この数回のプレイは諸身分 estates との取引 interactions において君主力 monarc power を最大値200で確保することにこだわりすぎ、すべて金欠か叛乱祭りとなって投了に終わった。
- ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
- ポルトガルAAR モロッコ爆誕させたが期待ほどではなかった(即、投了)
- ポルトガルAAR サブスクリプションで全部入り(即、投了)
もう君主力は150で諦め、収入 income 高め・不穏 unrest 抑制の基本プレイに回帰することにする。無理はいかんぞ無理は。
1447年、さっそく恒例のモロッコ戦争
君主アフォンソ5世 Afonso V が成人して開戦できるようになった。
土地を餌にカスティリャ Castile を勧誘できるようなので、カスティリャによるグラナダ Granada 攻略が始まる前に、モロッコ Morocco と開戦して巻き込むこととした。
今回は、兵数増加の陸軍顧問を雇い、なんと21個連隊を開戦前に最前線に揃えた。
陸では、開戦劈頭にモロッコ、トレムセン Tlemcen、スース Sus、マラケシュ Marrakesh のジェットストリームアタック3連発を食らった。
いきなりモロッコ陸軍の主力12,000を壊滅させたのは大きい。
最後のスース・マラケシュ連合軍は途中で敵軍が合流して当初想定よりも数が増え、かなりやばかったが何とか全て撃退できた。
海では開戦劈頭に海上のモロッコ・スースの商船を駆った後、一か月で陥落したタンジール港から叩き出されたモロッコ海軍とジブラルタル沖合で大海戦。カスティリャ海軍も加わっていたので難なく勝利し、海軍主力を再び隣のサレ Sale に閉じ込めた。
1451年7月、叛乱軍だらけになってきたので和平
まずトレムセンで農民叛乱が勃発、首都を攻囲していた連合軍がいきなり襲われた。
しばらくしてモロッコでも農民叛乱。そろそろ潮時とみて和平した。
トレムセンからはダーラ要塞 Dahra、賠償金を奪取し、モロッコとの同盟を解消させる。
モロッコは首都フェズ要塞 Fez、メリリャ Melilla、サレ Sale を割譲、屈辱 humiliate、賠償金の条件で和平。
開戦前に土地を要求していたカスティリャ Castile は、和平のさいにはどの土地も受け取ろうとしなかったので、信頼 trust が20下がってしまった。なんでやねん。
1452年6月、アイルランド情勢に介入
もしかしてアイルランドに領地が確保できるかもしれないので、チロン Tyrone に独立保障をかけておいた。
しばらく経ってグラナダ・チュニス戦争(後述)の最中に開戦となったので、参戦はしたが兵を送る余裕はなかった。しかしチロンが勝手に勝利したようだ。
1452年7月、メーヌ Maine を巡る英仏戦争が終結
メーヌは死守されたが、アキテーヌ Aquitaine その他の大西洋側の領土は軒並み奪われたようだ。
チュニスのジェルバ要塞を奇襲
旗艦 flagship も建造したので、沿岸の要塞の奇襲が可能になった。
どういうときにジェルバ要塞 Djerba fort の防備がオンになるのか、開戦前にいろいろ調査してみる。
兵員を載せてリスボンLisboa を出航した瞬間にオン
海上に出た後、再びサレに戻ったらオフになった。
しかし、トレムセン領内の叛乱軍やトレムセン陸軍の位置にも連動しているようだったので、ポルトガル軍の動きは関係なかったのかもしれない。
兵員満載してバーバリー海岸 Barbary Coast 沖を航海してもオフのまま
ここまで来ても要塞はオンになっていない。ボン岬 Cape Bon まで進んでも同様。
結局のところ、ジェルバ要塞沖合に来た瞬間にオンになるようだったので、開戦したい月の1日ちょうどに沖合に来るように調整して開戦した。
アンナバ、カビリャあたりを奪取してチュニスと和平。
数年後、グラナダは全土併合して1州をカスティリャに売却した。
1461年、悪夢のフランス・カスティリャ戦争が発令
前回のプレイではフランスの同盟国にアラゴンがいたため地獄のような展開だったが、今回は何とかなりそうだ。開戦の直前に、ミラノ Milano と同盟して視界を確保した。
