ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
アフォンソ5世 Afonso V 即位までは、君主力 monarc power を貯めつつ外交施策で参戦機会を伺う。今回はトレムセン Tlemcen と同盟 alliance することができた。
1446年2月、モロッコ Morocco がトレムセンを狙っているとの噂
事前報告ありがとう。
セウタ要塞 Ceuta をオン、海軍 navy の予備役 mothball を解除して開戦に備える。
タンジール要塞 Tangiers の守備兵 garrison ゼロのままになっていたので、数か月後、開戦直後に陸軍1個連隊でいきなり占領できた。
チュニス Tunis がトゥーグラ Touggourt とグラナダ Granada に宣戦布告
チュニスにとっては余興の如き戦いだが、この2か国は相当離れているので、トゥーグラ完全占領後も多分長引くことだろう。和平強要 enforce peace による参戦も視野に、関係改善 improve relations は行っておく。
恐るべしマラケシュ Marraksh の3つ星将軍
北アフリカを舞台に2つの戦争が同時進行となっているが、とりあえずポルトガルの敵はモロッコとその属国 subjects のみ。モロッコの属国たち、兵数は少ないが白兵6、攻城4の3つ星将軍 general がいるなど、けっこう侮れない。
モロッコとはいつも通り、主力との衝突は避けて機動戦
セウタ Ceuta を囮にして後背地に上陸し属国から落としていく、いつもの作戦。
スース Sus、タフィラルト Tafilalt の首都はそれぞれポルトガル、トレムセンで陥落させた。
何とか全軍の半数以上、10個連隊をかき集めて、マラケシュのレベル2要塞を攻囲 siege する構えだけは見せている。しかし、モロッコ軍主力が近づくたびに逃げざるをえず、敗走させられた同盟国の陸軍が戻ってくるための時間稼ぎにしかなっていない。
陸路でチュニスに向かおうとするトゥーグラ同盟国グラナダ Granada、モロッコに向かうトレムセン同盟国ジェリド Djerid、占領された後背地を奪回しようとするタフィラルト Tafilalt の陸軍などが入り乱れて大変見苦しい。
1449年7月、マラケシュ除いて全土を占領
我が国にも攻城3の将軍が出現したので、トレムセンの協力を得て首都フェズ Fez を迅速に落とすことができた。モロッコに奪回されたスースを再度奪回し始めている。
マラケシュ要塞を落としたいところだが、モロッコ陸軍のフルスタックが健在で、頼みのトレムセン軍は近づいても来ないので、そろそろ和平しようかと思っている。
1450年5月、カスティリャ Castile にマラガ Malaga 横取りされた
カスティリャがグラナダに宣戦布告した2か月後に、ポルトガルも停戦が解けたので宣戦布告。首都グラナダ Granada はカスティリャに先取されたが、マリヤ Marriya、マラガ Malaga、ジブラルタル Jabal Tariq はポルトガル軍が先取した。
しかしポルトガルがマラガを落とす直前(陥落確率28%)にグラナダがカスティリャと和平。グラナダだけでなくマラガまでとられてしまった。多分カスティリャの中核州 core だったのだろう。
トレムセン・ジェリド軍と協力してスース再占領
トレムセン軍がようやく南下してきたので、スース首都の再占領までは何とか成功した。残るはマラケシュ要塞だけなのだが、ここで農民反乱 peasants rebels が発生。そろそろ潮時だ。
1450年11月、モロッコと個別和平
つい忘れがちになるのだが、この戦争はトレムセンが当事国の戦争なので、ほどほどのところで自国に都合の良い条件で個別和平 separate peace して離脱することにした。
交易力移転 transfer trade power はムリだったが、賠償金 War Reparations は取れるだけとり、領土としては
を確保した。厄介な属国のうち、マラケシュの宗主権 overlordship は放棄させた。
メリリャを確保できたので、アルメリア Almeria の方は金持ちのカスティリャに183ダカットで売り払った。
その数か月後、グラナダ全域で分離主義者の大叛乱が発生した。
