※英語版に基づきます。日本語版の訳語は知りませんので、置き換えてください。

ポルトガルAAR サブスクリプションで全部入り(即、投了)

DLCは Mandate of heaven までしか購入していなかったのだが、この度サブスクリプション契約 subscription で全てのDLCが適用された状態となった。

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開始直後はいつもどおり 

久しぶりに手順を更新しました。

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リスク顧みず君主力は最大化

今回は欲張って各君主力 monarch power で最大値200を確保した。

外交関係は厳しめ

トレムセン Tlemcen とアラゴン Aragon 両方から仮想敵国 rival に指定され、トレムセンにはモロッコと同盟されてしまった。

スース Sus の自由への渇望 Desire for liberty も目下マイナス圏。モロッコ Morocco 戦が少し難しくなるかもしれない。

顧問 advisors は良いのが出ず、とりあえず1名での開始

陸軍 army をさらに4個連隊 regiments ほど徴兵 recruit したいので、資金優先で顧問の登用は控えめとした。

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一年後、諸身分 estates との取引 interaction 後始末

各君主力を200ずつ獲得したため、影響 influence を下げるため土地を召し上げ revoke。忠誠 loyalty は悲惨なことに。

リスボン Lisboa の開発 development を上げられるだけ上げておく

発見の時代 Age of Discovery の特典を少しでも早くもらいたいので、獲得した君主力を開発に投入。

ブルジョア Burghers の忠誠が60以上の間は開発にボーナスが付くし、開発を上げれば収入も早く増えるので、どうせなら早いうちが良い。

もともと開発17のところ開発30になるまで、都合13点分の開発を行う必要がある。
開発コストを下げる勅令 edict である開発奨励 Encourage Development も発動させ、使用する君主点のコストを抑えた。

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  • 首都 Capital City
  • ブルジョア Burghers
  • 開発奨励 Encourage Development

の効果により、基本生産 Base Production を1つ上げるのに46で済む。

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全ての君主力を投入して、一挙に開発28まで上げたが、あと2足らない。
あと5か月待てば行政・外交君主力ともに75溜まるので、ブルジョアの忠誠は60以上のままをそれまでは維持。

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なお時代の特典の画面では、進捗表示が30/32となっているが、何故28と表示されないのかはよく分からない。

貴族 Noble の封土はいっそのことゼロに

2カ所ほど貴族の所領を召し上げた結果、2つ目の没収時に反乱 rebel が発生。
待ち伏せておいて即時に鎮圧したが、貴族の忠誠はすでにゼロ。

どうせ摂政政治 regency でしばらく戦争もないし、騎兵 cavalry・歩兵 infantry を各2個連隊ずつ増強して陸軍兵力には余裕があるので、このさい全ての貴族の封土を取り上げることにした。もちろんその都度、取り上げた土地で叛乱が蜂起したが全て鎮圧。

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これで貴族の封土はゼロとなり、忠誠も所領もキレいサッパリ、ゼロになった。
貴族の後始末は、これにて完了。ムリヤリだったけど。

リスボンの開発が30に到達した

行政・外交に75点ずつ投入し、大都市 A Large City を達成した。
これで栄華 splendor が毎月1点ぶん増加する。

影響100のブルジョアの災厄 Plutocratic Coup が発動する直前に、しっかり献金させた後、アヴェイロ Aveiro を召し上げて影響100未満に戻した。

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ブルジョアの後始末もこれにて完了。

安定度 stability が上がる幸運なイベント発生

宮廷画家の登用 Court Painter Available により、威信 prestige と安定度が向上。

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安定度2で留め置いたのが吉と出た形だ。ただの運だけど。

教皇領のご機嫌を損ねるイベント発動

貴族の忠誠がゼロだから発生したのか?と思って調べたが関係なかった。
ただの不運のようだ。

人的資源の損耗は惜しいが、正直言って教皇領の機嫌のほうがよほど大事だ。

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  • 折角、上限まで改善した教皇領 The Papal State のご機嫌がマイナス100
  • さらに聖職の忠誠もマイナス10