しかしジェノバ Genoa、教皇領 The Papal State も敵方なので、ポルトガル海軍の船体修復が終わるまでは地中海には出航できそうもない。
実はブルゴーニュ Burgundy とも同盟していたので、フランス近辺の視界はかなり良好なのも、今回有利な点だ。
ドーバー海峡付近に旗艦を送りこみ、フランス北部に小部隊で上陸をかける。
さっそくフランス軍の半数とジェノバ全軍が釣られてやってきた。
そちらを再占領している間に、今度は大西洋側に奇襲をかける。
教皇領の陸軍は真北に向かっているが、もし引き返してきても旗艦の艦隊に戻ればよい。
戦争当事者のカスティリャ陸軍がイベリア半島には見当たらないが、実は北アフリカのポルトガル領でバカンス中。ふざけんなよコラ。
1462年、探検アイデアグループ exploration ideas group 獲得
外交君主力800を超えたので、行政君主力を使い切って探検アイデアグループを解放し、すぐにアイデアを2つ取る。
時代の特典、ポルトガル植民地の成長 Portuguese Colonial Growth も解放。
まずテネリフェ Tenerife、次にカポ・ヴェルデ Cape Verde に植民を開始した。
植民者 colonists は後で植民した方に張り付くので、カポ・ヴェルデの方が先に植民完了するはずだ。
フランス陸海軍との死闘
カスティリャ陸軍がバカンス中なので、ブルゴス Burgos を攻囲していたフランス軍にポルトガル陸軍の全軍をぶつけて、何とか攻囲を中断させた。
フランスとは陸軍レベルが1違うので、戦闘開始時点で既に士気が6割くらいしかなかったが、ブルゴスの地形(丘陵)と数の差で押し切った。
陸軍がどこまで逃げたか確認するため、ポルトガル海軍を海岸沿いに寄せて見に行ったら、フランス海軍の主力、大型船4隻とぶつかった。しかし、なぜかナルボンヌのフランス艦隊は応援に出航してこず、余裕で勝利することができた。
1463年、カスティリャ陸軍がようやく本土に戻る
ブルゴス要塞が落とされて、首都トレド Toledo に向かってくると、カスティリャ陸軍が北アフリカのバカンスから帰ってきた。やっとか。
単独でトレドまで深入りしていたジェノバはカスティリャ・ポルトガル連合軍で簡単に各個撃破。
教皇領のほうは、各個撃破し終わる前にフランス軍も合流してきたために大会戦に。
カスティリャ陸軍はズタボロになったが、先に交戦していた教皇領の陸軍の士気が尽きて戦線離脱したため、それに釣られて後詰のフランス軍の士気も下がり、残ったポルトガル軍でも無事押し切ることができた。
1464年12月、君主力獲得のお時間
20年経過し、諸身分 estate との取引 interaction で君主力の確保が可能に。
今回は150で我慢しているので、ブルジョア Burghers と聖職 Clergy の忠誠に問題はない。
貴族 Nobility は赤なので、フランス軍の数を減らすのに協力してもらうことにした。
フランス軍の移動先が固定されたのを確認してから、行き先のベジャ Beja の土地を召し上げて叛乱軍を出現させる。しかし平地なので、フランス軍は1000名強減っただけだった。
同じ手口をバイラ Beira でも。こちらは高地なので、ベジャよりは抵抗したがフランス軍を倒せるほどではない。
1465年11月、教皇領が個別和平で離脱
ジェノバ領内でバカンス中だったフランス軍を拾って随伴し、本土奪回の構えを見せてきた教皇領。
こちらもローマの攻囲軍を野戦用に剥がして迎撃しようとしていた矢先、教皇領は唐突にカスティリャと個別和平した。
もし戦えばタダでは済まないことになっていたはずなので、いいタイミングだった。
1466年3月、ついに終戦
実はポルトガルもフランスとの個別和平を考えていたのだが、いかんせん何処も占領していないので白紙和平にしかならない。
かといって本格的に攻め込む余力もないので、海上封鎖だけしておいて放置していた。
フランスがわもカスティリャを攻め落とせず、カスティリャもフランスに向かおうとすらしない膠着状態に陥り、ついに終戦となった。
