セバスチャン1世は1498年に没したが、世継ぎのジョアン2世はまだ幼少なので、后妃フアナがアフリカ戦役を続行。ここまでの経緯は以下のとおり。
さてアフリカはというと
自国領は勿論のこと、隣国も叛乱だらけで、時々領内を叛乱軍が通過したり占領したりを繰り返す。
要塞の隣は何度占領されても暫くしたら元に戻るが、また占領されるので、なかなか中核化が終わらない。
1502.11 チュニス、マムルクと和平
チュニスがフェザーンを攻めたので、和平強要で参戦して逆襲をかけた。
しかし開戦後数ヶ月経ったところでチュニスがマムルクと同盟。後付け同盟にもかかわらず、途中参戦してくる事態に。
多分、以前の同盟時に貯まっていた好意 favor がまだ残っていたんだろうなあ。
14,000位の軍2つで波状攻撃をかけてきたマムルクを何度か全力で迎え撃ち、時間を稼いで、とりあえず首都チュニスは陥としたが、出島の要塞を攻略している最中にマムルク軍が対岸を奪還したため、攻城戦中のポルトガル軍に逃げ場がなくなった。
倒しても倒しても戻ってくるし、6,000以上の人的資源を失うわけにもいかないので、仕方なく和平した。
1504.12 フランスがカスティリャに宣戦、巻き込まれる
過度の落ちぶれ防止のため、カスティリャと同盟していたが、フランスは構わず攻めてきた。これ以上、フランスを野放しにすると自分も危ないので、受けて立つ。
しかしカスティリャとアラゴンの両軍を併せればかなり持ちこたえると思われたので、すぐにはイベリアに向かわず、さっき始めたばかりの中央アフリカ(コンゴ)攻略を終わらせてから向かうことにした。
2年後に駆け付けた(?)ときにはすでにトレド、カスティリャ・ラ・ビエハが落とされていた。
1508.10 たった2州の喪失で済んだ
今回はポルトガルも頑張り、トレド、カスティリャ・ラ・ビエハを奪い返した。
以前と違って40個連隊位の規模になっているので、片方の軍を陸路で進ませ、もう一方を海路で進ませて陽動・迎撃するなどの芸当ができるようになったのが大きい。
カスティリャたちも陸軍は押され気味だが、海軍は健在なので、フランス海軍が海上輸送を邪魔しないのが助かる。
輸送船21隻での海上起動を駆使してフランス、ブルターニュなどの陸軍を各個撃破すること数回。結果、こちらから頭を下げて個別和平することなく、北部2州の割譲のみで全部和平・手打ちさせることができた。
同盟も切られなかったし、フランス相手には上出来といえるが、ここで4年ばかり時を費やしてしまった。
史実ではマラッカあたりに着いている頃だろうが、未だにゴアすら見えていない。
1513.5 でかくなりすぎたソンゲー Songhai を膺懲
さきほどからモロッコ、トレムセン、チュニス、ソンゲー(ソンガイ)、ジェンネ、コングあたりの国々が包囲網を組んだり、抜けたりを繰り返しており、アフリカのリスクが増してきた。
ソンゲーは現在ヤオ、カティナと交戦中なのでトレムセンが発起人となった包囲網にまだ参加していないが、終戦すれば参加することが確実なので、今のうちに分解しておくことにした。
500以上の賠償金を取り、イフェ Ife を奪い、ティンブクトゥを再び解放し、カネム・ボルムに領土を返却させて和平。
これで暫く包囲網には加われないから、アフリカ攻略を邪魔されることもない。
しかし叛乱軍の方は容赦なく発生するので、要塞が無いところで叛乱率90%になった場合には大軍を周囲に配置させて待ち伏せるしかない。
さあこいマリ分離主義者 Malian Separatists どもめ!28,000の陸軍で押しつぶしてくれるわ。
1513-20 ひたすら各地の叛乱を鎮圧
上図のとおり、17種類もの分離主義者 separatists を国内に抱えていたので、叛乱率80%くらいになるたびに大軍を集結させる作業を8年間ばかり繰り返した。神学者の大臣が早死にして不穏 unrest が高止まりなのが微妙に利いている。
しかし叛乱鎮圧の間にも、西アフリカ、中央アフリカの攻略は続けており、内陸にじわじわと支配を広げている。だから永久に叛乱軍の種類は減らず、むしろ増え続けているのだが。
1520 知らん間にスコットランドがアイルランドになってきとるw
1524 アフリカはこんな情勢
