移動させたり、徴兵を始めたりして準備しておいた。
国境に着く前にカスティリャは宣戦布告して開戦となった。
100名前後の端数部隊で州を抑え、カスティリャとの州の争奪戦は全勝した。カスティリャにアラゴン主力を倒させたが、州は1つも占領させず。
完全編成の陸軍のほとんどはマーシナ Macina、マリ Mali 攻略中なので、終わり次第、欧州に戻って参加する予定。
弱ったマリは、コング Kong からも宣戦布告された。
しかしその後、マリは叛乱天国となり、コングはもとより誰も手が出せない状態となった。
主力がアフリカに居てチュニスの叛乱3万以上は鎮圧できないので、軍事君主力 military monarch power を158点も使って抑え込んだ。
フランス France はブルターニュ Britany に宣戦布告。
イングランド England とフランドル Flanders が防衛に加勢するようだ。
後継者がらみのイベント連発
厭戦気分 War Exhaustion が2も減少する生命の奇跡 The Miracle of Life イベント。
その一方で、後継者のジョアン Joao が狩りの事故 Hunting Accident で死亡。君主としても将軍としても優秀だったのだが・・・
しばらくして後継者 heir が出てきたが、この低脳は耐えられない。一秒で廃嫡を決めた。
しかし、廃嫡ボタンが出てこないぞ?
翌月にならないと、廃嫡ボタンは表示されない仕様だったらしい。さようなら。
威信50を投じて廃嫡 disinherit し、もっと優れた後継者の誕生を待つ。
とはいえ君主はもう44歳なので、早く生まれないとお家断絶の危機だ。
1515年、アラゴンと個別和平
アラゴン軍17,000が引き籠るイビサ Ibiza 島を除くアラゴン、ナポリ Napoli の全土を占領したのに、カスティリャが一向に全体和平をしてくれない。
仕方ないのでアラゴンの同盟国ハンガリー・モルダビア方面に向かったが、カスティリャ軍はイベリア半島に引き籠っており、何ら協力してくれないという嫌な状態だ。
まさかここまで来ないだろうと思ってモルダビア Moldavia に砲兵だけの軍を送って攻城戦を行っていたが、ハンガリー Hungary の主力が殺到。危なく見落とすところだった。
このままだと捉まってしまうので、スース Sus に送っていたスパイを慌てて帰国させ、アラゴンと個別和平。アラゴン領3つを奪取、残りの戦勝点で一時賠償金を獲得した。
その他全ての占領地がアラゴンに復帰。
カスティリャとアラゴン、ナポリ、ハンガリーは戦争継続となるが、ナポリ、ハンガリーは健在なので、簡単には終わらないだろう。
1515年、プファルツ継承戦争 Palatine Succession War を始めていたオーストリア Austria に呼ばれる
プファルツ以外の主力は全て北欧諸国という、北方戦争のようなものでありポルトガルとしては興味が無いが、オーストリアとの同盟維持のため参戦した。
アラゴン戦争で借金 loan を背負っていたのだが、お構いなしに呼び出されてしまった。
戦争はそっちのけで、国内叛乱鎮圧に奔走
北欧諸国を攻めるにしても、制海権を取って沿岸偵察くらいはできないと危なくて仕方ないので、とりあえず大型船5隻をポルト Porto で修理させている。
その間も、西アフリカ・北アフリカでは続々と叛乱進捗80%以上になっており、付近で陸軍が常時待機している状態だ。
つづく