賠償金の半分くらいがポルトガルのものに。戦争中、ほとんど陸軍維持費最低にしていたので多分得した。カスティリャの好意も大量に獲得した。
1467年3月、モロッコ・トレムセンと再戦
フランス戦で稼いだカスティリャの好意20をさっそく使わせていただく。
海岸の州で呑気に訓練などしているモロッコ陸軍9,000。
マラケシュ要塞は無人であり、ここは通常の将軍でもサレ Sale から1カ月以内に到達できるので一発陥落を狙うが、モロッコ陸軍は合計16,000なので残り7,000の所在が不明。
たぶんマラケシュの裏手あたりにいるだろうが、行軍中に山岳で激突したり、マラケシュ要塞上で全軍衝突になることだけは避けなければならない。
海岸沿いで訓練中のモロッコ陸軍については、旗艦から直接上陸をかけて追い払うことにした。訓練中の軍は士気最低のはずなので難しくはないだろう。
北方の軍は、サレから沿岸沿いに進軍させた。途中で逆方向に山岳地帯を進んでくるモロッコ陸軍とすれ違った。
もし山岳沿いに進軍していたら、モロッコ陸軍7,000と正面衝突していたことだろう。
約3年後、トレムセンを降服させた。モロッコでは農民叛乱が発生して収集がつかなくなってきた。自領でもモロッコ分離主義者の叛乱が起きたが、カスティリャ軍に始末してもらった。
1470年、南北に一直線の新世界を発見
久しぶりに近くに大量出現。やる気出てきた。
どうやら地球は平面で、端っこが新大陸でふさがっているらしいな。
1471年、ムザベ・チュニス攻略
チュニスとの停戦開けまで待てないので、恨みはないがムザベを攻める。
ポルトガル軍がダーラ要塞にいる間はケフ要塞 Kef は無人となるようなので、開戦時にダーラからアンナバに陸軍を海上輸送すれば守備兵ゼロのケフ要塞を襲うことはできそうだ。
しかし、ここはモロッコ陸軍が1カ月以内に到達できる場所であり、しかも高地なのでケフ要塞上での戦闘にならないよう工夫した。
- ダーラからアンナバへ11個連隊を海上輸送し、アンナバ入港と同じ日に開戦となるよう、入港前日にムザベに宣戦布告
チュニスはムザベの同盟国なので1日遅れの参戦となる - アンナバからケフ要塞を通過して、要塞圏外のチュニスへ抜ける進軍ルートを設定
開戦当日のみ通過ルートを指示できる - 輸送船が11隻しかないため、再びダーラに戻り2回目の輸送で増援を送り込むが、先鋒の11個連隊を9個と2個に分割して同じ進軍ルートを指定しておき、2個のほうは陸軍2分割・ピックアップで進軍を遅延させ、増援が入港したタイミングで増援をピックアップすることでケフ要塞を通過
最初の野戦で勝ちはしたが、チュニス陸軍は生き残ってしまったので、陸軍維持費を最高にしたまま数か月間チュニス攻囲を続けざるを得なかった。お金が~
ムザベからトゥーグラを独立させて復活させた。
1474年、ジョロフ Jolof 攻略
カポ・ヴェルデに植民が終わったので、西アフリカ攻略を開始。
沿岸にいた陸軍は瞬殺。マリ領経由で最前線の偵察に出した傭兵連隊の報告により、マーシナ、ジェンネがフロを通過して攻囲を解こうとしていることを発見したので、全軍で迎撃して勝利。
またモロッコ人になるイベントか?と思ったが違った。
北モロッコの生産力などが上がる良いイベントだった。
1476年、アラゴン Aragon 攻略
まずは事前偵察を怠りなく
海軍の船体修復をして開戦に備えつつ、陸海軍の位置を全て偵察しておく。なるほどバレンシアに17,000が訓練中か。
国境沿いには、特に陸軍はいないようだ。
このタイミングで異端が蜂起かよ
偵察している途中に、占領地のグラナダ Granada で10,000名ほどの異端が叛乱を企てているとの報告があった。
もう1つの選択肢は、実質的にグラナダへの宣教が不可能になるというもの。
折角80%くらい布教したのに、今更諦められるか!
この反乱軍を鎮圧するための方策は2つ考えられる。
当然、理想は後者だが、失敗した場合には前者で対応するように動きたい。
ウエスカ Huesca 要塞を速攻で落とすぞ
大軍を国境に集めても、ウエスカ要塞は無人のままなので、もちろん開戦直後に占領させてもらうことにした。
という機動をすれば、間に合うかもしれない。
アラゴンの旗艦はあえなく轟沈。士気最大で挑めば、まあこんなもんよ!
