旗艦に交易力アップの特典つける意味はなかったんじゃ?
旗艦 flagship というとロイヤルソヴェリンみたいな超大型艦だよね~という印象から、なんとなく大型船 large ship の旗艦を建造。といいつつも戦闘力重視ではなく、
- 1つめは海兵の沿岸上陸加速 Portuguese Fusiliers
- 2つめは沿岸要塞攻囲ボーナス Mortars
- 3つめの特典は特にコレというのはなかったので、
ポルトガルっぽく交易力アップの特典 Portuguese Trade Route Map
をつけていた。
しかし、実験してみたところ交易力アップの効果よりも旗艦の維持費のほうが高いため、旗艦を交易保護 protect trade の艦隊に入れることはほぼなかった。
実際の運用としては
- 戦時は沿岸州での戦闘支援や沿岸要塞の攻囲 siege 支援のために輸送船隊に常に組み込まれている
- 維持費があまりに高いので、平時は輸送船ともども常に柱島で予備役 mothball にされている。戦時も月末には必ず寄港して予備役にするマイクロマネジメントを徹底
- このため船体防御はいつも25%しかなく、大型船どうしの血で血を洗う海戦には大抵は参加しない
このことから考えると、
- 維持費の高い大型船の旗艦に交易力アップの特典をつける意味は全くない
- もしかすると旗艦が大型船である必要すらなかったかもしれない
のではなかったと思い始めた。
次にプレイするときは大型船以外で作ったらどうなるか確認してみたい。
やっぱり大型船で建造することに
いっそのこと輸送船 transport で建造しようと思ったのだが、それはなかった。
大型船 large ship、小型船 small ship、ガレー船 galley のどれかしか選べないようだ。
交易防衛のボーナスを付け、常時艦隊に入れておく前提で小型船で建造にしようかと思ったが、よく考えると、この場合には逆に上陸支援・要塞攻略のボーナスのほうが無意味になってしまう。
結論としては、やっぱり大型船で建造し、移動+1になるボーナス Standardized Signal Book を3つめとして選んだ。
- 1つめは海兵の沿岸上陸加速 Portuguese Fusiliers
- 2つめは沿岸要塞攻囲ボーナス Mortars
- 3つめは移動+1ボーナス Standardized Signal Book
運中の損耗を抑えるために寄港することなく1か月以内でどこまで遠距離移動できるかが、輸送船隊にとっては最重要なので、移動ボーナス+1はかなり便利だ。
政府改革 Government Reform の第4階層 Tier 4 聖職の行政官 Administrative Clergy の効果が不明なのだが…
政府改革がようやく第4階層まで到達した。
諸身分の忠誠度の状況など諸都合により、聖職の行政官 Administrative Clergy を発動させた。無償の行政施策が1つ Administrative Free Policies もらえるらしい。
Monarchy - Europa Universalis 4 Wiki の説明を見ても、これがどういう意味なのかは分からなかった。
もっとも今のところアイデアグループ2つをコンプすらしていないので、そもそも政策 policies は発動できず、しばらく便益を享受できないまま待ちとなってしまった。
しばらくして、探検アイデアグループ、統治アイデアグループの2つをコンプした。
しかし行政の政策は1つも候補に表示されなかったため、仕方なく、いつもどおりの植民行政条例 The Colonial Administrative Act を選択した。
これでは宝の持ち腐れだ。行政の政策が出てこないのは何故なんだろう?
Policies - Europa Universalis 4 Wiki を見ると、この2アイデアでは、植民行政条例しかないようなので別の種類の政策を選ぶわけでもなさそうだ。
もしかして、発動にかかるコストがゼロになっているんだろうか?
よくよくWikiを読むと
The first policy in each monarch point group is free and the subsequent policies cost one monarch point of the appropriate type each month.
