ポルトガルAAR 再び基本に忠実にやってみる(その1)発見の時代 Age of Discovery
この数回のプレイは諸身分 estates との取引 interactions において君主力 monarc power を最大値200で確保することにこだわりすぎ、すべて金欠か叛乱祭りとなって投了に終わった。
- ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
- ポルトガルAAR モロッコ爆誕させたが期待ほどではなかった(即、投了)
- ポルトガルAAR サブスクリプションで全部入り(即、投了)
もう君主力は150で諦め、収入 income 高め・不穏 unrest 抑制の基本プレイに回帰することにする。無理はいかんぞ無理は。
1447年、さっそく恒例のモロッコ戦争
君主アフォンソ5世 Afonso V が成人して開戦できるようになった。
土地を餌にカスティリャ Castile を勧誘できるようなので、カスティリャによるグラナダ Granada 攻略が始まる前に、モロッコ Morocco と開戦して巻き込むこととした。
今回は、兵数増加の陸軍顧問を雇い、なんと21個連隊を開戦前に最前線に揃えた。
陸では、開戦劈頭にモロッコ、トレムセン Tlemcen、スース Sus、マラケシュ Marrakesh のジェットストリームアタック3連発を食らった。
いきなりモロッコ陸軍の主力12,000を壊滅させたのは大きい。
最後のスース・マラケシュ連合軍は途中で敵軍が合流して当初想定よりも数が増え、かなりやばかったが何とか全て撃退できた。
海では開戦劈頭に海上のモロッコ・スースの商船を駆った後、一か月で陥落したタンジール港から叩き出されたモロッコ海軍とジブラルタル沖合で大海戦。カスティリャ海軍も加わっていたので難なく勝利し、海軍主力を再び隣のサレ Sale に閉じ込めた。
1451年7月、叛乱軍だらけになってきたので和平
まずトレムセンで農民叛乱が勃発、首都を攻囲していた連合軍がいきなり襲われた。
しばらくしてモロッコでも農民叛乱。そろそろ潮時とみて和平した。
トレムセンからはダーラ要塞 Dahra、賠償金を奪取し、モロッコとの同盟を解消させる。
モロッコは首都フェズ要塞 Fez、メリリャ Melilla、サレ Sale を割譲、屈辱 humiliate、賠償金の条件で和平。
開戦前に土地を要求していたカスティリャ Castile は、和平のさいにはどの土地も受け取ろうとしなかったので、信頼 trust が20下がってしまった。なんでやねん。
1452年6月、アイルランド情勢に介入
もしかしてアイルランドに領地が確保できるかもしれないので、チロン Tyrone に独立保障をかけておいた。
しばらく経ってグラナダ・チュニス戦争(後述)の最中に開戦となったので、参戦はしたが兵を送る余裕はなかった。しかしチロンが勝手に勝利したようだ。
1452年7月、メーヌ Maine を巡る英仏戦争が終結
メーヌは死守されたが、アキテーヌ Aquitaine その他の大西洋側の領土は軒並み奪われたようだ。
チュニスのジェルバ要塞を奇襲
旗艦 flagship も建造したので、沿岸の要塞の奇襲が可能になった。
どういうときにジェルバ要塞 Djerba fort の防備がオンになるのか、開戦前にいろいろ調査してみる。
兵員を載せてリスボンLisboa を出航した瞬間にオン
海上に出た後、再びサレに戻ったらオフになった。
しかし、トレムセン領内の叛乱軍やトレムセン陸軍の位置にも連動しているようだったので、ポルトガル軍の動きは関係なかったのかもしれない。
兵員満載してバーバリー海岸 Barbary Coast 沖を航海してもオフのまま
ここまで来ても要塞はオンになっていない。ボン岬 Cape Bon まで進んでも同様。
結局のところ、ジェルバ要塞沖合に来た瞬間にオンになるようだったので、開戦したい月の1日ちょうどに沖合に来るように調整して開戦した。
アンナバ、カビリャあたりを奪取してチュニスと和平。
数年後、グラナダは全土併合して1州をカスティリャに売却した。
1461年、悪夢のフランス・カスティリャ戦争が発令
前回のプレイではフランスの同盟国にアラゴンがいたため地獄のような展開だったが、今回は何とかなりそうだ。開戦の直前に、ミラノ Milano と同盟して視界を確保した。
しかしジェノバ Genoa、教皇領 The Papal State も敵方なので、ポルトガル海軍の船体修復が終わるまでは地中海には出航できそうもない。
実はブルゴーニュ Burgundy とも同盟していたので、フランス近辺の視界はかなり良好なのも、今回有利な点だ。
ドーバー海峡付近に旗艦を送りこみ、フランス北部に小部隊で上陸をかける。
さっそくフランス軍の半数とジェノバ全軍が釣られてやってきた。
そちらを再占領している間に、今度は大西洋側に奇襲をかける。
教皇領の陸軍は真北に向かっているが、もし引き返してきても旗艦の艦隊に戻ればよい。
戦争当事者のカスティリャ陸軍がイベリア半島には見当たらないが、実は北アフリカのポルトガル領でバカンス中。ふざけんなよコラ。
1462年、探検アイデアグループ exploration ideas group 獲得
外交君主力800を超えたので、行政君主力を使い切って探検アイデアグループを解放し、すぐにアイデアを2つ取る。
時代の特典、ポルトガル植民地の成長 Portuguese Colonial Growth も解放。
まずテネリフェ Tenerife、次にカポ・ヴェルデ Cape Verde に植民を開始した。
植民者 colonists は後で植民した方に張り付くので、カポ・ヴェルデの方が先に植民完了するはずだ。
フランス陸海軍との死闘
カスティリャ陸軍がバカンス中なので、ブルゴス Burgos を攻囲していたフランス軍にポルトガル陸軍の全軍をぶつけて、何とか攻囲を中断させた。
フランスとは陸軍レベルが1違うので、戦闘開始時点で既に士気が6割くらいしかなかったが、ブルゴスの地形(丘陵)と数の差で押し切った。
陸軍がどこまで逃げたか確認するため、ポルトガル海軍を海岸沿いに寄せて見に行ったら、フランス海軍の主力、大型船4隻とぶつかった。しかし、なぜかナルボンヌのフランス艦隊は応援に出航してこず、余裕で勝利することができた。
1463年、カスティリャ陸軍がようやく本土に戻る
ブルゴス要塞が落とされて、首都トレド Toledo に向かってくると、カスティリャ陸軍が北アフリカのバカンスから帰ってきた。やっとか。
単独でトレドまで深入りしていたジェノバはカスティリャ・ポルトガル連合軍で簡単に各個撃破。
教皇領のほうは、各個撃破し終わる前にフランス軍も合流してきたために大会戦に。
カスティリャ陸軍はズタボロになったが、先に交戦していた教皇領の陸軍の士気が尽きて戦線離脱したため、それに釣られて後詰のフランス軍の士気も下がり、残ったポルトガル軍でも無事押し切ることができた。
1464年12月、君主力獲得のお時間
20年経過し、諸身分 estate との取引 interaction で君主力の確保が可能に。
今回は150で我慢しているので、ブルジョア Burghers と聖職 Clergy の忠誠に問題はない。
貴族 Nobility は赤なので、フランス軍の数を減らすのに協力してもらうことにした。
フランス軍の移動先が固定されたのを確認してから、行き先のベジャ Beja の土地を召し上げて叛乱軍を出現させる。しかし平地なので、フランス軍は1000名強減っただけだった。
同じ手口をバイラ Beira でも。こちらは高地なので、ベジャよりは抵抗したがフランス軍を倒せるほどではない。
1465年11月、教皇領が個別和平で離脱
ジェノバ領内でバカンス中だったフランス軍を拾って随伴し、本土奪回の構えを見せてきた教皇領。
こちらもローマの攻囲軍を野戦用に剥がして迎撃しようとしていた矢先、教皇領は唐突にカスティリャと個別和平した。
もし戦えばタダでは済まないことになっていたはずなので、いいタイミングだった。
1466年3月、ついに終戦
実はポルトガルもフランスとの個別和平を考えていたのだが、いかんせん何処も占領していないので白紙和平にしかならない。
かといって本格的に攻め込む余力もないので、海上封鎖だけしておいて放置していた。
フランスがわもカスティリャを攻め落とせず、カスティリャもフランスに向かおうとすらしない膠着状態に陥り、ついに終戦となった。
賠償金の半分くらいがポルトガルのものに。戦争中、ほとんど陸軍維持費最低にしていたので多分得した。カスティリャの好意も大量に獲得した。