頼みのカスティリャだが・・
数か月前にはイングランドと共に参戦見込みだったのだが、今になってダメだと言い始めた。
仕方ないので、フランス戦で貯めた好意を信頼 trust に変換し、参戦させた。
開戦直後ではなく、アラゴン・ナバラ軍がポルトガル側へ移動しきったところでカスティリャを参戦させたため、カスティリャ領内の要塞が邪魔になってアラゴン・ナバラ陸軍はアラゴン側に戻れなくなったようだ。
カスティリャ軍を叛乱鎮圧に使いたかったが、開戦するとアラゴン方面へ移動を始めたので、グラナダでポルトガル軍と合流させることはできそうもなく目論見は外れた。
異端の叛乱はそのままグラナダで蜂起してしまい、占領されてしまった。
もっとも隣にマラガ要塞があるので、占領されても何もペナルティはなかったのだが・・・そもそも未然に防止する必要すらなかった。
しばらく後にカスティリャ軍が指揮下に入ったさいに、狩りに行ったのだが、そのさいには別の叛乱軍との交戦によりスルーされるという椿事が発生した。
カスティリャ軍を率いて討伐を開始
カスティリャ軍が指揮下に入ったので、反乱軍を始末した後、ナバラ・アラゴン軍を狩りに行く。アラゴン軍はナバラ軍を置き去りにして、自分だけ北方に退却した。
ここで、貴族の大叛乱が発生。
前回のプレイは実質的にコレで破綻したのでトラウマになっている。
しかし今回はカスティリャ軍で全て討伐できそうなので問題ない。
なお北アフリカの叛乱軍は、後ほど合流してきたイングランド陸軍に狩ってもらった。・・・全部、他力本願かよ。
アフォンソ5世が逝去、6世が戴冠
まだ50歳にもなっていないが、アフォンソ5世が逝去した。
後任のアフォンソ6世の君主力は平凡だが、白兵6なので戦死も視野に入れてコキつかっていたところ、歩兵戦闘ボーナス Infantry Combat Bonus まで付いて、より便利な将軍に。
しかしアフォンソ5世が40歳を超えてからは戦闘への投入は控えめにしていたので、無事、生き延びて国王になれたようだ。
カスティリャ軍、アルプス超えを拒否
イングランド軍がブルターニュから南下してきて、イベリア半島でポルトガル軍の指揮下に入ったので、アラゴンの討伐と北アフリカの叛乱鎮圧はイングランド軍に交替。
カスティリャ軍は教皇領へ進軍させることにした。しかしサヴォイ Savoy までは追従してきていたのだが、アルプス超えの直前で離脱していった。
西アフリカ方面で動乱が発生
ビファーダ Befada にも植民を始めていたので、アラゴン攻めかマリ Mali 攻めから迷っていたのだが、マリの陸軍規模が大きいのでアラゴン攻めを優先した。
そのマリが周辺国との戦争を始めた。アラゴン攻めが終わったら、殴り込みをかける予定だ。
新大陸の南側を探索していたらペラルタ金鉱を発見
新大陸の北側には植民を開始していたが南側が全く未踏査だったので、南端にコンキスタドール Conquistador を上陸させて探索させていたところ、ペラルタ金鉱 Peralta Gold Mine を発見した。
半々の確率で、金か宝石を貰えるらしいぞ。
金とダイアモンド Gold and Diamonds を引いて300以上の資金を獲得した。
1480年、ブルターニュの要塞が脱落
アラゴン本土はあらかた占領したので、北方のブルターニュを蹴落としにかかる。
ほどなくして港は落ち、湾外のイングランド・ポルトガル艦隊にタコ殴りにされるブルターニュ艦隊。首都はまだ粘っているが既に21%であり風前の灯。
この局面で、
このおかげでシチリア島が攻略できるようになった。
教皇領軍は、ブルターニュ軍に奪われたカレー Calais の奪回を断固阻止したいらしく、ほぼ真っすぐ北上を続けている。
ミラノ・ブルゴーニュが同盟国なので、参戦していなくても動きが丸見えで実に助かっている。
ことからカレー奪回は諦めた。
ブルターニュの首都は、あれから一年近く粘り続け、ブルターニュ半島に敵軍が結集する中ようやく陥落した。カスティリャ軍に半島内の敵の討伐を続けさせたいので、陸軍通行権を和平の条件として要求した。
これは外交枠を喰うので、討伐が終わったら返上する予定だが。
ナンティス Nantis 奪取により、ブルターニュとフランスは陸路では分断されたので、何かいいことあるかもしれない。
もはや大局を見失っている敵軍たち
全軍4万でカーン Caen の攻囲に全力投球する敵軍。もうそこ、どうでもよくない?
コロンブスが敵艦船を狩りまくった結果のご報告
移動6のコロンブスで地中海を荒らしまわり、もともと25隻だった艦隊は47隻に殖えた。けっこうな捕獲率だ。
この結果、海軍上限枠 naval force limit を超えたので、商船以外の全艦艇を毎月末に港湾で予備役 mothball にするマイクロマネジメントを行っているが、それでもマイナス2.15ダカットの超過費用となっている。ガレー船と輸送船は戦後に売り飛ばす予定だ。
ナポリ軍だけは戻ってきたが、カスティリャ軍で一蹴した。
イタリア半島でも消化試合が始まっている。
1481年、ローマ陥落
今は金はあるので、ローマ略奪 Sack of Roma では陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism を増強することとした。
資金90ダカットは痛いが、陸軍プロフェッショナリズム 5%増はめったにないので。
フランス様とはラブラブになってきた
アラゴンを攻めたので、 フランス様は上機嫌になっている。もしかして同盟?