とあり、もともと1つめの政策についてはタダらしい。そうすると、2つめの政策を選んだときに、そのコストがゼロになるのかもしれない。
検証するにしても3つめのアイデアグループには、まだ着手すらしていないので、まずはそこからか・・・
さらに調べていくと、Reddit にそれらしい答えがあった。
Aministrative Free Policies +1 : eu4
最初の政策は無償で、その後の政策については君主力が毎月1ずつかかるべきところ、その2つめも無償ということらしい。
ポルトガルAAR 再び基本に忠実にやってみる(その2)宗教改革の時代 Age of Reformation(中断)
前回のあらすじ
欧州方面への橋頭堡を幾つか確保
フランス France・ポルトガル Portugal・カスティリャ Castile に3連続で袋叩きにされたアラゴン Aragon は、ナバラ Navarra・ナポリ Napoli も失っており事実上無力化している。
プロバンス Provence もポルトガル・ブルゴーニュ Burgundy で袋叩きにして弱らせ、最後に誰かが滅ぼした。
この結果、欧州方面では、アンジュー、プロバンス、バルセロナ、パレルモなどに橋頭堡を築いている。
カトリック Catholic からは破門されているが、脱カトリックには失敗
ライバル rival のフランスが教皇庁支配者 PAPAL CONTROLER のときに、何かのイベントで教皇庁との関係がマイナスになったらしく破門されてしまい、サヴォイ Savoy を中心にフランス・ジェノバ・教皇領・シエナ・モロッコを含む包囲網を組まれた。
先着3番目までにプロテスタント Protestant になろうと思ったが、改宗中や戦争中などで改宗のタイミングを逃し、いまだに破門されたカトリックのままとなっている。
包囲網戦争も何とかしのいだ
ジェノバ Genoa の言動が軽率な君主 Babbling Baffoon のおかげで、不意打ちは食らわずに済んだ。
形成された包囲網の中ではモロッコが一番いいカモだったので、こちらから仕掛けて包囲網戦争 coalition war となったが、モロッコ・教皇領・シエナなど、要するにフランスから遠い国々を全土占領して戦勝点 war score を稼ぎ、若干有利な形での和平に持ち込むことができた。
ブルゴーニュ Burgundy、ミラノ Milano との同盟が意外に有効
今回はブルゴーニュ、ミラノと同盟したことが視界の確保で有利に働き、フランス France を含む全面戦争もうまくさばけた。なお戦争は一度もご一緒していない。
イベリアン・ウエディング Iberian Wedding もブルゴーニュ公頓死も発生せず
この凶悪な2イベントは発生しなかった。
1504年、モッシ Mossi 攻略
版図を急に広げ過ぎたモッシは、内部擾乱で人的資源ゼロにまで弱っている。
ポルトガルが領有権主張を3つ、マリ Mali が中核を2つも持っていたので宣戦布告した。マリの土地を返しなさい!
金鉱 Gold を2つももっているマリ軍は7個連隊を戦線に投入しており、かなり役に立っている。最後はワン・オン・ワンになるまで粘り、モッシ軍に競り勝った。
ポルトガル軍は士気最低で戦闘に参加しているので、すぐに士気ゼロになってしまい、投入兵数の割には戦闘に貢献していない感じだ。
とりあえずボノマン分離主義者の管轄地域は取らずに残しておき、他の土地を譲渡させた。
西の新大陸の探索も順調
インカ・アステカ系の土地のようだ。東の新大陸の西端に植民し終わっているので、いちおう西の新大陸の東端にはギリギリ植民できるが、今は東アフリカやインド洋に到達するためケープ Cape 方面への植民が優先なので、新世界側は後回しになっている。
やっと5つめの州の植民が終わり、東の新大陸に初めての植民地国家 Colonial Nation が成立。少数派の追放で植民加速したほか、イベントで1州余計に植民先が増えたりしたこともあって、あちこち植民している中で、かなり早い植民地国家成立となった。
1505年、チュニス Tunis 攻略
スパイ網 spy network を張るのがものすごく遅くなっているが、ジェノバ・ナポリが領有権主張 claim を付け始めているので、がんばって首都チュニス Tunis に領有権主張を付けて先に割譲させた。