ぶっちゃけ、ありえないっす。

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ということで、

  • 人的資源4000以上
  • 貴族の忠誠0.8(ゼロから少し戻った分すべて)

を失うことにはなったが、最初の選択肢を選び14,000名の貴族の叛乱軍を鎮圧した。

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1446年10月、またグラナダで反乱発生

今回はジブラルタルに僭称者 Pretender が蜂起した。
毎回必ず発生するが、蜂起する州については特に決まっていないらしい。

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1447年1月、アフォンソ5世即位、後継者も立つ

年齢が近いのが気になるが、廃嫡するほど低能でもないので、そのままにしておく。

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1447年5月、モロッコ正規軍が敗走しているのを目撃

全く気付いていなかったが、モロッコでも僭称者が蜂起し、正規軍を圧倒しているようだ。大損害を被って首都フェズ Fez から退却する様子がチラリと見えた。

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外交官を一瞬戻し、いちおうカスティリャを同伴して宣戦布告することはできることは確認した。

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しかし、

ことから、今は宣戦布告しないことにした。

このあと3年以上、モロッコは叛乱軍に悩まされ続け、国力を毀損した。

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1447年8月、カスティリャ王があっさり逝去

エンリケ不能王 Enrique IV が即位した。なおアラゴン Aragon も君主50歳で後継者 heir 無しなので、イベリアン・ウェディングに厳重警戒が必要な状況だ。

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1448年1月、枢機卿 cardinals がリスボン Lisboa に来た

けっこう早く枢機卿が来た。

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さっそく教皇庁影響力 Papal Influence を5使って、同率2位につけた。

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1448年4月、メーヌ降服 The Surrender of Maine

イングランド England、今回は自重してくれた。

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1449年1月、リスボンの租界 Foreign Quarter of Lisboa

他国の商人がのさばっているというイベント。

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ジェノバ Genoa とかではなく、サヴォイ Savoy なんだね…

1449年2月、グラナダ Granada 攻略

カスティリャ Castile が開戦しようとしなかったので、ポルトガルが開戦することになった。停戦解除の翌日に宣戦布告できるようカスティリャ領内に陸軍を移動させておく。

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グラナダチュニス Tunis としか同盟していない。カスティリャを呼ぶ必要はないだろう。チュニスグラナダとしか同盟していないので、共戦国 co-belligerent に指定した。

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奇襲によりグラナダ軍はいつも通りの全滅。

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フェザーン Fezzan・トレムセン Tlemcen に通行権をもらって東西両端から陽動

毎度おなじみ陽動作戦。

  • 4個連隊でグラナダの首都攻略をする一方で、残りの軍をフェザーンに上陸させてチュニス領東端を占領
  • それを取り返しにいったのを見届けて、今度は西端を占領
  • 合間に首都チュニス近辺にも上陸をかけて、首都周辺も占領

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そのうちカスティリャがやってきて加勢

ポルトガルとは別に、グラナダチュニスに宣戦していたカスティリャ

ポルトガル領の通行権を要求してきたので与えたら、ジブラルタルを渡り、はるばるアフリカ北岸を伝ってチュニス領までカスティリャ陸軍がやってきた。

陸軍決戦で大勝利

カスティリャが西からゾーンプレスをかけてきたため、チュニス陸軍の行動範囲が狭まり、東に押されてきてチュニス・ケフ Kef 攻略中のポルトガルとの直接会戦となった。

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陸軍顧問 military advisor で規律が+5%されている以外、ほぼ同じスペックの陸軍どうしで削り合い。白兵戦のダイス運がよく、1日で1000名以上の損害を与えた。

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士気 moral は2レベルしか上げられなかったが、高地 highland において、ほぼ全軍で迎撃ができたため敵主力全滅の大戦果となった。