1467年3月、モロッコ・トレムセンと再戦
フランス戦で稼いだカスティリャの好意20をさっそく使わせていただく。
海岸の州で呑気に訓練などしているモロッコ陸軍9,000。
マラケシュ要塞は無人であり、ここは通常の将軍でもサレ Sale から1カ月以内に到達できるので一発陥落を狙うが、モロッコ陸軍は合計16,000なので残り7,000の所在が不明。
たぶんマラケシュの裏手あたりにいるだろうが、行軍中に山岳で激突したり、マラケシュ要塞上で全軍衝突になることだけは避けなければならない。
海岸沿いで訓練中のモロッコ陸軍については、旗艦から直接上陸をかけて追い払うことにした。訓練中の軍は士気最低のはずなので難しくはないだろう。
北方の軍は、サレから沿岸沿いに進軍させた。途中で逆方向に山岳地帯を進んでくるモロッコ陸軍とすれ違った。
もし山岳沿いに進軍していたら、モロッコ陸軍7,000と正面衝突していたことだろう。
約3年後、トレムセンを降服させた。モロッコでは農民叛乱が発生して収集がつかなくなってきた。自領でもモロッコ分離主義者の叛乱が起きたが、カスティリャ軍に始末してもらった。
1470年、南北に一直線の新世界を発見
久しぶりに近くに大量出現。やる気出てきた。
どうやら地球は平面で、端っこが新大陸でふさがっているらしいな。
1471年、ムザベ・チュニス攻略
チュニスとの停戦開けまで待てないので、恨みはないがムザベを攻める。
ポルトガル軍がダーラ要塞にいる間はケフ要塞 Kef は無人となるようなので、開戦時にダーラからアンナバに陸軍を海上輸送すれば守備兵ゼロのケフ要塞を襲うことはできそうだ。
しかし、ここはモロッコ陸軍が1カ月以内に到達できる場所であり、しかも高地なのでケフ要塞上での戦闘にならないよう工夫した。
- ダーラからアンナバへ11個連隊を海上輸送し、アンナバ入港と同じ日に開戦となるよう、入港前日にムザベに宣戦布告
チュニスはムザベの同盟国なので1日遅れの参戦となる - アンナバからケフ要塞を通過して、要塞圏外のチュニスへ抜ける進軍ルートを設定
開戦当日のみ通過ルートを指示できる - 輸送船が11隻しかないため、再びダーラに戻り2回目の輸送で増援を送り込むが、先鋒の11個連隊を9個と2個に分割して同じ進軍ルートを指定しておき、2個のほうは陸軍2分割・ピックアップで進軍を遅延させ、増援が入港したタイミングで増援をピックアップすることでケフ要塞を通過
最初の野戦で勝ちはしたが、チュニス陸軍は生き残ってしまったので、陸軍維持費を最高にしたまま数か月間チュニス攻囲を続けざるを得なかった。お金が~
ムザベからトゥーグラを独立させて復活させた。
1474年、ジョロフ Jolof 攻略
カポ・ヴェルデに植民が終わったので、西アフリカ攻略を開始。
沿岸にいた陸軍は瞬殺。マリ領経由で最前線の偵察に出した傭兵連隊の報告により、マーシナ、ジェンネがフロを通過して攻囲を解こうとしていることを発見したので、全軍で迎撃して勝利。
またモロッコ人になるイベントか?と思ったが違った。
北モロッコの生産力などが上がる良いイベントだった。
1476年、アラゴン Aragon 攻略
まずは事前偵察を怠りなく
海軍の船体修復をして開戦に備えつつ、陸海軍の位置を全て偵察しておく。なるほどバレンシアに17,000が訓練中か。
国境沿いには、特に陸軍はいないようだ。
このタイミングで異端が蜂起かよ
偵察している途中に、占領地のグラナダ Granada で10,000名ほどの異端が叛乱を企てているとの報告があった。
もう1つの選択肢は、実質的にグラナダへの宣教が不可能になるというもの。
折角80%くらい布教したのに、今更諦められるか!
この反乱軍を鎮圧するための方策は2つ考えられる。
当然、理想は後者だが、失敗した場合には前者で対応するように動きたい。
ウエスカ Huesca 要塞を速攻で落とすぞ
大軍を国境に集めても、ウエスカ要塞は無人のままなので、もちろん開戦直後に占領させてもらうことにした。
という機動をすれば、間に合うかもしれない。
アラゴンの旗艦はあえなく轟沈。士気最大で挑めば、まあこんなもんよ!
頼みのカスティリャだが・・
数か月前にはイングランドと共に参戦見込みだったのだが、今になってダメだと言い始めた。
仕方ないので、フランス戦で貯めた好意を信頼 trust に変換し、参戦させた。
開戦直後ではなく、アラゴン・ナバラ軍がポルトガル側へ移動しきったところでカスティリャを参戦させたため、カスティリャ領内の要塞が邪魔になってアラゴン・ナバラ陸軍はアラゴン側に戻れなくなったようだ。
カスティリャ軍を叛乱鎮圧に使いたかったが、開戦するとアラゴン方面へ移動を始めたので、グラナダでポルトガル軍と合流させることはできそうもなく目論見は外れた。
異端の叛乱はそのままグラナダで蜂起してしまい、占領されてしまった。
もっとも隣にマラガ要塞があるので、占領されても何もペナルティはなかったのだが・・・そもそも未然に防止する必要すらなかった。
しばらく後にカスティリャ軍が指揮下に入ったさいに、狩りに行ったのだが、そのさいには別の叛乱軍との交戦によりスルーされるという椿事が発生した。
カスティリャ軍を率いて討伐を開始
カスティリャ軍が指揮下に入ったので、反乱軍を始末した後、ナバラ・アラゴン軍を狩りに行く。アラゴン軍はナバラ軍を置き去りにして、自分だけ北方に退却した。
ここで、貴族の大叛乱が発生。
前回のプレイは実質的にコレで破綻したのでトラウマになっている。
しかし今回はカスティリャ軍で全て討伐できそうなので問題ない。
なお北アフリカの叛乱軍は、後ほど合流してきたイングランド陸軍に狩ってもらった。・・・全部、他力本願かよ。
アフォンソ5世が逝去、6世が戴冠
まだ50歳にもなっていないが、アフォンソ5世が逝去した。
後任のアフォンソ6世の君主力は平凡だが、白兵6なので戦死も視野に入れてコキつかっていたところ、歩兵戦闘ボーナス Infantry Combat Bonus まで付いて、より便利な将軍に。
しかしアフォンソ5世が40歳を超えてからは戦闘への投入は控えめにしていたので、無事、生き延びて国王になれたようだ。
カスティリャ軍、アルプス超えを拒否
イングランド軍がブルターニュから南下してきて、イベリア半島でポルトガル軍の指揮下に入ったので、アラゴンの討伐と北アフリカの叛乱鎮圧はイングランド軍に交替。
カスティリャ軍は教皇領へ進軍させることにした。しかしサヴォイ Savoy までは追従してきていたのだが、アルプス超えの直前で離脱していった。
西アフリカ方面で動乱が発生
ビファーダ Befada にも植民を始めていたので、アラゴン攻めかマリ Mali 攻めから迷っていたのだが、マリの陸軍規模が大きいのでアラゴン攻めを優先した。
そのマリが周辺国との戦争を始めた。アラゴン攻めが終わったら、殴り込みをかける予定だ。
新大陸の南側を探索していたらペラルタ金鉱を発見
新大陸の北側には植民を開始していたが南側が全く未踏査だったので、南端にコンキスタドール Conquistador を上陸させて探索させていたところ、ペラルタ金鉱 Peralta Gold Mine を発見した。
半々の確率で、金か宝石を貰えるらしいぞ。
金とダイアモンド Gold and Diamonds を引いて300以上の資金を獲得した。
1480年、ブルターニュの要塞が脱落
アラゴン本土はあらかた占領したので、北方のブルターニュを蹴落としにかかる。
ほどなくして港は落ち、湾外のイングランド・ポルトガル艦隊にタコ殴りにされるブルターニュ艦隊。首都はまだ粘っているが既に21%であり風前の灯。
この局面で、
このおかげでシチリア島が攻略できるようになった。
教皇領軍は、ブルターニュ軍に奪われたカレー Calais の奪回を断固阻止したいらしく、ほぼ真っすぐ北上を続けている。
ミラノ・ブルゴーニュが同盟国なので、参戦していなくても動きが丸見えで実に助かっている。
ことからカレー奪回は諦めた。
ブルターニュの首都は、あれから一年近く粘り続け、ブルターニュ半島に敵軍が結集する中ようやく陥落した。カスティリャ軍に半島内の敵の討伐を続けさせたいので、陸軍通行権を和平の条件として要求した。
これは外交枠を喰うので、討伐が終わったら返上する予定だが。
ナンティス Nantis 奪取により、ブルターニュとフランスは陸路では分断されたので、何かいいことあるかもしれない。
もはや大局を見失っている敵軍たち
全軍4万でカーン Caen の攻囲に全力投球する敵軍。もうそこ、どうでもよくない?