ブルゴーニュはプロバンスにやられて零落中
一方でわが友、ブルゴーニュ Burgundy はいつのまにかフランスから独立保障されるほどに零落していた。
ブルゴーニュの代わりにプロバンス領を奪回してあげて再興でもはからないと、同盟国としての存在価値が薄い。視界確保だけでは、ちょっとねぇ。
1481年12月、アラゴンと和平
ローマに続いてナポリも落ち、全土占領での和平となった。
教皇領・アラゴンの両方に交易力移転を呑ませたので、ジェノバ交易圏 Genea Trade Node で10%強を確保でき、数ダカットの収入が得られるようになった。
チュニスがライバルから脱落したので、当然プロバンス Provence を指定する。
ガレー船 Galley を新興アルジェ Algiers に売り払った結果、相変わらず海軍枠を超過しているが超過費用の金額は大分マシになった。
この程度の超過で済むなら、輸送船については売却しないことにする。
1482年、マリ侵攻
ジェンネ Jenne およびソンゲー Songae と絶賛戦争中のマリに西から侵攻。
マリ・モッシ Mossi との戦争となった。
マリのライバルのフロ Fulo・マーシナ Macina が通行権をくれたので、邪魔なフタ・ジェロン Futa Jellon 要塞を回り込んで背面に進出することができた。
回り込み終わった頃にマリがジェンネと和平。
その結果、近くまで来ていたモッシ軍は、ジェンネ領となった州内で潰走状態となり、マリ攻略の脅威ではなくなった。
巨大化したジェンネの野望はとどまるところを知らない
隣のコング Kong まで狙っているようだ。
マリからは3州を奪取
モッシ軍にも見捨てられたマリからは、予定どおり3州を奪取した。
東西に分断されたので、たぶん東側はそのうちジョロフとして分離独立するだろう。
1483年、ミラノ Milano からすでに勝っているパルマ戦争に呼ばれる
盟友ミラノから突然の呼び出し。
すでに戦争目的 War Goal のパルマ Parma は全土占領されており、ブラバント Brabant は攻囲されている状況で、戦勝点60を超えている。
そして呼ばれた数か月後には和平となった。
全く何もしていないので、好意 favor は1、金は2しかもらえなかった。
1485年、3回目のモロッコ戦争
前回のアラゴン戦争で大量に船舶を捕獲して海軍枠の最大に達したので、タダでタンジールに領有権主張を付けることができる使命 Mission をやっと発動できるようになった。
ポルトガルには、モロッコ領に領有権主張を付けられる使命が幾つかあるが、安易にあまり早く発動しないほうがよい。
一気に征服するより、ジワジワ占領地を広げた方がはるかに安全なので。
しばらくライバルでいてくれた方が、戦力投射 power projection も稼ぎやすいし。
植民中のシエラ・レオネ Serra Leoa にフロ軍 Fulo が退却中
フロとマリが戦争を始めた。戦力は拮抗しており、お互いに陸軍での決戦は避けているようだ。フロ軍はなぜか植民中のシエラ・レオネに退避し始めた。
ここは植民イベントで原住民の攻撃性が恐ろしいレベルに上がっているので、そのままそこを守備しておいてくれるとありがたい。
しかし翌月にはマリとの戦線に戻っていった。残念。そもそも何故ここにきたのか・・・
1487年、トレムセン・トゥーグラ攻略
以前ムザベから独立させたトゥーグラにも領有権主張を付け終わっているので、併合する予定だ。
1488年、チュニス攻略
開始
終了
君主の個性のおかげで、素晴らしい芸術家が登場したが別に用はなかった。
1490年、影の王国 The Shadow Kingdom 発動
これでイタリア半島北部のほとんどが神聖ローマ帝国の管轄から外れた。
1492年、プロバンス・アラゴン攻略
アラゴンとは後5年くらい和平期間があり、交易力移転・賠償金に不満はなかったのだが、プロバンスと組んでいたので仕方なく再度攻略を行うこととなった。
新世界はさらに西にも大陸があるようだ
近い方の大陸は、見事なまでの壁状大陸だった。
さらに航海を続けると、さらに西に大陸を発見。これも大きいぞ。萌え~
1494年、サヴォイを盟主とする包囲網組まれた
プロバンス領を併合したら、周辺国が一気に激おこ状態に。当たり前だが…
サヴォイを盟主とする包囲網に、フランス、ジェノバ、シエナなどが続々と参加。
しかし皆、激おこなのだが、関係はわずかにマイナスという程度なので、フランス以外は関係改善を最大まで行って解除を狙っていく。
まず手始めにジェノバの関係改善を最大100まで行ってみた。