その後、ナポリがジェルバ Djerba 要塞を狙ってハイエナを始めた。チュニスはもはやなすすべもない。もしこれでトリポリ Tripoli でも成立すれば、ポルトガルとしては止めが刺しやすくなる。
西アフリカではモッシが戦後も止まない内乱により、ますます苦しい状況になっているところへ、ジェンネ Jenne がハイエナを仕掛けようとしている様子だ。
またアフリカで、聖書の現地語訳 Bible Translated
サン・トメ Sao Tome と同じくらい意外な場所で再び発生。
このイベント、2回以上起きるんだね・・・
1507年、アフリカ各地の叛乱祭りを次々と鎮圧
この2年位の間に、チュニス・トレムセン・フロ・ベニン・コング・アルジェ・モロッコ・トゥーグラ分離主義者が次々と蜂起。輸送船は忙しい。
少しでも不穏を下げるため、モロッコを許容文化 Accepted Cultures にするなど、不穏のマイクロマネジメントは続く。
コング分離主義者 Kong Separatists のみ、コングとは全然離れた予想外の場所(ギニア湾岸のシェラ・レオネ)に湧き、しかも反乱軍がフータ・ジェロン要塞に引っ掛からずに、そのまま通過して内陸方面に向かったのでちょっと慌てた。
この要塞でしばらく拘束しておき、先に北アフリカで蜂起中の叛乱を始末した後、再度舞い戻って撃破する予定だったが、そのまま内陸に通過されてしまったので、陸軍の本国返送を延期して内陸への追走をすぐに始めざるを得なくなった。めんどくさ。
はるばるコング本領まで追走し、叛乱軍の足が止まったところで撃破した。
この後、北アフリカで幾つか叛乱軍を始末。ほどなくして、西アフリカではジェンネ分離主義者と物神崇拝者が同時蜂起したが、ギリギリ陸軍の再配備は間に合った。
これで主な叛乱鎮圧は一巡したので、陸軍を通常の戦争に投入できるようになった。
1509年前半、ボノマン Bonoman、ジェンネ Jenne 攻略
モッシからボノマン分離主義者が独立しており、新ボノマン領となった州にはモッシだったころから領有権主張を付けてあったので、建国当初からいつでも開戦できる状況。
新ボノマンはむしろポルトガルに好意的だったが、さっさと滅ぼしたいジェンネと同盟していたので開戦した。
ボノマンからは1州奪取、ダグボン独立。ジェンネは2州とも併合して滅亡させた。
1509年後半、ベニン Benin、ザザウ Zazzau 攻略
ベニンと停戦明けとなり、残り2州の両方に領有権主張を付けたところで開戦。
ベニンを喰ったザザウ、少し前に誕生していたアシャンティ Ashanti も参戦してきた。
アシャンティには7,000ほど陸軍がいたので、こちらもマリ軍を差し向けていたが、開戦するなり南方のベニン湾沿いに遁走、原住民 natives との戦闘で自滅していた。
破門からは逃れがたく、改革派 Reformed に改宗
ポルトガル領内に改革派の州は一つもないのだが、どうやら改宗はできるらしい。
そういうものなんだっけ?しかも改革派を採用した2つ目の国になれるらしい。
早く言ってよ!
改宗により宗教統一度はゼロになったが、もうすでに25%を割っていて絶賛・災厄発動中なので、どのみち気にする必要はない。ついでに大金も入手できたので良かった。
そして宗教改革の時代 Age of Reformation の1つめの条件をようやく達成した。
発見の時代 Age of Reformation と違ってポルトガルにとっては条件達成が難しい時代なので、もう数年経っているというのに、未だに栄華 splendor は87しか貯まっていない。
他国の強制転向 Converted another Nation あたりは手軽なので、数年内に達成したいところだ。
なお改革派としては2番手なので、改革中心 Center of Reformation がポルトガル本領に出現。半年に1州のペースで猛烈に改宗が進み、神の恩寵 favor がどんどん貯まる。
改革派 Reformed では、プロテスタント Protestant とは違って、経済・軍事・安定の3つの分野のボーナスを月単位で任意にオン・オフできるらしい。恩寵さえ貯まっていれば、3つともオンにしてもいいようだ。
新大陸で若さの泉の手がかり発見
若さの泉という夢を追うのに150ダカット...たっカイヤ...
だが、支払います!