コロンブスが敵艦船を狩りまくった結果のご報告
移動6のコロンブスで地中海を荒らしまわり、もともと25隻だった艦隊は47隻に殖えた。けっこうな捕獲率だ。
この結果、海軍上限枠 naval force limit を超えたので、商船以外の全艦艇を毎月末に港湾で予備役 mothball にするマイクロマネジメントを行っているが、それでもマイナス2.15ダカットの超過費用となっている。ガレー船と輸送船は戦後に売り飛ばす予定だ。
ナポリ軍だけは戻ってきたが、カスティリャ軍で一蹴した。
イタリア半島でも消化試合が始まっている。
1481年、ローマ陥落
今は金はあるので、ローマ略奪 Sack of Roma では陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism を増強することとした。
資金90ダカットは痛いが、陸軍プロフェッショナリズム 5%増はめったにないので。
フランス様とはラブラブになってきた
アラゴンを攻めたので、 フランス様は上機嫌になっている。もしかして同盟?
ブルゴーニュはプロバンスにやられて零落中
一方でわが友、ブルゴーニュ Burgundy はいつのまにかフランスから独立保障されるほどに零落していた。
ブルゴーニュの代わりにプロバンス領を奪回してあげて再興でもはからないと、同盟国としての存在価値が薄い。視界確保だけでは、ちょっとねぇ。
1481年12月、アラゴンと和平
ローマに続いてナポリも落ち、全土占領での和平となった。
教皇領・アラゴンの両方に交易力移転を呑ませたので、ジェノバ交易圏 Genea Trade Node で10%強を確保でき、数ダカットの収入が得られるようになった。
チュニスがライバルから脱落したので、当然プロバンス Provence を指定する。
ガレー船 Galley を新興アルジェ Algiers に売り払った結果、相変わらず海軍枠を超過しているが超過費用の金額は大分マシになった。
この程度の超過で済むなら、輸送船については売却しないことにする。
1482年、マリ侵攻
ジェンネ Jenne およびソンゲー Songae と絶賛戦争中のマリに西から侵攻。
マリ・モッシ Mossi との戦争となった。
マリのライバルのフロ Fulo・マーシナ Macina が通行権をくれたので、邪魔なフタ・ジェロン Futa Jellon 要塞を回り込んで背面に進出することができた。
回り込み終わった頃にマリがジェンネと和平。
その結果、近くまで来ていたモッシ軍は、ジェンネ領となった州内で潰走状態となり、マリ攻略の脅威ではなくなった。
巨大化したジェンネの野望はとどまるところを知らない
隣のコング Kong まで狙っているようだ。
マリからは3州を奪取
モッシ軍にも見捨てられたマリからは、予定どおり3州を奪取した。
東西に分断されたので、たぶん東側はそのうちジョロフとして分離独立するだろう。
1483年、ミラノ Milano からすでに勝っているパルマ戦争に呼ばれる
盟友ミラノから突然の呼び出し。
すでに戦争目的 War Goal のパルマ Parma は全土占領されており、ブラバント Brabant は攻囲されている状況で、戦勝点60を超えている。
そして呼ばれた数か月後には和平となった。
全く何もしていないので、好意 favor は1、金は2しかもらえなかった。
1485年、3回目のモロッコ戦争
前回のアラゴン戦争で大量に船舶を捕獲して海軍枠の最大に達したので、タダでタンジールに領有権主張を付けることができる使命 Mission をやっと発動できるようになった。
ポルトガルには、モロッコ領に領有権主張を付けられる使命が幾つかあるが、安易にあまり早く発動しないほうがよい。
一気に征服するより、ジワジワ占領地を広げた方がはるかに安全なので。
しばらくライバルでいてくれた方が、戦力投射 power projection も稼ぎやすいし。
植民中のシエラ・レオネ Serra Leoa にフロ軍 Fulo が退却中
フロとマリが戦争を始めた。戦力は拮抗しており、お互いに陸軍での決戦は避けているようだ。フロ軍はなぜか植民中のシエラ・レオネに退避し始めた。
ここは植民イベントで原住民の攻撃性が恐ろしいレベルに上がっているので、そのままそこを守備しておいてくれるとありがたい。
しかし翌月にはマリとの戦線に戻っていった。残念。そもそも何故ここにきたのか・・・
1487年、トレムセン・トゥーグラ攻略
以前ムザベから独立させたトゥーグラにも領有権主張を付け終わっているので、併合する予定だ。
1488年、チュニス攻略
開始
終了
君主の個性のおかげで、素晴らしい芸術家が登場したが別に用はなかった。
1490年、影の王国 The Shadow Kingdom 発動
これでイタリア半島北部のほとんどが神聖ローマ帝国の管轄から外れた。
1492年、プロバンス・アラゴン攻略
アラゴンとは後5年くらい和平期間があり、交易力移転・賠償金に不満はなかったのだが、プロバンスと組んでいたので仕方なく再度攻略を行うこととなった。
新世界はさらに西にも大陸があるようだ
近い方の大陸は、見事なまでの壁状大陸だった。
さらに航海を続けると、さらに西に大陸を発見。これも大きいぞ。萌え~
1494年、サヴォイを盟主とする包囲網組まれた
プロバンス領を併合したら、周辺国が一気に激おこ状態に。当たり前だが…
サヴォイを盟主とする包囲網に、フランス、ジェノバ、シエナなどが続々と参加。
しかし皆、激おこなのだが、関係はわずかにマイナスという程度なので、フランス以外は関係改善を最大まで行って解除を狙っていく。
まず手始めにジェノバの関係改善を最大100まで行ってみた。
関係はプラス圏に戻ったが激おこ状態は解消されなかったので、その他の国の改善は中止した。どうやら無駄っぽい。
1495年、マーシナがマリ・ジェンネを喰って肥大化
マリはマーシナにも攻め立てられ、もはや一州になってしまった。
生きてはいるが滅んではおらず、中核州や領有権主張は最盛期のまま。
これはこれで利用価値がある。
ということでマリを強制的に属国にした後、周りを攻めとる作戦にすることにした。
油断大敵
マリ陸軍は全滅して兵がいないものと思って適当に進駐したら、戦地から帰還したマリ軍とまともに衝突してしまった。
何とか撃退したが、ちゃんと統計 ledger 画面でチェックしておくべきだったな。
マリに続いてフロも攻める
マリを併合した直後に、フロとの停戦 truce も切れたのでそのまま北西に移動して開戦。フロはジョロフを攻めている最中だったが、ポルトガルの横やりで陸軍が全滅し、両国間の国境も分断されたため、数年後に白紙和平となっていた。
少数派の追放、一度はじめるとキャンセルできない
資金に余裕はあるので、ケープにも同時に植民したかったのだが、少数派の追放 minority expulsion をキャンセルすると植民地の放棄 abandon になる仕様らしい。
複数同時に植民したい場合や、旧世界の特定の場所に急いで植民したい場合には、先に旧世界がわへ植民してから、その後に新世界への少数派の追放をするようにしないといけないようだ。
1494年7月、プロバンスがプロテスタントに改宗されてしまった。
となりのフォルカルキエ Forcalquier に改宗中心地 Center of Reformation が出現していたので、真西のプロバンス Provence はひとたまりもなく改宗されたようだ。
経緯はともかく、これでとりあえず自国内にプロテスタントの州が出来たので、いちおうプロテスタントに改宗しようと思えばできる状態にはなった。
宗教地図モードで確認すると、今のところ改宗中心地は2つしかないので、いますぐ改宗するかどうか迷ったが、
- 教皇庁影響力が70くらい貯まっている
- 西アフリカでの改宗作業がもうすぐ終わりそう
なので、しばらく判断は保留とした。
すると聖書の現地語訳 Bible Translated がサン・トメ Sao Tome で発生
自前でプロテスタント州をつくれるイベント、聖書の現地語訳が発生。
しかし、なぜこんな離れ小島で…
すでにプロバンスがプロテスタント州なので、これ以上は必要ない。
よって周辺のカトリック諸国家との関係改善ボーナスの方を当然選んだ。
1494年10月、ついにコロンブス退役す
持ち前の移動6を生かして何十隻も敵船を捕獲し、我が国の海軍規模を2倍にした殊勲の提督クリストヴァン・コロンボ Cristvao Colombo、ついに退役。
州の名前や提督名もポルトガル語になっているあたり、凝っているよなEU4は。
1497年、摂政政治 regency が終了して新君主が即位
前王の王妃(王母)が有能だったので、別にそのままでもよかったのだが、ともかくも新国王が成人したので交代となった。
しかし継承権が弱かったらしく、首都に僭称者 pretender が蜂起しそうだ。