北アフリカでは、モロッコ Morroco がまだ生きている。しかし同盟国は西アフリカのヤテンガ Yatenga だけなので、あまり危険はないから飼い殺しにして放置してある。ベルベル伝統 berber tradition の中核化ペナルティもウザいし。
トレムセン Tlemcen は瀕死なのだが、奴がオラン Werran を抑えているせいで、北アフリカを船なしでは渡れないというウザい状況。しかもオスマンと同盟しているのでトレムセン全土を占領しても1州ずつしか奪えず実に厄介。その1州も、オスマン領の幾つかを海上封鎖して戦勝点を水増ししない限りは奪えないという無理ゲー。
とりあえず全海軍を集結させてオスマン40隻のガレー船隊をスピードの差でかわしつつ、和平交渉の瞬間だけ海上封鎖する手口で1州もぎ取りはしたが、一時期ガレー船隊に補足されてボコボコに殴られるという恐怖体験もあった。逃げたものの本当にやばかった…
チュニス Tunis はマムルク Mamluk との同盟を切らせたし、マムルク自体が見てのとおりオスマンにタコ殴りにされているので風前の灯。ただしチュニスとズサ Susse の2州で開発が56もあるという変態国家。ヒマで何もできないから開発ばかりしていたらしい。ジェリド Djerd が属国なので、いつでも簡単に攻めこめる。
西アフリカはティンブクトゥ Timbukutu 以外、すべて激おこ状態。ソンゲー Songhai はティンブクトゥ、カネム・ボルム Kanem Borum を喪ったが、カティナ Katsina を食ったので以前と変わらない大勢力に戻っている。この方面ではフロ Fulo が属国なので、領有権主張をフロに付けさせ、領土拡大をさせている。
中央アフリカは、コンゴ Kongo をルンダ Lunda と分け合って滅亡させ、ギニア湾岸沿いの西海岸一帯は自国領にした。東海岸のキルワ Kilwa 側には、まだ到達できていない。
この辺の損耗率は月4.0%なので、大軍を背後に控えさせ、最前線を傭兵2個連隊だけでじわじわと占領していく棒銀戦法(?)で消耗を抑えつつ漸進を図っている。
叛乱軍はチマチマ鎮圧を繰り返した結果、だいぶ減って7種類になった。叛乱率の高い州をカバーするように時間稼ぎ用の要塞を建てながら攻略を進めているが、それでも2万以上のコンゴ分離主義者とかが湧いてくると鎮圧も楽ではない。
アラゴンに独立の兆しが
イングランド、リトアニアが独立支援を付けている。リトアニアは一体何故?
1527.12 アラゴンが独立戦争を開始
外交評判 -1、威信-25 は痛いが、イングランド、アラゴン海軍を相手に海戦に勝てる気がしないので拒否。
海上輸送できないと、叛乱鎮圧の輸送ができないし、イベリアでもガチ陸戦にしかならないので何もいいことがない。
1528.5 ゲール Gelre が便乗
低地地方を掠め取ろうという寸法らしい。セコい。
4年後の1532年時点の惨状は以下のとおり。
ゲールの同盟国ということで、フランスまで参戦してやがる。見捨ててよかった。
しかしこりゃあもう、戦争と呼べるものではありませんなあ。一方的な虐殺だ。
介入したいのだが、陸軍はモロッコ攻略で忙しいんですよ。
1529.1 エル・ドラド El Dorado の探索も開始された
シボラも探索している途中だったような気がするが・・・
政府 Government タブで調べてみたらエル・ドラド探索 Search for El Dorado しか効果表示がないので、記憶違いなのか、無効にされたのか?
1530.8 アシャンティ Ashanti 建国
2州しかないのでフロのように爆誕とはいいがたいが、いつもの場所にアシャンティが建国された。
実は黄金海岸 Gold Coast から真っすぐ北上して内陸部を攻略できる絶好の位置なのだが、アシャンティが出てくるので、この場所には植民しないようにしている。
1532.11 ソンゲーが攻勢を企図との噂が。
軽率な君主のおかげで、とても助かった。
いきなり攻め込まれていたら国境沿いの無人要塞はひとたまりもないところだった。
トレムセン、オスマン、マムルク、ソンゲー、ティンブクトゥに包囲網を組まれているさなかにこの情報がもたらされたので、ただちにオーストリア(陸用)、ベネツィア(海用)と同盟を組んだ。
外交枠は3つもオーバーしているが、背に腹は代えられない。
1533.2 ティンブクトゥに宣戦布告された。大戦争の予感!