関係はプラス圏に戻ったが激おこ状態は解消されなかったので、その他の国の改善は中止した。どうやら無駄っぽい。
1495年、マーシナがマリ・ジェンネを喰って肥大化
マリはマーシナにも攻め立てられ、もはや一州になってしまった。
生きてはいるが滅んではおらず、中核州や領有権主張は最盛期のまま。
これはこれで利用価値がある。
ということでマリを強制的に属国にした後、周りを攻めとる作戦にすることにした。
油断大敵
マリ陸軍は全滅して兵がいないものと思って適当に進駐したら、戦地から帰還したマリ軍とまともに衝突してしまった。
何とか撃退したが、ちゃんと統計 ledger 画面でチェックしておくべきだったな。
マリに続いてフロも攻める
マリを併合した直後に、フロとの停戦 truce も切れたのでそのまま北西に移動して開戦。フロはジョロフを攻めている最中だったが、ポルトガルの横やりで陸軍が全滅し、両国間の国境も分断されたため、数年後に白紙和平となっていた。
少数派の追放、一度はじめるとキャンセルできない
資金に余裕はあるので、ケープにも同時に植民したかったのだが、少数派の追放 minority expulsion をキャンセルすると植民地の放棄 abandon になる仕様らしい。
複数同時に植民したい場合や、旧世界の特定の場所に急いで植民したい場合には、先に旧世界がわへ植民してから、その後に新世界への少数派の追放をするようにしないといけないようだ。
1494年7月、プロバンスがプロテスタントに改宗されてしまった。
となりのフォルカルキエ Forcalquier に改宗中心地 Center of Reformation が出現していたので、真西のプロバンス Provence はひとたまりもなく改宗されたようだ。
経緯はともかく、これでとりあえず自国内にプロテスタントの州が出来たので、いちおうプロテスタントに改宗しようと思えばできる状態にはなった。
宗教地図モードで確認すると、今のところ改宗中心地は2つしかないので、いますぐ改宗するかどうか迷ったが、
- 教皇庁影響力が70くらい貯まっている
- 西アフリカでの改宗作業がもうすぐ終わりそう
なので、しばらく判断は保留とした。
すると聖書の現地語訳 Bible Translated がサン・トメ Sao Tome で発生
自前でプロテスタント州をつくれるイベント、聖書の現地語訳が発生。
しかし、なぜこんな離れ小島で…
すでにプロバンスがプロテスタント州なので、これ以上は必要ない。
よって周辺のカトリック諸国家との関係改善ボーナスの方を当然選んだ。
1494年10月、ついにコロンブス退役す
持ち前の移動6を生かして何十隻も敵船を捕獲し、我が国の海軍規模を2倍にした殊勲の提督クリストヴァン・コロンボ Cristvao Colombo、ついに退役。
州の名前や提督名もポルトガル語になっているあたり、凝っているよなEU4は。
1497年、摂政政治 regency が終了して新君主が即位
前王の王妃(王母)が有能だったので、別にそのままでもよかったのだが、ともかくも新国王が成人したので交代となった。
しかし継承権が弱かったらしく、首都に僭称者 pretender が蜂起しそうだ。
フランス国内には石炭 Coal があるらしいな。
何か操作を間違ってフランス領内を偶然クリックしたら、石炭 coal の産地を発見。
これは終盤で何かの役に立つらしいが、いまのところは効果は不明だ。
1497年4月、カスティリャがアラゴンに攻め込む
ポルトガルはアラゴンとは停戦中なので誘われなかった。
まあ呼ぶ必要も無い位、弱り切っているのも確かだが。
1497年10月、フランスから痛恨の破門を喰らってしまった・・・
これは痛い・・・プロテスタントへの改宗を考えたが、時すでに遅し。改宗中心地の3つめがドイツ北部のどこかの国に出現していた。
毎月ものすごい勢いで教皇庁影響力が減るので、使えるだけ全部使っておく。
一度、破門されると君主が死亡するか、自らが教皇庁支配者に返り咲くかしないと、ずっとカトリックであるメリットは享受できない。
とりあえず50は教会税 Levy Church Tax で使い、残りは教皇庁の選挙にすべて投入した。しかし根本解決を図るには、カトリック Catholic を捨てるしかない。
1497年11月、フロの次はマーシナ
マーシナには高レベル要塞は無いが、ティンブクトゥ Timbukutu、エア Air とも同盟しているので陸軍は多く、少し時間がかかりそうだ。
このあたりは最大5%の損耗 attrition 地域があり、その被害は抑えたいので、