フランス国内には石炭 Coal があるらしいな。
何か操作を間違ってフランス領内を偶然クリックしたら、石炭 coal の産地を発見。
これは終盤で何かの役に立つらしいが、いまのところは効果は不明だ。
1497年4月、カスティリャがアラゴンに攻め込む
ポルトガルはアラゴンとは停戦中なので誘われなかった。
まあ呼ぶ必要も無い位、弱り切っているのも確かだが。
1497年10月、フランスから痛恨の破門を喰らってしまった・・・
これは痛い・・・プロテスタントへの改宗を考えたが、時すでに遅し。改宗中心地の3つめがドイツ北部のどこかの国に出現していた。
毎月ものすごい勢いで教皇庁影響力が減るので、使えるだけ全部使っておく。
一度、破門されると君主が死亡するか、自らが教皇庁支配者に返り咲くかしないと、ずっとカトリックであるメリットは享受できない。
とりあえず50は教会税 Levy Church Tax で使い、残りは教皇庁の選挙にすべて投入した。しかし根本解決を図るには、カトリック Catholic を捨てるしかない。
1497年11月、フロの次はマーシナ
マーシナには高レベル要塞は無いが、ティンブクトゥ Timbukutu、エア Air とも同盟しているので陸軍は多く、少し時間がかかりそうだ。
このあたりは最大5%の損耗 attrition 地域があり、その被害は抑えたいので、
- 敵の州には月替わり直後の2日に入るように移動タイミング調整
- そのまま全軍を率いて2州先まで移動させて、月末には占領済みとなる予定の州へ戻ってくる
- もし2州先を偵察して周囲に敵が見当たらなければ、2個連隊を置き去りにして占領に着手
というロシア仕込みの偵察機動を徹底する。
読み通り途中でマーシナ、ティンブクトゥの陸軍と鉢合わせになったが全軍引き連れていたので、数の暴力で粉砕した。
一気に要塞に詰め寄った
陸軍があっさり始末できたので、意外とすんなりティンブクトゥ要塞 Timbukutu、ガオ要塞 Gao まで詰め寄れた。ガオの方は、あまり守備兵がいないようだ。
エア陸軍も発見したので、リスクはなくなった
エア軍の所在は長らく不明だったが、開戦してから数か月は無人にしておいたベニン要塞 Benin に釣れらて南下していくのがやっと見えた。
このままベニン要塞に捉まらずに戻ってきたとしても、戻る様子も丸見えだし、数か月時間があるので安心だ。
ティンブクトゥとは、2つの要塞を落として戦勝点99点になったところで個別和平した。もうすぐ停戦切れになり再戦を予定しているモロッコとの同盟は切っておく。前回、トゥアト回廊 Tuat から攻めあがってきたのがウザかったので。
1499年3月、ついにこの時が来てしまった・・・
包囲網に参加しているジェノバの君主から漏れた最高機密。
継続中のマーシナ攻略は、最後の詰めエア攻囲の途中だが、余裕兵力をできるだけ欧州方面へ戻して開戦に備えておく。
フランスは無防備
なお開戦予定についてフランスには何も通知されていないらしく、ルシヨン要塞とナルボンヌ要塞は無人のようだ。できれば奇襲で獲りたいので検討してみる。
- 海側からの場合、フランス海軍を封じ込めておき旗艦から直接上陸
リヨン湾に艦隊を集結させてフランス海軍の出航を防げるかがポイント - 陸側からの場合、バルセロナからアラゴン領経由での進軍
ライバルであるアラゴンを通過させてもらえるかどうか次第だが、少なくともポルトガルからの通行権申請はアラゴンに認めてもらえない可能性が高い。
開戦後に敵がアラゴンに通行権を請求すれば、その反射で当方も通過できるようにはなるが保証の限りではない。
海側からの攻略案で準備を進める
より確実な前者の海側からの攻略案で準備を進める。
リヨン湾で海戦が発生するだけで上陸作戦は台無しなので、全ての大型船と小型船をリヨン湾に集結し、そもそもフランス海軍に出航する気をなくさせてしまうことが何よりも大事だ。
月末にはエアの首都も陥落
タイミングよく最後のエアの首都も陥落したので、さっさとエア、マーシナと和平してすべての兵力を西に戻しはじめる。数か月かかりますけど。
1499年5月、むしろ、こちらからモロッコに仕掛ける
サヴォイが作った包囲網に、最後にふらっとモロッコが加わった。
当初はルシヨンに付けた領有権主張が生きているフランスを攻めるつもりだったが、モロッコの方が欧州から外れており首都や要塞を片付けやすいので、ジェノバから包囲網戦争を開戦される前に、こちらからモロッコへの征服戦争を宣戦布告した。
- いままで完了を保留していたタンジール占領の使命 mission を完了させ、ガルブとモロッコ南部全域への領有権主張を獲得
- カスティリャはアラゴン戦争中のため、土地をくれるなら参加するとの意向
まあアラゴン戦争が終わってから呼べばいいので、最初からは呼ばない。 - イングランドはとりあえず呼ぶ
陸軍にはあまり期待していないが、地中海に艦隊を回してくれると、かなり助かる。
モロッコ方面では、マラケシュ要塞を奇襲占領
ジブラルタル海峡の海上で西アフリカから海路帰還した陸軍を待機させておき、無警戒のマラケシュ要塞が無人の状態で翌月1日に開戦。
前回のモロッコ戦と同様、サレ Sale からひたすら直進させ、当月内に要塞を抑えた。
フランス方面では、ルシヨン、ナルボンヌ要塞を奇襲
両要塞とも無人なので、リヨン湾の旗艦からなけなしの決死隊(傭兵中心)を上陸させたところ、敵艦隊は出航せず、敵陸軍も近くにはいなかった。
意外とウザい教皇領のガレー11隻艦隊が出現
船脚は遅いので避けることは難しくないが、後から合流されるだけでもリスクになる。
去ったのを見計らって、ジェノバ艦隊のほうを襲撃する。
いつでも逃げられるとはいえ、アビニョンから教皇領軍が近づいてくるなど、かなりヒヤヒヤしたが無事占領できた。大した戦勝点にならないが、いい時間稼ぎにはなる。
アンジュー要塞を無人のままで開戦していた orz
ふと気づいたらアンジュー要塞が落城との報告が...
ルシヨン・ナルボンヌ決死隊が襲われなくてラッキー!と思っていたのだが、ポルトガルがわがアンジュー要塞を無人にしたまま開戦しており、そちらに敵の陸軍が釣られていっただけだったらしい。
アンジューは無人のまま、翌月あえなく陥落 orz
まあ要塞2個と引き換えならいいか…どのみち守れないし...
モロッコは早くも占領モード
モロッコ陸軍はフェズを通過し、そのままグラナダまで直進してマラガの攻囲を始めた。ジブラルタル海峡で止めるのを忘れていたが、遊兵に出来たことに違いはないので放置しておき、完全に無防備となった本土を全土占領して継戦能力を奪っておく。
モロッコの唯一の同盟国、トゥーグラがうろちょろしており、ダーラ・ケフ要塞のオン・オフが面倒くさい。小国なので兵数は4,000しかいない。先に討伐しておく。
イングランド軍は役に立ってないが、イングランド領は役に立つ
カレー Calais を攻囲していたジェノバ軍 Genoa を直接入港で追い払った後、カーン Caen を攻囲していたフランス軍を狙ったが察知されて海岸から逃げられた。
内陸に踏み込んだところ、ゼロ日差で逃げられたが、何故か引き返してきたので合戦となり、方面軍全部を始末できた。
リスボンに来ていた教皇領軍も同じ目に
フランス北部の攻囲を粉砕して地中化方面に引き返す途中に、はるばるリスボンを攻囲にきていた教皇領軍も同じ目に遭わせた。
2歳差の後継者 heir は馬車馬のごとく酷使
この後継者の将軍は、君主と年齢がわずか2歳差で、しかも射撃3、白兵6、移動4と優秀なので、戦死上等でコキ使っている。
2歳差のまま君主と後継者が歳をとり、両方が似たようなタイミングで死なれるのが一番困るので。
モロッコの首都ガルブでは、ひたすら粘られる
包囲に必要な陸軍は3,000だけでいいのだが、イングランド軍がここへ上陸してしまったので戦力超過気味となっている。しかし城壁も壊れないし、全然落城しなかった。
この数か月後、99%になってようやく落城した。
ナルボンヌ、ルシヨン要塞を奪回された
半年ばかり敵を拘束した末に落城した。十分な働きだ。
モロッコとの全体和平
モロッコ領ガルブを戦争目的として、こちらから仕掛けた戦なのだが、扱いは包囲網戦争 coalition war のため個別和平はさせてもらえなかった。
教皇領、シエナも全土占領して戦勝点が40を超えた。残ったフランスの海岸線を全て海上封鎖して戦勝点を少し嵩上げした上でモロッコとの全体和平。
陸戦での勝利による戦勝点も10点くらいあり、かなり貢献している。
フランス軍21,000がジェノバあたりに迫って来ており、厭戦気分 WE も3.9と高くなってきたので、ガルブ Garb と賠償金しかもらえなかったが、何も失わなかっただけでも御の字だ。
トレムセン、トゥーグラを消滅させる
包囲網リスクを減らすため、滅亡させた。
1503年、植民主義がロンドンに華開く
なんでだよ!どう考えてもこちらだろ!