いつもより騎兵多め(6個)の構成にしてあったのも勝因かもしれない。

1452年2月、チュニスグラナダと和平 

全土を占領し終えたチュニスからはアンナバ Annaba 奪取、経済3点セットで和平。

グラナダについては、マラガ Malaga、ジブラルタル Jabal Tariq、マリヤ Marriyaを奪取し、屈辱 humiliate、一時賠償金等で和平した。

マリヤは領有権主張がついていないが、後でカスティリャに売りつけるために分捕っておいた。行政君主力を数%でも節約するために、厭戦気分 WE が掃けるまでは中核化 make core は行わず放置しておく。

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グラナダ軍はカスティリャ軍が遠征中なのをいいことにイベリア半島の州をチマチマ占領している。 

聖者に認定された Saint Proclaimed

何と素晴らしい!またしても安定度+1のイベント。教皇様ありがとう。
アラゴン Aragon と同盟しているのだけは、いただけないのですが・・・

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後継者 heir が病死した

早く病死することを祈って陸軍大将に任命しておいたのが利いたのか、それとも単なる偶然なのかは分からないが、後継者が病気になった。

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もちろんお金をかけて治療なんてするつもりはない。攻城 siege +2はちょっと惜しいが、すでに悪い個性 traits がついてしまっているので、75%の確率での病死に賭ける。

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程よく年が離れており、しかも各段に優秀な後継者に交替となった。アーメン。

1453年1月、アラゴンが摂政政治 regency に

アリカンテ Alicante に領有権主張 claim を付け終わってはいるが、早々に開戦しない限り確実にイベリアン・ウェディング Iberian Wedding になるだろう。

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あと3か月でマヨルカ島 Majorca にも領有権主張が付けられるようになるので、少々リスクはあるが、それを待って開戦を予定する。

北辺にある無人ウエスカ要塞 Huesca の一発陥落を狙って陸軍を北上させる。

要塞の守備兵がオン・オフされる条件を再確認するため、国境沿いをデモ行進させたところ、想定どおり2州隣りのソリア Soria に入った時点で要塞オンになることを確認できた。

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なお国境沿いにアラゴン軍は見当たらなかったが、ナバラ軍 Navarra は当然首都にいた。アラゴン軍の大半がシチリア島にいるのはチュニス攻略のさいに確認済みなので、全軍ぶつければ問題はなかろう。

偵察を終えた陸軍はいったん戻るが、数か月後にまた来ることになろう。

悲壮な覚悟で単独での宣戦を検討していたら…

チュニスと戦争中にもかかわらず、アラゴン戦には報酬次第で参加するとのカスティリャ様の見解が示された。こりゃ、今いくしかないわ。

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1453年6月、アラゴン攻略

海軍ドクトリン naval doctrine を設定

ポルトガル専用のものらしいポルトガル水兵 Portuguese Marines がある。

やけにお金がかかるのに閉口だが、港湾封鎖 Blockade で攻城 siege ボーナス+1のメリットは大きいので、それでも発動するが。

ついでに不人気DLCの Golden Century で追加された Naval Barrage のコスト削減にもなるようだ。まあ軍事君主力がもったいないので、使うことはないが。

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探検家 explorer のゴメス Gomes はとっくに引退してしまっているので、開戦に際して仕方なしに提督 admiral を雇うことにした。

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能力が最大値に近い砲撃1、白兵1、移動4、封鎖3の提督が出たので、外交君主力を費やした価値はあった。移動4もあれば、敵船の捕獲もできるかもしれない。

トレムセンがチュニスにハイエナ

チュニスの窮状を見たトレムセン、臆面もなくハイエナ。

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アラゴンの旗艦 flagship を沈めた

アラゴン旗艦、サンタ・マリア Santa Maria を沈めたことで威信+5を獲得した。

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資金に余裕が出来てきたので、こちらも旗艦の建造を始めたが、中々これはすごいな。 