- 敵の州には月替わり直後の2日に入るように移動タイミング調整
- そのまま全軍を率いて2州先まで移動させて、月末には占領済みとなる予定の州へ戻ってくる
- もし2州先を偵察して周囲に敵が見当たらなければ、2個連隊を置き去りにして占領に着手
というロシア仕込みの偵察機動を徹底する。
読み通り途中でマーシナ、ティンブクトゥの陸軍と鉢合わせになったが全軍引き連れていたので、数の暴力で粉砕した。
一気に要塞に詰め寄った
陸軍があっさり始末できたので、意外とすんなりティンブクトゥ要塞 Timbukutu、ガオ要塞 Gao まで詰め寄れた。ガオの方は、あまり守備兵がいないようだ。
エア陸軍も発見したので、リスクはなくなった
エア軍の所在は長らく不明だったが、開戦してから数か月は無人にしておいたベニン要塞 Benin に釣れらて南下していくのがやっと見えた。
このままベニン要塞に捉まらずに戻ってきたとしても、戻る様子も丸見えだし、数か月時間があるので安心だ。
ティンブクトゥとは、2つの要塞を落として戦勝点99点になったところで個別和平した。もうすぐ停戦切れになり再戦を予定しているモロッコとの同盟は切っておく。前回、トゥアト回廊 Tuat から攻めあがってきたのがウザかったので。
1499年3月、ついにこの時が来てしまった・・・
包囲網に参加しているジェノバの君主から漏れた最高機密。
継続中のマーシナ攻略は、最後の詰めエア攻囲の途中だが、余裕兵力をできるだけ欧州方面へ戻して開戦に備えておく。
フランスは無防備
なお開戦予定についてフランスには何も通知されていないらしく、ルシヨン要塞とナルボンヌ要塞は無人のようだ。できれば奇襲で獲りたいので検討してみる。
- 海側からの場合、フランス海軍を封じ込めておき旗艦から直接上陸
リヨン湾に艦隊を集結させてフランス海軍の出航を防げるかがポイント - 陸側からの場合、バルセロナからアラゴン領経由での進軍
ライバルであるアラゴンを通過させてもらえるかどうか次第だが、少なくともポルトガルからの通行権申請はアラゴンに認めてもらえない可能性が高い。
開戦後に敵がアラゴンに通行権を請求すれば、その反射で当方も通過できるようにはなるが保証の限りではない。
海側からの攻略案で準備を進める
より確実な前者の海側からの攻略案で準備を進める。
リヨン湾で海戦が発生するだけで上陸作戦は台無しなので、全ての大型船と小型船をリヨン湾に集結し、そもそもフランス海軍に出航する気をなくさせてしまうことが何よりも大事だ。
月末にはエアの首都も陥落
タイミングよく最後のエアの首都も陥落したので、さっさとエア、マーシナと和平してすべての兵力を西に戻しはじめる。数か月かかりますけど。
1499年5月、むしろ、こちらからモロッコに仕掛ける
サヴォイが作った包囲網に、最後にふらっとモロッコが加わった。
当初はルシヨンに付けた領有権主張が生きているフランスを攻めるつもりだったが、モロッコの方が欧州から外れており首都や要塞を片付けやすいので、ジェノバから包囲網戦争を開戦される前に、こちらからモロッコへの征服戦争を宣戦布告した。
- いままで完了を保留していたタンジール占領の使命 mission を完了させ、ガルブとモロッコ南部全域への領有権主張を獲得
- カスティリャはアラゴン戦争中のため、土地をくれるなら参加するとの意向
まあアラゴン戦争が終わってから呼べばいいので、最初からは呼ばない。 - イングランドはとりあえず呼ぶ
陸軍にはあまり期待していないが、地中海に艦隊を回してくれると、かなり助かる。
モロッコ方面では、マラケシュ要塞を奇襲占領
ジブラルタル海峡の海上で西アフリカから海路帰還した陸軍を待機させておき、無警戒のマラケシュ要塞が無人の状態で翌月1日に開戦。
前回のモロッコ戦と同様、サレ Sale からひたすら直進させ、当月内に要塞を抑えた。
フランス方面では、ルシヨン、ナルボンヌ要塞を奇襲
両要塞とも無人なので、リヨン湾の旗艦からなけなしの決死隊(傭兵中心)を上陸させたところ、敵艦隊は出航せず、敵陸軍も近くにはいなかった。
意外とウザい教皇領のガレー11隻艦隊が出現
船脚は遅いので避けることは難しくないが、後から合流されるだけでもリスクになる。
去ったのを見計らって、ジェノバ艦隊のほうを襲撃する。
いつでも逃げられるとはいえ、アビニョンから教皇領軍が近づいてくるなど、かなりヒヤヒヤしたが無事占領できた。大した戦勝点にならないが、いい時間稼ぎにはなる。
アンジュー要塞を無人のままで開戦していた orz
ふと気づいたらアンジュー要塞が落城との報告が...