いやはや、売り払っておいて正解だったわ。
1451年、トレムセンもモロッコと和平
タフィラルトは併合され、スースはモロッコから解放された。
これでモロッコは丸裸になったので、停戦 truce 切れになり次第、各個撃破すればよい。
共通の利益 A Shared Interest イベント
気さく(=外交力が高い)な王妃 consort のおかげで良いイベント発生。
- アフォンソの外交力が1増える(確率20%)
- 外交君主力 diplomatic monarc power を100獲得(確率80%)
とのこと。結果は君主力だった。
1455年10月、教皇庁支配者 PAPAL CONTROLLER に当選
教皇庁影響力 papal influence を2回投資し、フランスを出し抜いて当選した。
1456年12月、ブルゴーニュ公頓死
ブルゴーニュ公が頓死し、低地地方はオーストリア領 Austria になった。
このイベント、最近、発生しにくくなったと思う。
低地地方がオーストリアになるか、カスティリャになるかはどっちでもいい(後でオランダ独立で荷物になるし)が、フランス France の棚ボタだけは何か腹立たしい。
1457年10月、ジョロフ侵攻
カポ・ヴェルデ Cape Verde に植民した直後に、ジョロフ Jolof に領有権主張 claim を2つ付けて宣戦布告した。植民地 colony 成立するまで州 province は奪取できないので、とりあえず賠償金稼ぎ。
モロッコからの賠償金で旗艦 flagship を建造したので、当月内に上陸できる上、上陸戦ペナルティ(マイナス2)も付かない。ポルトガルのフュージリア、末恐ろしいわ。
イベリア半島 Iberia では、カスティリャ継承戦争 Castilian Civil War が始まったようだ。僭称者 Pretender Rebels の一人はアラゴン Aragon に支援されているらしい。
人的資源 manpower はわずか2000でも惜しいので、2つめの選択肢を選ぶ。
この程度の叛乱なら、現政権側が必ず勝つだろう。西アフリカで被るであろう損耗を想像すると、たとえ2000でもキープしておきたい。
1459年3月、ほぼケリがついた
マーシナ Macina、ジェンネ Jenne についても全土占領に入った。
ここでも攻城3の将軍は大活躍。
野戦軍は弱いが、土地柄による損耗 attrition が多い西アフリカでは、攻囲期間中の2~4%の損耗が無視できないので、北アフリカ・欧州におけるよりも攻城ボーナスは価値がある。
土地は一つも奪取できないが、3か国からそれぞれ賠償金をかき集めた。
ジョロフは戦勝点 War Score が余っていたので、寄港権を強要 Enforced Fleet Basing もしておいた。岬の向こう側に寄港権があると、植民や侵攻のさいにかなり便利なので。
1459年11月、カスティリャ継承戦争が終結
さらに仲良くなり、関係は最大値200になった。
1463年10月、マリ Mali 侵攻
ポルトガルがマーシナ、ジェンネの陸軍を全滅させて西アフリカのパワーバランスを崩した結果、ここら一帯は大荒れに。
教皇庁支配者で外交官 diplomats に余裕があったので、マリにもスパイ網 spy network を張っておいたところ、マリがジェンネに攻め込むつもりだという事前情報が流れてきた。外交枠も余っていたのでジェンネに独立保障をかけておいたのだが、お構いなしに開戦された。
敵方の勢力はマリ、コング Kong で合計2万強の陸軍を持っていたが、ジェンネ要塞はレベル2なので攻囲軍の9,000は無視できたのは大きい。ジェンネ陸軍9,000も後背地に退いており温存されていたので、牽制効果はあり、マリ全土占領はうまくいった。
首都ジョマ Joma を落としたところ、現地調達(略奪) Sack of Niami イベントが発生して、陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism が5も増えた。
途中で敵方にティンブクトゥ Timbuktu が加わったが、大勢に影響なし。
ジェンネ首都を奪回した時点で、マリから賠償金を取れるだけとって個別和平した。
そのあとジェンネはマリに併合されたが、まあこれは仕方ないな。
後継者ジョアン Joao がモロッコ人になる(?)