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見張りを置いて正解だった

はるばるユトレヒト Utrecht から陸軍が向かってきていた。

ナバラ Navara 攻略が35%まで進捗していたのだが、バレンシア Valencia から援軍を送っても間に合わないので、諦めていったん退避する。

もし戦えば全滅もありうるので、海上に偵察を出しておいたのは正解だった。

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1455年11月、カスティリャグラナダ分離主義者を殲滅

 わざわざ向かっていったようなので、戦時中なら倒そうとしてくれるようだ。

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1456年6月、フランスが追い討ち

ルシヨンを奪うためだけに追い討ちをかけてきたようだ。

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1456年7月、教皇庁支配者 PAPAL CONTROLLER に当選

今回は特別に、教皇庁影響力の投資を2回行って確率を上げたのだが、それが奏功したのかもしれない。見事に当選した。

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1456年9月、アラゴンと和平

アラゴンナポリ教皇領・ユトレヒトの反攻により、ルシヨン・ナバラは落とせず。
フランスとの削り合いを期待して、これ以上は長引かせずに和平することにした。

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カスティリャが寛容な条件でチュニスと和平

アラゴン戦より前からつづいていたグラナダチュニス戦争。チュニス遠征が先に狩猟した。なんとお優しい…まあ、グラナダの方は併合してしまうんだろうね。

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1457年2月、モロッコと開戦

またしてもカスティリャは付き合ってくれるとのこと。

オスマン(トレムセンの同盟国)が戦争中で参戦しそうもないので、トレムセンも共戦国に指定した。

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1457年9月、トレムセンがチュニスと和平

首都チュニスを落とし、いくつか州を奪って和平した。意外に早く終わったな。
ロッコ戦線は、とりあえずモロッコ陸軍を一旦追い払っただけであり序盤も序盤。

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1458年1月、政体変革 Goverment Reform が可能に

ポイントを150まで貯めて第3階層 Tier3 の方を開放しようと思ってしばらく待ったが、順番にしか開放できないらしかった。

よく見たら、次の階層は1481年とはっきり書いてあった orz

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1458年4月、オスマン Ottomans が参戦

別の戦争が終わってヒマになったらしく、オスマンが途中参戦してきた。
あやうく海軍がフェザーンの港に閉じ込められそうになったが、ガレーの船足が遅いおかげでギリギリ外海へ逃げ切れた。

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1459年7月、厭戦気分 War Exhaustion がかなりの高水準に

何度か敵の陸軍を撃退したが、開戦前には2弱だった厭戦気分は今や5弱に悪化。

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1459年8月、フランスがアラゴンと和平

ルシヨンをフランスに譲渡したほか、ナバラナポリ Napoli の宗主権を放棄したようだ。

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1459年12月、トレムセンで農民が蜂起

ポルトガル領アンナバで蜂起したチュニス分離主義者が国土の東端を荒らす一方、国内では農民が蜂起したようだ。

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1460年6月、ついにモロッコ一派と和平

ポルトガルが支援したモロッコ貴族叛乱軍 Moroccan Noble Rebels がアンファ Anfa に湧いた。しかし支援をしたポルトガルとは戦闘にならないものの、同盟国カスティリャとは戦闘になってしまうようなので、結局のところ大して役には立たないというオチ。

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カスティリャ軍が叛乱軍に襲われないよう、マラケシュからカスティリャ軍を退去させたが、マラケシュには入ってこないので本当に何の役にも立たない。

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数日後、イベリアン・ウェディング Iberian Wedding

終戦後、ほとんど間を置かずにイベリアン・ウェディングが発動。
本人の能力はオールゼロ、かつ後継者の継承権が弱い Weak ので、後で全土での叛乱祭りが見られるかもしれない。

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1461年、正気か?ジェリド Djerid

ジェリドがチュニスに宣戦布告。勝てるわけないだろ?