ソンゲーではなく、ティンブクトゥに宣戦布告されるという謎な展開となった。
前にもジョロフ(1州)から宣戦されたことはあるが、小国から宣戦布告された場合は全土占領と和平がやりやすいので、こちらとしては助かるのだが。
さっき同盟したばかりのオーストリアは同盟を守って参戦したが、ベネツィアの方はあっさり裏切った。
しかしオーストリアだけでも5万以上の陸軍がいるので、無いよりははるかにマシだ。
オスマン、マムルクの両方が北アフリカに殺到すると大変なのだが、オーストリアがいれば少なくともオスマンは来づらいだろう。
もっとも過去にナポリ、ジェノバなどがオスマンの輸送船(ガレー40隻付き)を撃退できず、いきなり本土決戦に持ち込まれていたので、後方も油断はならないが。
今後の作戦
ティンブクトゥは3州しかないので、これを全土占領すれば何らかの和平はできるはずだ。これはたやすいので、勝つのは当然として、それまでにどこまで戦勝点を稼げるかがポイント。
オスマン、マムルクとのガチンコはメリットがないので、基本的に要塞防備を固めて専守防衛。オスマン陸軍はオーストリアに任せる。海軍は大西洋までガレーが来るようなら迎え撃つが地中海ならば放置の方向。
トレムセンはレベル2要塞を最早持っていないので、7,000の陸軍を片付ければ後はフェス、ジェリド(攻城戦 +4 将軍は健在)だけでマムルクがくる前に全土占領するだろう。
するとポイントはソンゲーをいかに捌くか、ということになろうか。
- 経費節減のため、なるべく陸軍維持費最低のまま戦う
- 損耗率の高い州は2個連隊のみで占領し、棒銀戦法で進駐して早く要塞以外の州を全部押さえて視界を確保
- ソンゲー陸軍とのガチンコは回避、なるくポルトガルの要塞に拘束しておく。追放したら多分、ティンブクトゥ方面に援軍として向かうだけだろうから。
- ティンブクトゥ陸軍は一度倒しても、要塞の裏側で復活するので、できればボケっと傍観させておきたい
- しかも、ティンブクトゥのレベル2要塞の攻城戦はじゃまさせたくない
こんなところだが、陸軍維持費を諦めないと難しそうだな。
フロ軍がティンブクトゥに真っすぐ駆け付けてくれば、維持費最低・ティンブクトゥ軍傍観のままで攻略できる可能性はあるので、フロ軍がポルトガル軍に随伴 attach されるように頑張ってはみる。
攻略はわりあい順調、しかし叛乱鎮圧で攻城戦は遅れ気味
フェス軍とジェリド軍は迅速にポルトガル軍に随伴 attach されてくれたので、トレムセン軍には陸軍維持費最低のまま波状攻撃をかけ続け、最初の戦闘では敗れたものの、舞い戻ってしつこく追撃して殲滅させた。
砲兵6,000とジェリドの攻城 + 4 将軍のコンボでレベル1要塞の首都はあっという間に陥ちて愉快だった。
ジュフラ Jufra に作ってあった要塞を攻略中のマムルク14,000も、この3カ国連合軍で追い返した。こちらは流石に維持費を最大に上げてから戦ったが。
一方で西アフリカのフロ軍には洞ヶ峠を決めこまれ、ティンブクトゥもソンゲーも攻めず、かといってポルトガル軍に随伴もしない。9,000名もいるので、ティンブクトゥの要塞くらいは進んで攻略してほしいのだが。
同じ州にポルトガル軍を置いてあちこち動かしてみたが、どうやっても全然随伴されてくれないので、結局、野戦も攻城戦も自力でやるしかなかった。
フロの自由への渇望 LD が高すぎて、言うこと聞かないモードになっているのか?
Above 50 liberty desire, a subject becomes disloyal, refusing to pay taxes while being unhelpful in wars by only defending its own territory.