まあ植民主義の制度 institution の伝搬は早いので、別にいいけど。
1503年、モロッコ大叛乱
西アフリカでは物神 Fetishist、北アフリカではモロッコ分離主義者 Moroccan Separtists の叛乱進捗が同時に100%に。
一応両方とも鎮圧できるつもりだが、モロッコ 33,000 はこのままだときついので、色々な手口で不穏を緊急調整。
10%を超えている州は、もうどうしようもないので5%以下を中心に対象州を減らす。
不穏-5の政令を発令
まず中央モロッコ3州(フェズ、セウタ、メクネス)には、発見の時代の特典として取得した不穏-5の政令を発令。これで不穏がゼロになった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任
北部モロッコにも同様に政令を発令。メリリャ Melilla の不穏は0.8になった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任させて、不穏はゼロに。
予想どおり、叛乱軍はガルブに 21,000 の規模で出現した。
33,000だと損害は馬鹿にならないが、これならば余裕だろう。
3000弱の損害で討伐できた。
目論見通り2歳年下の後継者 heir は死亡
射撃4、白兵6、移動4の闘将は、行軍中に突然お亡くなりに。
1504年、宗教改革の時代へ
カトリックを破門され、プロテスタントへの改宗もし損ねた中途半端な立ち位置のまま、宗教改革の時代へ突入した。
今回は欧州方面進出のため、西アフリカの物神地域の改宗が進んでおらず、時代の目標は何にも達成していないので、繁栄 splender は毎月1しか増えない。
つづく
ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
アフォンソ5世 Afonso V 即位までは、君主力 monarc power を貯めつつ外交施策で参戦機会を伺う。今回はトレムセン Tlemcen と同盟 alliance することができた。
1446年2月、モロッコ Morocco がトレムセンを狙っているとの噂
事前報告ありがとう。
セウタ要塞 Ceuta をオン、海軍 navy の予備役 mothball を解除して開戦に備える。
タンジール要塞 Tangiers の守備兵 garrison ゼロのままになっていたので、数か月後、開戦直後に陸軍1個連隊でいきなり占領できた。
チュニス Tunis がトゥーグラ Touggourt とグラナダ Granada に宣戦布告
チュニスにとっては余興の如き戦いだが、この2か国は相当離れているので、トゥーグラ完全占領後も多分長引くことだろう。和平強要 enforce peace による参戦も視野に、関係改善 improve relations は行っておく。
恐るべしマラケシュ Marraksh の3つ星将軍
北アフリカを舞台に2つの戦争が同時進行となっているが、とりあえずポルトガルの敵はモロッコとその属国 subjects のみ。モロッコの属国たち、兵数は少ないが白兵6、攻城4の3つ星将軍 general がいるなど、けっこう侮れない。
モロッコとはいつも通り、主力との衝突は避けて機動戦
セウタ Ceuta を囮にして後背地に上陸し属国から落としていく、いつもの作戦。
スース Sus、タフィラルト Tafilalt の首都はそれぞれポルトガル、トレムセンで陥落させた。
何とか全軍の半数以上、10個連隊をかき集めて、マラケシュのレベル2要塞を攻囲 siege する構えだけは見せている。しかし、モロッコ軍主力が近づくたびに逃げざるをえず、敗走させられた同盟国の陸軍が戻ってくるための時間稼ぎにしかなっていない。
陸路でチュニスに向かおうとするトゥーグラ同盟国グラナダ Granada、モロッコに向かうトレムセン同盟国ジェリド Djerid、占領された後背地を奪回しようとするタフィラルト Tafilalt の陸軍などが入り乱れて大変見苦しい。
1449年7月、マラケシュ除いて全土を占領
我が国にも攻城3の将軍が出現したので、トレムセンの協力を得て首都フェズ Fez を迅速に落とすことができた。モロッコに奪回されたスースを再度奪回し始めている。
マラケシュ要塞を落としたいところだが、モロッコ陸軍のフルスタックが健在で、頼みのトレムセン軍は近づいても来ないので、そろそろ和平しようかと思っている。
1450年5月、カスティリャ Castile にマラガ Malaga 横取りされた
カスティリャがグラナダに宣戦布告した2か月後に、ポルトガルも停戦が解けたので宣戦布告。首都グラナダ Granada はカスティリャに先取されたが、マリヤ Marriya、マラガ Malaga、ジブラルタル Jabal Tariq はポルトガル軍が先取した。
しかしポルトガルがマラガを落とす直前(陥落確率28%)にグラナダがカスティリャと和平。グラナダだけでなくマラガまでとられてしまった。多分カスティリャの中核州 core だったのだろう。
トレムセン・ジェリド軍と協力してスース再占領
トレムセン軍がようやく南下してきたので、スース首都の再占領までは何とか成功した。残るはマラケシュ要塞だけなのだが、ここで農民反乱 peasants rebels が発生。そろそろ潮時だ。
1450年11月、モロッコと個別和平
つい忘れがちになるのだが、この戦争はトレムセンが当事国の戦争なので、ほどほどのところで自国に都合の良い条件で個別和平 separate peace して離脱することにした。
交易力移転 transfer trade power はムリだったが、賠償金 War Reparations は取れるだけとり、領土としては
を確保した。厄介な属国のうち、マラケシュの宗主権 overlordship は放棄させた。
メリリャを確保できたので、アルメリア Almeria の方は金持ちのカスティリャに183ダカットで売り払った。
その数か月後、グラナダ全域で分離主義者の大叛乱が発生した。
いやはや、売り払っておいて正解だったわ。
1451年、トレムセンもモロッコと和平
タフィラルトは併合され、スースはモロッコから解放された。
これでモロッコは丸裸になったので、停戦 truce 切れになり次第、各個撃破すればよい。
共通の利益 A Shared Interest イベント
気さく(=外交力が高い)な王妃 consort のおかげで良いイベント発生。
- アフォンソの外交力が1増える(確率20%)
- 外交君主力 diplomatic monarc power を100獲得(確率80%)
とのこと。結果は君主力だった。
1455年10月、教皇庁支配者 PAPAL CONTROLLER に当選
教皇庁影響力 papal influence を2回投資し、フランスを出し抜いて当選した。
1456年12月、ブルゴーニュ公頓死
ブルゴーニュ公が頓死し、低地地方はオーストリア領 Austria になった。
このイベント、最近、発生しにくくなったと思う。
低地地方がオーストリアになるか、カスティリャになるかはどっちでもいい(後でオランダ独立で荷物になるし)が、フランス France の棚ボタだけは何か腹立たしい。
1457年10月、ジョロフ侵攻
カポ・ヴェルデ Cape Verde に植民した直後に、ジョロフ Jolof に領有権主張 claim を2つ付けて宣戦布告した。植民地 colony 成立するまで州 province は奪取できないので、とりあえず賠償金稼ぎ。
モロッコからの賠償金で旗艦 flagship を建造したので、当月内に上陸できる上、上陸戦ペナルティ(マイナス2)も付かない。ポルトガルのフュージリア、末恐ろしいわ。
イベリア半島 Iberia では、カスティリャ継承戦争 Castilian Civil War が始まったようだ。僭称者 Pretender Rebels の一人はアラゴン Aragon に支援されているらしい。
人的資源 manpower はわずか2000でも惜しいので、2つめの選択肢を選ぶ。
この程度の叛乱なら、現政権側が必ず勝つだろう。西アフリカで被るであろう損耗を想像すると、たとえ2000でもキープしておきたい。
1459年3月、ほぼケリがついた
マーシナ Macina、ジェンネ Jenne についても全土占領に入った。
ここでも攻城3の将軍は大活躍。
野戦軍は弱いが、土地柄による損耗 attrition が多い西アフリカでは、攻囲期間中の2~4%の損耗が無視できないので、北アフリカ・欧州におけるよりも攻城ボーナスは価値がある。
土地は一つも奪取できないが、3か国からそれぞれ賠償金をかき集めた。
ジョロフは戦勝点 War Score が余っていたので、寄港権を強要 Enforced Fleet Basing もしておいた。岬の向こう側に寄港権があると、植民や侵攻のさいにかなり便利なので。
1459年11月、カスティリャ継承戦争が終結
さらに仲良くなり、関係は最大値200になった。
1463年10月、マリ Mali 侵攻
ポルトガルがマーシナ、ジェンネの陸軍を全滅させて西アフリカのパワーバランスを崩した結果、ここら一帯は大荒れに。
教皇庁支配者で外交官 diplomats に余裕があったので、マリにもスパイ網 spy network を張っておいたところ、マリがジェンネに攻め込むつもりだという事前情報が流れてきた。外交枠も余っていたのでジェンネに独立保障をかけておいたのだが、お構いなしに開戦された。
敵方の勢力はマリ、コング Kong で合計2万強の陸軍を持っていたが、ジェンネ要塞はレベル2なので攻囲軍の9,000は無視できたのは大きい。ジェンネ陸軍9,000も後背地に退いており温存されていたので、牽制効果はあり、マリ全土占領はうまくいった。
首都ジョマ Joma を落としたところ、現地調達(略奪) Sack of Niami イベントが発生して、陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism が5も増えた。
途中で敵方にティンブクトゥ Timbuktu が加わったが、大勢に影響なし。
ジェンネ首都を奪回した時点で、マリから賠償金を取れるだけとって個別和平した。
そのあとジェンネはマリに併合されたが、まあこれは仕方ないな。
後継者ジョアン Joao がモロッコ人になる(?)