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数年後、やはりこんな結果に。

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1462年、フェズ Fez で大規模な叛乱

山岳なので別に問題はなかった。

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1463年、ようやく摂政政治 regency が終わった

優秀な王が即位したが、息子は凡人。
廃嫡するまでもなく数年後にイベントで死亡したが。

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1466年、チュニス・トウーグラ攻略

トゥーグラはムザベ、ジェリド、トレムセンなどに領有権主張をもっているので、外交枠が空いていることもあり、属国にした。

チュニスからは2州奪取、1州をジェリドに返還させた。

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1468年、ジョロフ攻略 

ジョロフ Jolof とモッシ Mossi を攻める。
モッシは内陸すぎるので、ジョロフだけで終わらせる予定だが。

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カイヨール Cayor を併合し、一時賠償金を取り立てて停戦した。

またもや安定度プラス1のイベント A Traveling minstrel

今回のプレイで3回目となる安定度上昇。
低下も1回だけあったが、今のところ得をしている状況。

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1469年1月、新大陸の探検を開始

アソーレス諸島 Azores のはるか西に新大陸を発見。
2名いるコンキスタドール Conquistador のうち1名をさっそく送り込んだ。

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1470年11月、モロッコ・トレムセンと再戦

カスティリャは好意 favor のみで参戦してくれるとのこと。

ロッコに宣戦し、トレムセンを共戦国に指定。アルバニアを巡って欧州諸国と係争中のオスマンも参戦とはなるが、しばらくこちら方面に来る余裕はないものと予想した。

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ダーラ要塞 Dahra は無人の上、チュニス分離主義者に占領された自国領を奪回しにいったトレムセン陸軍は近所にいないことが確実という千載一遇の好機。

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新大陸への植民を開始

ビファーダ Befada への植民がようやく完了したので、アソーレス諸島 Azores のはるか西の新大陸の方に植民を開始した。かなり豊かな土地のようなので、植民ブーストをかけていこうと思う。

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 少数派の追放とかいうメニューがあるが、まずは普通の植民者を送った。

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1473年11月、モロッコ・トレムセンと和平

かれこれ3年くらい戦ったところ、オスマン陸軍の大軍が陸路で戦場に到着し始めた。

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ダーラ要塞包囲中のトレムセン軍を痛めつけている最中にオスマンの大軍が到着して、はるばるチュニスまで追い払われたが、そこにはそこで、モロッコ軍の敗残兵が集まっており中々情勢が厳しくなった。

首都攻略は28%まで進捗しているのだが、どうやら間に合わないので、トレムセンとは個別和平して3州を奪取した。

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オスマンの沿岸をできる限り封鎖して戦勝点を嵩上げしたうえで、モロッコと全体和平した。人的資源はゼロ、資金も200ちょっとしかなく、占領したモロッコも叛乱間近で90%なので、しばらく大きな戦はない。5名もいた指揮官を2名解雇して枠内に戻した。

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 フェズ Fea に湧いた20個のモロッコ分離主義者、どうしようかと思っていたら、モロッコ本領から農民叛乱軍が何故かフェズに攻めあがってきた。

この後、同士討ちになったところに乱入するため、周囲の4州で2個ずつ傭兵を生産。
16個連隊に減ったモロッコ分離主義者を討ち取ることができた。ありがとう農民。

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1475年6月、禁断のプロヴァンス攻め

フランスの機嫌を損ねることは確実だが、もう損ねているし、隣はカスティリャアラゴン連合なので気にしないことにする。

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この戦争でも旗艦は上陸に封鎖に大活躍。1か月以内に上陸できるし、封鎖のボーナスはさらに増えるしで大変便利だ。

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新世界への植民は、時代の特典および少数派の追放のコンボにより、過去最大の開発20の州が誕生。しかし、少数派追放は余計だったようで、スンニ派になってしまった。

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新要素は満喫できたが投了

  • サブスクは中々良いと思う、特に試しプレイ派にとっては
  • 旗艦は高いが、作らない理由はないくらい便利
    Golden Century はイベリア勢にとっては良いDLCだな
  • リスボン開発ブーストは、やってよかった
    どのみちやることなら、早いほうがよい
  • 戦争は無理をしすぎた
    どの戦争も人的資源ゼロのまま戦い続ける展開に。資金も不足気味で傭兵でのカバーもできず。
    トゥーグラを属国にしたが兵力が無く、領有権主張を活かせないままに終わった。