わが息子ジョアンは、モロッコで何かに目覚めてしまったらしい。
モロッコ人になるってどういうことだよ。でも10年間、モロッコ文化の州の不穏 unrest がマイナス3というのは、かなり良いなとは思った。
でも今は、該当する州は3州しかないのでモロッコ人になるのはやめとく。
1463年10月、トレムセンがモロッコ攻略を企画中との噂
トレムセンにフェズ Fez まで取られると後々、厄介なので妨害することにする。
トレムセンは同盟国なのだが、ポルトガルは密かにスパイ網を張り巡らせて裏切りの準備を進めていた。
ちょうど45点貯まっていたので、トレムセンの2州に領有権主張を付けることができる。
トレムセンを仮想敵国 rival に指定して同盟を切った。モロッコとの停戦切れは数か月後に迫っており、トレムセン側で呼ばれたくはないので。
モロッコ側についてトレムセンを叩く案も考えた。
そのためにトレムセンに警告を送る send warining ことや、モロッコに独立保障をかけることを試みたが、トレムセン・モロッコは強大すぎるからという理由でどちらも実行できなかった。
3か月後、トレムセン軍は叛乱で瀕死のモロッコに雪崩れ込んだ。
モロッコ軍は今のところ2000名しかおらず、同盟国はティンブクトゥだけなので、トレムセンがフェズに拘っている間に周り全部をポルトガルが占領するのがいいだろう。
モロッコへのスパイ網は60に達しているので、叛乱軍を支援すればフェズも横取りできるかもしれない。
2か月ほど遅れてポルトガルもモロッコ・ティンブクトゥに宣戦布告。
叛乱軍の支援 support rebels はトレムセンが攻囲中のフェズに叛乱軍が向かったタイミングで行って、共同でトレムセン軍を追い払う算段でいたのだが、叛乱軍も馬鹿ではなく、フェズには行ってくれなかった。よくよく考えると、要塞はモロッコのものなので、反乱軍は要塞の防御側にはなれない立場。わざわざ挑むとも考えにくかった。
もうフェズはトレムセンに取られたものと諦めていたところ、トレムセン軍が急にフェズから撤退した。いちおう置き石で総員79名のゴミ連隊 regiments を攻囲戦に参加させていたので、ポルトガルが奪取できる可能性が出てきた。
トレムセン軍は、叛乱軍がフェズに来るのを事前に察知して逃げたものと思いこんでいたが、実は違った。南方からティンブクトゥの本隊が攻めあがってきたのに反応していたらしい。
折角、占領し終えたモロッコ南部をティンブクトゥに奪回されるのは本意ではないので、スパイ網60を使ってモロッコ叛乱軍への支援を発動した。
味方になった叛乱軍は相変わらずフェズ攻略には協力してくれなかったが、モロッコ南部をずっと往復運動し続けることで、ポルトガルの支配地域を守り続けた。
はるか東方では、チュニスがムザベ Mzab・ジェリドに宣戦布告。
助けてやりたいところだが、ちょっと今は無理だ。
その翌月、今度はスース分離主義者がマラケシュから独立を勝ち取った。
ティンブクトゥ軍はトレムセンの方にはいかず、フェズを通過してセウタ Ceuta に向ってくるようだ。たとえ端数の1個連隊でも無駄にはできないので撤退させた。残念ながら棚ボタは失敗したようだ。
そこから一年半、ティンブクトゥ軍がセウタを攻略している真後ろで、ポルトガル軍がフェズ攻略を継続。セウタが落とされる前にフェズを落とし、何とか和平に持ち込んだ。
戦争目的 war goal のフェズをポルトガルに横取りされたトレムセンは、モロッコ攻略を諦めたようだが、弱ったモロッコに今度はマラケシュが襲い掛かる。2州しかないが、レベル2要塞があるので勝てると踏んだのだろうか。
そろそろ探検家 explorer でも出すか
やっとこさカポ・ヴェルデへの植民が完了したので、タダで探検家をもらえる任務 mission を完了させた。
さっそく公海上を捜索させたのだが、新世界は近くにはないようだった。
しょぼーん。
1468年5月、スース・トレムセン攻略
マラケシュはモロッコを滅ぼしてしまった。
まあそのうち、モロッコ分離主義者が蜂起して元に戻る気はしているが。
マラケシュとの停戦切れは大分先だし、トレムセンもライバル指定で同盟を切ってから数年しか経っていないので、別に何の恨みもないのだが、独立したばかりのスース Sus を攻めることにした。
もっとも真の標的は、スースの同盟国であるトレムセン。トレムセン陸軍が南端のタフィラルトに湧いたモロッコ分離主義者の鎮圧に出かけている隙に、無人のダーラ要塞 Dahra を最初に攻略した。