わが息子ジョアンは、モロッコで何かに目覚めてしまったらしい。
モロッコ人になるってどういうことだよ。でも10年間、モロッコ文化の州の不穏 unrest がマイナス3というのは、かなり良いなとは思った。
でも今は、該当する州は3州しかないのでモロッコ人になるのはやめとく。
1463年10月、トレムセンがモロッコ攻略を企画中との噂
トレムセンにフェズ Fez まで取られると後々、厄介なので妨害することにする。
トレムセンは同盟国なのだが、ポルトガルは密かにスパイ網を張り巡らせて裏切りの準備を進めていた。
ちょうど45点貯まっていたので、トレムセンの2州に領有権主張を付けることができる。
トレムセンを仮想敵国 rival に指定して同盟を切った。モロッコとの停戦切れは数か月後に迫っており、トレムセン側で呼ばれたくはないので。
モロッコ側についてトレムセンを叩く案も考えた。
そのためにトレムセンに警告を送る send warining ことや、モロッコに独立保障をかけることを試みたが、トレムセン・モロッコは強大すぎるからという理由でどちらも実行できなかった。
3か月後、トレムセン軍は叛乱で瀕死のモロッコに雪崩れ込んだ。
モロッコ軍は今のところ2000名しかおらず、同盟国はティンブクトゥだけなので、トレムセンがフェズに拘っている間に周り全部をポルトガルが占領するのがいいだろう。
モロッコへのスパイ網は60に達しているので、叛乱軍を支援すればフェズも横取りできるかもしれない。
2か月ほど遅れてポルトガルもモロッコ・ティンブクトゥに宣戦布告。
叛乱軍の支援 support rebels はトレムセンが攻囲中のフェズに叛乱軍が向かったタイミングで行って、共同でトレムセン軍を追い払う算段でいたのだが、叛乱軍も馬鹿ではなく、フェズには行ってくれなかった。よくよく考えると、要塞はモロッコのものなので、反乱軍は要塞の防御側にはなれない立場。わざわざ挑むとも考えにくかった。
もうフェズはトレムセンに取られたものと諦めていたところ、トレムセン軍が急にフェズから撤退した。いちおう置き石で総員79名のゴミ連隊 regiments を攻囲戦に参加させていたので、ポルトガルが奪取できる可能性が出てきた。
トレムセン軍は、叛乱軍がフェズに来るのを事前に察知して逃げたものと思いこんでいたが、実は違った。南方からティンブクトゥの本隊が攻めあがってきたのに反応していたらしい。
折角、占領し終えたモロッコ南部をティンブクトゥに奪回されるのは本意ではないので、スパイ網60を使ってモロッコ叛乱軍への支援を発動した。
味方になった叛乱軍は相変わらずフェズ攻略には協力してくれなかったが、モロッコ南部をずっと往復運動し続けることで、ポルトガルの支配地域を守り続けた。
はるか東方では、チュニスがムザベ Mzab・ジェリドに宣戦布告。
助けてやりたいところだが、ちょっと今は無理だ。
その翌月、今度はスース分離主義者がマラケシュから独立を勝ち取った。
ティンブクトゥ軍はトレムセンの方にはいかず、フェズを通過してセウタ Ceuta に向ってくるようだ。たとえ端数の1個連隊でも無駄にはできないので撤退させた。残念ながら棚ボタは失敗したようだ。
そこから一年半、ティンブクトゥ軍がセウタを攻略している真後ろで、ポルトガル軍がフェズ攻略を継続。セウタが落とされる前にフェズを落とし、何とか和平に持ち込んだ。
戦争目的 war goal のフェズをポルトガルに横取りされたトレムセンは、モロッコ攻略を諦めたようだが、弱ったモロッコに今度はマラケシュが襲い掛かる。2州しかないが、レベル2要塞があるので勝てると踏んだのだろうか。
そろそろ探検家 explorer でも出すか
やっとこさカポ・ヴェルデへの植民が完了したので、タダで探検家をもらえる任務 mission を完了させた。
さっそく公海上を捜索させたのだが、新世界は近くにはないようだった。
しょぼーん。
1468年5月、スース・トレムセン攻略
マラケシュはモロッコを滅ぼしてしまった。
まあそのうち、モロッコ分離主義者が蜂起して元に戻る気はしているが。
マラケシュとの停戦切れは大分先だし、トレムセンもライバル指定で同盟を切ってから数年しか経っていないので、別に何の恨みもないのだが、独立したばかりのスース Sus を攻めることにした。
もっとも真の標的は、スースの同盟国であるトレムセン。トレムセン陸軍が南端のタフィラルトに湧いたモロッコ分離主義者の鎮圧に出かけている隙に、無人のダーラ要塞 Dahra を最初に攻略した。
ここでも旗艦は大活躍。月内に上陸できるので、制海権さえ握っていれば、海岸沿いの無人要塞はほぼ一発で墜とせる。
好意 favor が10貯まっていたので、カスティリャ軍も勧誘した。
国内に大叛乱が発生しているというのに、まったく気にせずにスースに全軍を直行させるカスティリャ軍、かこいい。
落としたダーラ要塞にトレムセン軍が拘泥している間に、周りの州をどんどん落とす。
戦後を見据えてアラゴンの状況をチェック。アラゴンの後継者、女性のようなのでイベリアン・ウェディングのリスクはかなりありそうだ。
スースへ進軍中のカスティリャの目前にモロッコ分離主義者の叛乱軍が沸いた。
がんばって片づけてね。
最近覚えた海戦のマイクロマネジメント
海戦に入るさいに、艦隊単位で交戦させるのではなくて、全ての艦艇をバラバラにしてから交戦させ、士気がゼロになった艦艇だけを1隻ずつ退却させていくマイクロマネジメントがけっこう有効だと気付いた。
海戦に勝ったとしても、途中で味方に多くの損害が出たのでは意味がないので・・・
いつもなら先に沈められてしまうガレー船や小型船も救うことができる。もちろん大型船の不慮の事故なんかもありえない。
最後はカスティリャ陸軍無双となり、トレムセンの首都は陥落した。
1471年、アラゴンたちが攻めて来た
フランス France、サヴォイ Savoy、教皇領 The Papal States を引き連れて攻めて来た。
ポルトガルしか同盟国がないので、放置するわけにもいかず参戦する。総力戦に堪える資金もなければ人的資源もないので、とにかく陸戦はやらない方向で、いつもどおり海上からの奇襲を徹底する。
制海権がなければ話にならないので、まずはアラゴン海軍をマイクロマネジメントで狩りとりにいく。
マイクロマネジメントすること数回、カスティリャ無敵艦隊の助けも借りて敵海軍は一掃した。バレアレス諸島、サルディーニャ島、シチリア島などは占領したが、本土の重要拠点には全く手が出せない。
勝利に向けた展望は何も見えない中、和平を待ち焦がれつつ抵抗を続けて3年め。
島以外でも取れるところはと取り、味方船舶を入港させて奪回を防いではいるが決め手に欠ける。
維持費最低のままで出来ることだけ繰り返し行っており、一度たりとも大きな陸戦は行っていないので、3年経っているわりには厭戦気分 WE は2未満のままだ。
そんな中、国内ではなぜか異端どもの叛乱がポルトに大挙して湧く。その数、なんと2万3千。すでにリスボンに2万1千の貴族叛乱軍 noble rebles がいる中、とてもじゃないが鎮圧できない。仕方ないので反乱軍の出している条件を呑む。
フランス国内でも叛乱が発生し、フランス軍の半分とサヴォイ全軍はそちらに向かった。こっちも3万3千の異端なので、そう簡単には片づけられず、イタチごっこになっている。
フランス・サヴォイはフランス領内に、教皇領・ナポリ軍はイタリア方面に散らした結果、ついにイベリア半島でカスティリャ軍が反攻に転ずる。
さらに一年が経過、首都トレド Toledo を奪回し、ブルゴス Burgos の再包囲を開始した。開戦4年目にしてようやく、カスティリャ領の大半を取り戻した。
4年間、カスティリャのために必死に戦った結果、ナバラ解放と少しの賠償金で終戦となった。何と虚しい戦いだろう。
そしてアラゴンの後継者の娘は、いつの間にかお亡くなりに。ますますやばいぞ。
カスティリャは1000以上の借金を背負ったので、好意 favor を24もらったところで何の役にも立はしないという悲しさ orz
1477年、トレムセンがチュニスを平らげる
1478年、ジョロフ攻めの途中に最高の将軍を獲得
久しぶりに出た!A new champion of the joust で陸軍伝統100の将軍をくじ引き。
移動6、攻城4という、まさに鬼神のような将軍が引けた。
さっそくジョロフ戦に投入したが、すごい勢いで首都の防御が剥がされていく。
1485年、マリがフロを攻めるとの噂
マリに警告を送って send waring 牽制したのだが、やはり無視して宣戦布告された。
マリの金山 Gold 2か所に領有権主張が付け終わっているので、それを奪取することが当方の狙い。
しかしタッチの差でフロ Fulo の首都が落とされたため、賠償金のみの中途半端な和平を呑まされることになった。いちおう賠償金の9割はこちらにもらえたが、欲しかったのは金山なんだよ!