はい、不忠のときは領内しか防衛しない仕様でした・・・
列強として圧力かければ influence nation 、関係改善効果でLDを50未満に押し込めるかもしれないが、金が惜しいし、長続きしないので諦めた。
オーストリアはオスマンと血みどろの殴り合い。しかし一方で2万以上の別働隊をジブラルタルから北アフリカに送ってくるんだからさすがだ。いっぽうミラノは国境を越えてこない。何やってんの。
海軍の方は、トレムセン海軍は各個撃破したが、マムルク海軍を追ってトリポリ沖まで深入りしたらオスマンガレー戦隊40隻に捕まり、逃げ出すまでのわずかな間に輸送船2隻を沈められた。オスマン海軍は無傷。しまった・・・
さてこの間にも、全国の叛乱率は順調に伸び続け、コンゴ界隈では2つばかり反乱が起きた。ソンゲー、ティンブクトゥの要塞攻略であまり余裕はないが、戦力を抽出してたとえ1州でも不穏ゼロの州を増やし、蜂起は防げないにしても叛乱規模はできるだけ抑える。
過酷な措置 harsh treatment で押さえ込むほどの価値もないような僻地なので、さしあたり蜂起はさせて、なるべく翌月初めには鎮圧することを繰り返した。コンゴの今後は建ててある要塞の粘りにかかっている。
君主が残虐 Cruel の特徴持ちで不穏 +2 ペナルティがあるため、全国的に叛乱率高め展開になっているのが苦しい。神学者を顧問にしているが、残虐のせいで全部チャラ。
そろそろ悪徳君主は病死でもいいですよ~
…などと思っていたら、自由への渇望 LD を5%低下させる Benevolent の良特性が得られて、そのおかげで50%未満になった。末永く生きろ(併合完了するまで)
ソンゲー首都ガオ Gao は陥落させたが人的資源は枯渇、チュニジアまで叛乱したのでいったん和平
ソンゲー陸軍を全滅させることができず、何度も陸戦となり、7,000以上あった人的資源はいつしか尽きた。
しかし首都ガオは落とせて、トレムセン全土+ガオで戦勝点60以上になった。このままティンブクトゥを攻略したかったが、オスマン、マムルクにノータッチだと戦勝点がさして変わらない気もしたので潮時かと。
仮にティンブクトゥ領を奪ってもフロ領が拡大するだけなので、足しにはならないし。
しかも、もう何十年も前に領土にしたアンナバまで叛乱してしまい、厭戦気分すらもリスクになっている有り様で、叛乱抑止力が欲しかった。
1537.9 初めてカスティリャを脅迫してカディスをもらう
フランス、アラゴンに差し込まれて弱体化したカスティリャ。試しに脅迫 threaten war してみたらカディス Cadis をもらえた。
陸路で接続するのにセビリャが欲しかったが少し足りず。
いずれにしてもカスティリャから領土を脅し取ったのは初めて。
脅迫してもなお、歴史的盟友 historical friends は消えずに残っている。はて?
1538.11 さらに内乱まで、カスティリャ終了のお知らせ
イベリア本土は貴族反乱軍が闊歩、アルギン Alguin は農民反乱軍が占拠、低地地方は分離主義者が占拠。
こうなってくると、フランスより早くイベリアを切り取ることが焦眉の課題になってくる。
1539.12 また若さの泉を探索
探検失敗を繰り返している、7つの都市探索。
あまり意識していなかったが、ときどき探索に失敗した旨の探検イベントが発生して、リセットされていたようだ。
今度は若さの泉。金がかかるのがキツイ。
後に Attacked by Natives イベントでコンキスタドール死亡して、探索も中断された。
1541.12 アラゴンを食い始めた
アフリカから8割がた陸軍を戻し、アラゴン支配下にあったカスティリャ領のハエン Jaen、ムルシア Murcia を奪取。
陸軍はゴミだったが、ガレー19隻を全滅させるのは骨が折れた。ついさっき大英帝国化したイングランドは、沖合からポルトに本土上陸をかけてくるので海は気が抜けない。
ともかくムルシアを奪ったので、ようやくバレンシアまで領有権主張が付けられる状態にはなった。
アラゴン、カスティリャはライバル同士なので、どちらか一方がフランスと同盟する事態になる気配がかなりする。早く切り取らないと手が出せなくなりかねん。
1542.4 容赦ねえなフランス
ブルターニュを3か国で殴るフランス。ひでえ…
1542.11 カスティリャは叛乱の前に崩壊
政権が転覆して威信は -10 くらいまで一気に 80 くらい回復。
新たなる出発も望めるようにはなった。
まあ、食わせていただきますが。
ナポリがサルディーニャ討伐を始めた結果、巻き込まれたアラゴンも悲惨な状況に。
1544.5 やっと一つめの属国ジェリドを外交併合
1544.12 ザンジバル付近に手ごろな属国が作れた
コンゴ近辺の戦争のさいに、ムタパを巻き込むことができ、全土占領できた。
キルワの裏側を抑えたのは大きい。領有権主張もすでにつけてくれているし。
1544.12 ザンジバル付近に手ごろな属国が作れた
1546.4 後継者死す
ムタパの戦争が終わり、帰還の途に就く王子。しかし、狩りの途中でお亡くなりに。
この辺はゴリラの楽園だから、気を付けてくださいと言ったのに!
5-5-1 と優秀だったのだが、何の変哲もない凡庸な後継者がすぐに出てきたので、とりあえず王朝の継続には支障はない。
つづく