ここでも旗艦は大活躍。月内に上陸できるので、制海権さえ握っていれば、海岸沿いの無人要塞はほぼ一発で墜とせる。
好意 favor が10貯まっていたので、カスティリャ軍も勧誘した。
国内に大叛乱が発生しているというのに、まったく気にせずにスースに全軍を直行させるカスティリャ軍、かこいい。
落としたダーラ要塞にトレムセン軍が拘泥している間に、周りの州をどんどん落とす。
戦後を見据えてアラゴンの状況をチェック。アラゴンの後継者、女性のようなのでイベリアン・ウェディングのリスクはかなりありそうだ。
スースへ進軍中のカスティリャの目前にモロッコ分離主義者の叛乱軍が沸いた。
がんばって片づけてね。
最近覚えた海戦のマイクロマネジメント
海戦に入るさいに、艦隊単位で交戦させるのではなくて、全ての艦艇をバラバラにしてから交戦させ、士気がゼロになった艦艇だけを1隻ずつ退却させていくマイクロマネジメントがけっこう有効だと気付いた。
海戦に勝ったとしても、途中で味方に多くの損害が出たのでは意味がないので・・・
いつもなら先に沈められてしまうガレー船や小型船も救うことができる。もちろん大型船の不慮の事故なんかもありえない。
最後はカスティリャ陸軍無双となり、トレムセンの首都は陥落した。
1471年、アラゴンたちが攻めて来た
フランス France、サヴォイ Savoy、教皇領 The Papal States を引き連れて攻めて来た。
ポルトガルしか同盟国がないので、放置するわけにもいかず参戦する。総力戦に堪える資金もなければ人的資源もないので、とにかく陸戦はやらない方向で、いつもどおり海上からの奇襲を徹底する。
制海権がなければ話にならないので、まずはアラゴン海軍をマイクロマネジメントで狩りとりにいく。
マイクロマネジメントすること数回、カスティリャ無敵艦隊の助けも借りて敵海軍は一掃した。バレアレス諸島、サルディーニャ島、シチリア島などは占領したが、本土の重要拠点には全く手が出せない。
勝利に向けた展望は何も見えない中、和平を待ち焦がれつつ抵抗を続けて3年め。
島以外でも取れるところはと取り、味方船舶を入港させて奪回を防いではいるが決め手に欠ける。
維持費最低のままで出来ることだけ繰り返し行っており、一度たりとも大きな陸戦は行っていないので、3年経っているわりには厭戦気分 WE は2未満のままだ。
そんな中、国内ではなぜか異端どもの叛乱がポルトに大挙して湧く。その数、なんと2万3千。すでにリスボンに2万1千の貴族叛乱軍 noble rebles がいる中、とてもじゃないが鎮圧できない。仕方ないので反乱軍の出している条件を呑む。
フランス国内でも叛乱が発生し、フランス軍の半分とサヴォイ全軍はそちらに向かった。こっちも3万3千の異端なので、そう簡単には片づけられず、イタチごっこになっている。
フランス・サヴォイはフランス領内に、教皇領・ナポリ軍はイタリア方面に散らした結果、ついにイベリア半島でカスティリャ軍が反攻に転ずる。
さらに一年が経過、首都トレド Toledo を奪回し、ブルゴス Burgos の再包囲を開始した。開戦4年目にしてようやく、カスティリャ領の大半を取り戻した。
4年間、カスティリャのために必死に戦った結果、ナバラ解放と少しの賠償金で終戦となった。何と虚しい戦いだろう。
そしてアラゴンの後継者の娘は、いつの間にかお亡くなりに。ますますやばいぞ。
カスティリャは1000以上の借金を背負ったので、好意 favor を24もらったところで何の役にも立はしないという悲しさ orz
1477年、トレムセンがチュニスを平らげる
1478年、ジョロフ攻めの途中に最高の将軍を獲得
久しぶりに出た!A new champion of the joust で陸軍伝統100の将軍をくじ引き。
移動6、攻城4という、まさに鬼神のような将軍が引けた。
さっそくジョロフ戦に投入したが、すごい勢いで首都の防御が剥がされていく。
1485年、マリがフロを攻めるとの噂
マリに警告を送って send waring 牽制したのだが、やはり無視して宣戦布告された。
マリの金山 Gold 2か所に領有権主張が付け終わっているので、それを奪取することが当方の狙い。
しかしタッチの差でフロ Fulo の首都が落とされたため、賠償金のみの中途半端な和平を呑まされることになった。いちおう賠償金の9割はこちらにもらえたが、欲しかったのは金山なんだよ!