1487年、ついにブルジョア災厄の危機
残期間の計算を一カ月を誤り、ブルジョア Burghers の影響 influence が100のままで進捗95%を迎えてしまった。
ブルジョアに与えている封土はポルト Porto しかなく、陸軍主力は別の叛乱鎮圧のため北アフリカに遠征中なので、ここで蜂起させたら翌月に鎮圧することは難しいだろう。
最終手段として、西アフリカの territory の州を1つ、中核化して分母の方を増やすことで100%を割らせるという裏ワザを使わざるを得なかった。
1488年、貴族 nobles どもが一斉蜂起
国内のあちこちに貴族の封土を与え、しかも忠誠 loyalty が低かったがためにこんなことに。
貴族の諸身分イベント Deteriorating Relations with the Nobility で6か所同時蜂起となるが、要塞の隣に湧く奴は無視できるので、アヴェイロ Aveiro、ハハ Haha、イフニ Ifni の叛乱軍を迎撃する。
磨き抜かれた叛乱鎮圧テクで迎撃はしたが・・・アヴェイロは叛乱軍の将軍が白兵6という鬼将軍のため想定外の敗退となった。しかも、その敗走先がフェズ Fez という最悪の流れ。
メリリャは要塞の隣なので迎撃しなかったのだが、そこが占領されたために、フェズ分離主義者の進捗70%とポルトガル貴族反乱軍30%の進捗率が合成されて、コインブラ Coimbra にさらに2万6千もの貴族叛乱軍が湧いてしまった。
敗走した軍は、この後フェズで士気0.51の状態で別の叛乱軍とぶつかったが、フェズは山岳要塞で防御側なのでギリギリ全滅は免れ、今度はリスボンへ敗走。
残りの全軍を海路リスボンに集め、本土北方の貴族叛乱軍はすべて鎮圧したが、なおスース分離主義者18,000、同モロッコ18,000、同テトゥアン8,000は北アフリカに残っており、トレムセン分離主義者が叛乱間近がまだ控えている苦しい情勢だ。
パトラッシュ、もう疲れたよ・・・
君主力200獲得路線でずっとやってきたが、その結果、忠誠がずっと低いまま。
それを補うべく封土を与えたが、忠誠が40を超えるようには与えられなかったため、逆に不穏が増大。このような叛乱祭りを招いてしまった。
今回は探検アイデア exploration ideas と拡張アイデア expansion ideas のコンボにしてみて、植民だけはやたらと順調だったが、不穏 unrest の扱いは甘かった。
- インフレ率下げる顧問などは、後回しで良かったはずだ
- 西アフリカの領地を貿易会社にすぐ割り当てなかった(キリスト教に改宗させてからやろうと思った)
- 領有権主張が永久の土地まで、欲張って一気に分捕り、過剰拡大が80%を超えた
君主力200はムリがあるという結論
君主力200獲得路線でやってきたが、だいぶ無理がある気がしてきた。
影響100を切るように土地を剥がすさいの忠誠低下が大きすぎ、弊害のほうが上回っている。やはり影響75~80あたりで君主力150で我慢するのがよいようだ。
忠誠30を割ると、諸身分イベントで大規模な叛乱が起きやすいようなので、忠誠は30~80の間でコントロールしておかないといけないようだ。
ポルトガルAAR モロッコ爆誕させたが期待ほどではなかった(即、投了)
とりあえずサブスク subscription で全DLC要素は満喫したものの、プレイとしては失敗してしまった前回。
無理な戦争で先ず人的資源 manpower が払底、それをカバーする傭兵 mercenary や気合を入れ過ぎた植民 colonization に資金も食われて借金3回となり投了とあいなった。
早々に新大陸 new world を発見
今回も初動は前回と同じだが、早々に新大陸を発見できたのはラッキー。
大都市はポルトの方が早かった
一年後、早くも大都市 A Large City を達成した。リスボン Lisboa よりもポルト Porto の方が開発 development が2多い分、早く達成できることに気づいた。
貴族の忠誠を即座に40以上に戻す
貴族 noble から取り上げた土地を聖職 clergy に下賜することで忠誠 loyalty を40以上に戻せることにも気づいた。
1446年1月、毎度おなじみメーヌ Maine 割譲で英仏は全面戦争に
フランス France を利するだけだというのに…我関せず。
1446年2月、チュニス Tunis がトレムセン Tlemcen・ジェリド Djerid に宣戦
ジェリドはトレムセンと同盟していたことから、戦争は泥沼化すると予想して独立保障は敢えてかけなかった。今から関係改善 improve relation、独立保障をかけて関係100での和平強要 enforce peace による参戦を目指す。
1448年2月、カスティリャがグラナダに向けて南下を始めたのでモロッコと開戦
カスティリャは土地に釣られて参戦し、グラナダは救われた。1450年、モロッコ全土占領で終戦。この期に及んでも尚、チュニス戦争は泥沼を脱していない。
チュニス国境までトレムセン領内を遠路はるばる移動し、モロッコとの停戦の直前に和平強要でチュニスと開戦。
1451年4月、チュニスから白紙和平の申し入れ
チュニス領を2つ3つ占領したら、白紙和平 white peace で終戦となった。
チュニス陸軍との交戦は一切なく、海軍はすべて刈り取った。
トレムセンの陸軍もゼロとなり弱体化。チュニスには時間を浪費させたので上々だ。
1451年8月、チュニスがスースに独立支援
モロッコからは北部モロッコ Northern Morocco すべてを奪って弱らせた。
するとチュニスがスース Sus の独立支援 Support for Independence を発動してきた。
ポルトガルとスースの関係は先の戦争で大いに悪化したため、今は便乗できないようだが、関係改善は進めておく。
1452年、グラナダと開戦
陸軍ゼロだがモロッコと一応同盟しているトレムセン、小国ながらも山岳に8000名の兵が立て籠もっているグラナダ。どちらを攻めるか迷うところだ。
トレムセンを攻める場合、モロッコの属国たちも含めて要塞を6つも攻略しないといけないので多分時間がかかる。その間にカスティリャがグラナダを攻めるかもしれないので、グラナダを攻めることにした。
真横に陸軍を張り付けているのに、マラガ Malage 要塞は無人のまま。
よほど自信があるのだろうか。
人的資源節約のため山岳での戦いを避けたいので、圧倒的大軍を近づけてカスティリャ側の平地に追い払らった上で全滅させた。
オスマンは案の定、グラナダを救う余裕なし
陸への上陸すらも可能だったが、国内叛乱の鎮圧のため早期に和平した。
タフィラルト Tafilalt がモロッコからの独立戦争を開始
3つの属国全てが寝返ったモロッコは滅亡必至。
大マラケシュ Marrakesh 国が成立し、モロッコは1州のみとなった。
1454年、トレムセン・スース攻略
トレムセンには歩兵6,000しかいなかったので、今のうちにトレムセン攻略に踏み切ることにした。しかし全滅させることはできずスース軍と合流して、数回にわたる襲撃。
何とか撃退して攻略はしたが、借金を背負うはめになった。
トレムセンの同盟国トゥーグラ Tougggourt は、途中でムザベ Mzab にハイエナされて消滅した。
1459年、チュニス攻略
スクショでは分からないが、ライバルのチュニスには2万名弱の貴族叛乱軍が湧いており、正規軍で鎮圧できないまま、イタチごっこになっている状況。
ポルトガルもやることがなくなってしまったので、領土は接していないが、ライバルなので宣戦布告した。
チュニスはスース、タフィラルトと同盟しており、ポルトガルも丁度旗艦 flagship を完成させて上陸戦が即決できる状態となったので、チュニスより先に両国の陸軍を片付けて全土占領してからチュニス本土に向かう算段とした。