ルシヨン・ナルボンヌ決死隊が襲われなくてラッキー!と思っていたのだが、ポルトガルがわがアンジュー要塞を無人にしたまま開戦しており、そちらに敵の陸軍が釣られていっただけだったらしい。
アンジューは無人のまま、翌月あえなく陥落 orz
まあ要塞2個と引き換えならいいか…どのみち守れないし...
モロッコは早くも占領モード
モロッコ陸軍はフェズを通過し、そのままグラナダまで直進してマラガの攻囲を始めた。ジブラルタル海峡で止めるのを忘れていたが、遊兵に出来たことに違いはないので放置しておき、完全に無防備となった本土を全土占領して継戦能力を奪っておく。
モロッコの唯一の同盟国、トゥーグラがうろちょろしており、ダーラ・ケフ要塞のオン・オフが面倒くさい。小国なので兵数は4,000しかいない。先に討伐しておく。
イングランド軍は役に立ってないが、イングランド領は役に立つ
カレー Calais を攻囲していたジェノバ軍 Genoa を直接入港で追い払った後、カーン Caen を攻囲していたフランス軍を狙ったが察知されて海岸から逃げられた。
内陸に踏み込んだところ、ゼロ日差で逃げられたが、何故か引き返してきたので合戦となり、方面軍全部を始末できた。
リスボンに来ていた教皇領軍も同じ目に
フランス北部の攻囲を粉砕して地中化方面に引き返す途中に、はるばるリスボンを攻囲にきていた教皇領軍も同じ目に遭わせた。
2歳差の後継者 heir は馬車馬のごとく酷使
この後継者の将軍は、君主と年齢がわずか2歳差で、しかも射撃3、白兵6、移動4と優秀なので、戦死上等でコキ使っている。
2歳差のまま君主と後継者が歳をとり、両方が似たようなタイミングで死なれるのが一番困るので。
モロッコの首都ガルブでは、ひたすら粘られる
包囲に必要な陸軍は3,000だけでいいのだが、イングランド軍がここへ上陸してしまったので戦力超過気味となっている。しかし城壁も壊れないし、全然落城しなかった。
この数か月後、99%になってようやく落城した。
ナルボンヌ、ルシヨン要塞を奪回された
半年ばかり敵を拘束した末に落城した。十分な働きだ。
モロッコとの全体和平
モロッコ領ガルブを戦争目的として、こちらから仕掛けた戦なのだが、扱いは包囲網戦争 coalition war のため個別和平はさせてもらえなかった。
教皇領、シエナも全土占領して戦勝点が40を超えた。残ったフランスの海岸線を全て海上封鎖して戦勝点を少し嵩上げした上でモロッコとの全体和平。
陸戦での勝利による戦勝点も10点くらいあり、かなり貢献している。
フランス軍21,000がジェノバあたりに迫って来ており、厭戦気分 WE も3.9と高くなってきたので、ガルブ Garb と賠償金しかもらえなかったが、何も失わなかっただけでも御の字だ。
トレムセン、トゥーグラを消滅させる
包囲網リスクを減らすため、滅亡させた。
1503年、植民主義がロンドンに華開く
なんでだよ!どう考えてもこちらだろ!
まあ植民主義の制度 institution の伝搬は早いので、別にいいけど。
1503年、モロッコ大叛乱
西アフリカでは物神 Fetishist、北アフリカではモロッコ分離主義者 Moroccan Separtists の叛乱進捗が同時に100%に。
一応両方とも鎮圧できるつもりだが、モロッコ 33,000 はこのままだときついので、色々な手口で不穏を緊急調整。
10%を超えている州は、もうどうしようもないので5%以下を中心に対象州を減らす。
不穏-5の政令を発令
まず中央モロッコ3州(フェズ、セウタ、メクネス)には、発見の時代の特典として取得した不穏-5の政令を発令。これで不穏がゼロになった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任
北部モロッコにも同様に政令を発令。メリリャ Melilla の不穏は0.8になった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任させて、不穏はゼロに。
予想どおり、叛乱軍はガルブに 21,000 の規模で出現した。
33,000だと損害は馬鹿にならないが、これならば余裕だろう。
3000弱の損害で討伐できた。
目論見通り2歳年下の後継者 heir は死亡
射撃4、白兵6、移動4の闘将は、行軍中に突然お亡くなりに。
1504年、宗教改革の時代へ
カトリックを破門され、プロテスタントへの改宗もし損ねた中途半端な立ち位置のまま、宗教改革の時代へ突入した。
今回は欧州方面進出のため、西アフリカの物神地域の改宗が進んでおらず、時代の目標は何にも達成していないので、繁栄 splender は毎月1しか増えない。
つづく