1487年、ついにブルジョア災厄の危機
残期間の計算を一カ月を誤り、ブルジョア Burghers の影響 influence が100のままで進捗95%を迎えてしまった。
ブルジョアに与えている封土はポルト Porto しかなく、陸軍主力は別の叛乱鎮圧のため北アフリカに遠征中なので、ここで蜂起させたら翌月に鎮圧することは難しいだろう。
最終手段として、西アフリカの territory の州を1つ、中核化して分母の方を増やすことで100%を割らせるという裏ワザを使わざるを得なかった。
1488年、貴族 nobles どもが一斉蜂起
国内のあちこちに貴族の封土を与え、しかも忠誠 loyalty が低かったがためにこんなことに。
貴族の諸身分イベント Deteriorating Relations with the Nobility で6か所同時蜂起となるが、要塞の隣に湧く奴は無視できるので、アヴェイロ Aveiro、ハハ Haha、イフニ Ifni の叛乱軍を迎撃する。
磨き抜かれた叛乱鎮圧テクで迎撃はしたが・・・アヴェイロは叛乱軍の将軍が白兵6という鬼将軍のため想定外の敗退となった。しかも、その敗走先がフェズ Fez という最悪の流れ。
メリリャは要塞の隣なので迎撃しなかったのだが、そこが占領されたために、フェズ分離主義者の進捗70%とポルトガル貴族反乱軍30%の進捗率が合成されて、コインブラ Coimbra にさらに2万6千もの貴族叛乱軍が湧いてしまった。
敗走した軍は、この後フェズで士気0.51の状態で別の叛乱軍とぶつかったが、フェズは山岳要塞で防御側なのでギリギリ全滅は免れ、今度はリスボンへ敗走。
残りの全軍を海路リスボンに集め、本土北方の貴族叛乱軍はすべて鎮圧したが、なおスース分離主義者18,000、同モロッコ18,000、同テトゥアン8,000は北アフリカに残っており、トレムセン分離主義者が叛乱間近がまだ控えている苦しい情勢だ。
パトラッシュ、もう疲れたよ・・・
君主力200獲得路線でずっとやってきたが、その結果、忠誠がずっと低いまま。
それを補うべく封土を与えたが、忠誠が40を超えるようには与えられなかったため、逆に不穏が増大。このような叛乱祭りを招いてしまった。
今回は探検アイデア exploration ideas と拡張アイデア expansion ideas のコンボにしてみて、植民だけはやたらと順調だったが、不穏 unrest の扱いは甘かった。
- インフレ率下げる顧問などは、後回しで良かったはずだ
- 西アフリカの領地を貿易会社にすぐ割り当てなかった(キリスト教に改宗させてからやろうと思った)
- 領有権主張が永久の土地まで、欲張って一気に分捕り、過剰拡大が80%を超えた
君主力200はムリがあるという結論
君主力200獲得路線でやってきたが、だいぶ無理がある気がしてきた。
影響100を切るように土地を剥がすさいの忠誠低下が大きすぎ、弊害のほうが上回っている。やはり影響75~80あたりで君主力150で我慢するのがよいようだ。
忠誠30を割ると、諸身分イベントで大規模な叛乱が起きやすいようなので、忠誠は30~80の間でコントロールしておかないといけないようだ。