ところが、そうはいかなかった。敗走したスース軍が遠路タフィラルト首都まで逃げ戻り、タフィラルト軍と合流されてしまった。
二派に分けて上陸させたポルトガル軍全軍で追走し、野戦を仕掛けて追い払ったが、そこに現れたのはトレムセン領を通過して悠々とこちらに向かってくるチュニス陸軍(全軍)。勝ち目はないので全土占領を諦め、元来た道を引き返して海路脱出。
当初の方針を変更し、チュニス首都だけ占領して賠償金のみで手打ちとした。
1462年、グラナダ攻略
グラナダ以外にオスマン、モロッコ(1州)が参戦。グラナダ・モロッコを全土占領したが、例によってオスマン効果で戦勝点が大して稼げず、グラナダを完全併合できない展開に。
モロッコは個別和平で併合できたが、その直後に遅れてマラケシュも参戦してきたので、少しびっくりした。しかしマラケシュ軍は7,000しかいなかったので、野戦でさっさと全滅させ全土占領、返り討ちにしてやった。
最後に海軍を全部集めて、オスマンの海上封鎖で戦勝点を少し水増ししたうえでグラナダと和平。首都グラナダを奪取したが、マラヤは奪えずグラナダは生き残った。
1464年、トレムセン分離主義者をいよいよ片付ける
人的資源と資金の不足により、トレムセン分離主義者どもに山地・高地の3州を占領されてしまったが、マラケシュ・グラナダから徴収した賠償金により、毎月30ダカットかかる傭兵の補充が可能となったので、鎮圧することにした。
行政君主力をケチって厭戦気分がゼロになるまで占領地を中核化しない方針にしていたら、なんと過剰拡大99%になってしまったので、属国としてモロッコを成立させて解消しようとおもったのだが・・・
首都となるべきフェズが陥落している状態だと属国が作れなかった、というのももう1つの理由。
叛乱軍の居座る高地に攻め込むのは得策ではないので、占領された高地を奪回し、それを奪い返しに戻ってくるのを高地で迎撃することにした。
けっこうギリギリだな・・・
これ以上、借金したくないので士気を1段階しか上げなかったのは失敗だったか…
高地と優秀な将軍のおかげで、何とか叛乱軍を除去することができたが、失敗してたら目も当てられなかったな。
フェズを再占領したら、モロッコをつくれるようになった。
モロッコ爆誕
貴族、聖職、ブルジョアに与えていたモロッコ北岸の土地が自動的に召し上げられ、影響100が自動的に100未満になった。
タンジール征服 Conquer Tangir の使命 Mission は発動していなかったが、属国モロッコがあればこの使命はほとんど使う必要がない。ごく一部を除きほぼ全域モロッコの中核州なので。
厭戦気分もようやくゼロになったので、モロッコにならなかった州を中核化しはじめる。厭戦気分の効果など10%未満なので、もっと早くやっとけと言う話だが。
カポ・ヴェルデの植民地成立には間に合わなかったが、発見の時代の2つめの特典が発動した。
1466年、ジョロフ攻略
この時点で借金400以上となっており、フェズの叛乱鎮圧のために10個以上雇用した傭兵のコストが半端ない。逆に人的資源は余ってしまった。
騎兵が多過ぎて比率が維持できず、騎兵で攻城戦をせざるを得ない状況になったが、そこにバックドアからマーシナ・ジェンネ陸軍が突入してきて、騎兵4個を5秒で屠られてしまった。
どうやら失敗したようだ
- モロッコを爆誕させたが、そのために陸海軍扶養限界が伸びが悪くなってしまい、兵力に余裕がない。9州も与えたのに、歩兵4000しか動員してくれないし…
- 騎兵を6個作ったが、ほとんど損耗しないので比率維持のネックになり、遊兵になることが多かった。
- 傭兵が多過ぎて、ジョロフ攻略で、また借金2回するはめになり500を超えた。
- 君主力200獲得にこだわった結果、忠誠がいつも40%以下となり、収入が確保できなかった。少なくとも2回目(1464年)は150で我慢すべきだった。
交易会社投資 Trade company investments って何だっけ?
ちょっとよく分からないタイミングで、突然アラートが表示された。
どうやらこれは、サブスクで使えるようになった Dharma DLC の新要素らしい。
2つの交易会社地域 Trade Company Regions に交易会社の投資が行えるとのこと。
施設の名前らしきものが列挙されているが、効果や設立方法が分からない。
Trade company - Europa Universalis 4 Wiki によれば、投資によって収益を増やせるとのこと(当たり前)。
地域 area インタフェースの最下部から設立操作ができ、5種類2段階の投資を地域 area 単位で行なえる。また各地域ごとに1つだけ行える特殊な投資が5種類あり、国全体・交易地域全体に効果が及ぶとのことだった。
しかし費用は300、600、1000と各段に高いので、相当金余りにならないと投資はできない感じだ。おすすめは現地の新興企業 Local Venture らしい。
しかしインドあたりならまだしも、ギニア湾岸(しかも現在ビファーダ1州のみ)では採算が合わないかもしれない。
少数派の追放 Minority Expulsion って何だっけ?
新大陸に植民しようとしたら、植民者を送る Send colonist 以外の選択肢が突如として現れた。
どうやら自国内の少数派を島流しにすることができるようになっているようだ。
これも Golden Century で導入されたものらしい。
Minority Expulsion:
Settle your distant colonies with homeland minorities, promoting greater cohesion at home, while adding more diversity to your subject nations.
いまいちメリット・デメリットが分からないが、植民地の成長は早くなるらしい。
- 追放元の開発development 1点につき、植民成功率 settler chance が0.5%増
- 完了時に追放先の開発が増、しかも追放元からは減らない
- 許容文化 accepted culture にするつもりのない少数民族を追放するとよい
追放する州の文化転向コストど同等の外交君主点を使う
出典:Why expel minorities? : eu4
文化ごとの割合と許容する場合の外交君主力コストを確認してみる。
しかし、延べ開発20以上でない文化については許容させられないらしく、確認できず。
手っ取り早く、もう一州、植民するさいに少数派の追放を指定することにした。
どうやら、モロッコ人 Moroccan minority かスンニ派 Sunni minority しか指定できないらしい。
スンニ派の州は10州あるが、実際にはセウタ Ceuta からの追放しか選べなかった。
分離主義 separatism がゼロの州しか指定できないらしい。
序盤でボーナスのあるうちに植民を急ぎたいのでGOをかけた。
- 植民の好機+3.5%増加
- 開発完了時に開発1増加
外交君主力53に見合うものかどうかは微妙だが、ものは試しで。
新大陸の最良の植民地がスンニ派となる結果に orz
通常より開発が1多くなりはしたが、これはあまり良い策とはいえなかった。
政府改革 Goverment Reform でコスト削減
探検アイデアの6番目が少数派追放のバフに代わっているようだ。
第三階層 Tier 3 の改革の中に、少数派追放のコスト30%削減の改革がある。
発動するなら、これらを両方とも取ってからのほうがいい。
もっとも、よほど植民重視でない限り、こちらを選ぶことも多いが。