〔関連書籍〕最強国の条件
序章 一極優位を可能にするもの
歴代の「最強国」に見られる法則性
[ かつて世界史に登場した「最強国」は、世界支配にいたる上昇過程においては、少なくともそれぞれの時代の標準に照らして、きわめて多元主義的かつ寛容だった ]]
[ 「最強国」の衰退は、不寛容、排外主義、そして人種的、宗教的、あるいは民族的「純粋さ」への呼びかけと、ほとんどの場合、軌を一にしている ]]
最強国の条件(略)
- 国力全般において、同時代の既知のライバルを明らかに上回る
- 軍事・経済力において、同時代の地球におけるどの国家と比べても明らかに劣らない
- 力を及ぼしうる範囲は地球的規模
第1章 最初の「最強国」
第2章 ローマ帝国における寛容
属国であっても上流階級は簡単にローマ市民にも、ひいては皇帝にもなれた。
第3章 中華帝国の絶頂期
第4章 大モンゴル帝国
自分自身は何の技術もなかったが、征服した異国の専門家を活用して最強国になった。
ジンギス汗はモンゴル軍に欠けている能力や技術を備えている者を、どんどん雇い入れていった。戦いが終了するたびに、モンゴル軍は注意深く捕虜を調べ、技術者を見つけると、すぐにモンゴル軍に加えている。強力な攻城機器の作り方を知っている漢人の技術者が(以下略)
モンゴル軍の本当の「獲物」は、人的資本だった。技術者に加えて、ジンギス汗は部隊ごと投降してきた金軍の将兵、軽業師(中略)などの芸能人、それに仕立て屋に(中略)医者といった熟練労働者をも連れてきた。
モンゴルは一時代前なので、EU4よりはCK2だが、騎馬民族のモンゴルがなぜか最新鋭の攻城兵器で攻めてくる理由が分かり面白い。
第5章 不寛容の代償
中世スペインの異端審問と国外追放の悪影響。
異端審問の第一波によって、スペインの改宗ユダヤ教徒人口は激減した。(中略)ユダヤ教徒がいっせいに出国したせいで、スペイン経済は崩壊してしまう。(中略)ユダヤ系スペイン人がスペインの金融界を牛耳っているのは、実はスペイン王国の国益にもかなっていた。
第6章 小国オランダが築いた世界帝国
宗教的寛容、民族的寛容によりおもに経済・軍事技術で最強国になった。
このようなオランダの底知れない寛容さは、実は巧妙な計算にもとづいた選択だった。16~17世紀オランダの主な政治家たちは、宗教的寛容が経済的利得をもたらすと、はっきり説いているのである。
第7章 東洋における寛容と非寛容
最初は寛容さで伸長したが、不寛容になって衰退したオスマン。明、ムガールもあり。
オスマン帝国における寛容政策の、もう1つの重要な要素は、改宗して新たにイスラム教徒になった人材の活用だった。(中略)改宗イスラム教徒は、生まれながらのイスラム教徒に比べて何一つ劣っていると見なされず、成功への道を閉ざすような制約もなかった。
第8章 イギリスとその帝国
イギリスの世界覇権確立の過程で決定的に重要だったユダヤ教徒、ユグノー、スコットランド人の貢献が、イギリスの寛容政策への転換なくしては不可能だったこともまた、まぎれもない事実である。しかも人口比からいって、彼らの貢献は巨大だった。