1511年、教皇領 The Papal State にお仕置き
ポルトガルを破門したのはフランスなのだが、江戸の仇は長崎で返すw
もう改革派になってしまったので、教皇領との関係を良好に保つ動機もないしな…
今や教皇領となっているアヴィニョン Avignionほか旧プロバンス Provence の2州に領有権主張を付けて、その奪取を目指すこととした。
・・・フランスに取られる前に取っておきたいので。
敵方は
- フェラーラ Ferrara を喰ったマントヴァ Mantova
- オーストリア Austria に喰われて見る影もなく落ちぶれ、現在、国内は反乱軍に荒らされ中のハンガリー Hungury
- 何で同盟しているのか分からない北海沿岸のユトレヒト Utrechet
という感じで、マントヴァ以外はかなり分散している。
ポルトガル側は
- ブルゴーニュ Burgundy は喜んで参加
- ミラノ Milano は我が国の外交評判 diplomactic reputation が気に入らないらしく、マイナス補正がかかっており不参加
- カスティリャ Castile、イングランド England は不参加
という様子だったが、ブルゴーニュがユトレヒトに当たってくれればイタリア側は単独で何とでもなるので開戦した。ミラノが参加だと楽なのだが…
君主が夭折して摂政政治に
ミラノとの開戦後、40歳にもならない君主が夭折。
後継者 heir はいるが王妃 consort はいないので摂政政治 regency になってしまった。
後継者は10歳なのでダラダラと5年くらい戦争を長引かせても大丈夫だ。
なお君主が死亡したことで、個性による外交評判のペナルティがなくなり、ミラノが参戦してくれるようになった。実にいいタイミングで死んでくれたな。
今からマントヴァ、フェラーラの2要塞を攻略しようとしている中、教皇領の陸軍17,000はまるまる健在であり、周囲をウロウロしている。
そんな中、ミラノ軍11,000が陸軍維持費最高の状態で攻城戦の手伝いをしてくれるのはとても助かる。すぐに呼び出して参戦 A Call to Arms! させた。
またアンジュー要塞をオンにするのを忘れた
またしても開戦後も無人のままで放置になっていたらしく、直行してきたユトレヒト軍に即刻落とされてしまった orz
まあ釣りとしては、今回もそこそこ役に立った形だが…
マントヴァの周辺国がハイエナを開始
周りでルッカ Lucca、ジェノバ Genoa などの軍がゴソゴソと動き始めたので見てみたら、ルッカがマントヴァに宣戦布告していた。ジェノバ・ナポリなども巻き込まれたようだ。
もっともマントヴァは全土占領中なので、ルッカは戦争目的 war goal のモデナ Modena を占領できないのだが・・・
マントヴァ陥落、教皇領も全土占領
ミラノ軍のみかじめ(ポルトガル軍に常時随伴)のおかげで、陸軍維持費最低のままで全土占領を果たすことができた。もし維持費を上げたら毎月30ダカットなので、費用的には大いに助かった。
絶望した教皇領陸軍が最期に特攻してきたが、攻城戦も終わっていたのでZOCも消えて交通至便となっており、周辺の全軍で迎え撃って全滅させた。
マントヴァとは経済3点セットで個別和平。
教皇領とは、戦略的には全体和平してよいような状況だが、いま和平しても摂政政治でやることがなくヒマなので、少し足を伸ばしてユトレヒトも片づけることにした。
ユトレヒトへの反攻
ブルゴーニュがすでにユトレヒトの要塞を1つ落としているが、ブルゴーニュ本土の要塞もユトレヒトに1つ落とされているので、おあいこであり戦勝点は40未満。
ポルトガルとしては、できれば北海沿岸にも1州確保し、そのうち敵対するであろうイングランドへの橋頭堡を作っておくとともに、そこでも交易資金回収したいので戦勝点99での完全勝利を目指す。
州を確保しても、そのうちオランダ独立に巻き込まれて無になりそうな気がしているが、まあその時はその時で。
ユトレヒトは全土が神聖ローマ帝国の範囲内だったッ!
ちくしょう!領土が取りづらいぞ。
いちおうオーストリアは好意的だし、外交枠次第では味方にしたいしな・・・
教皇領からは2州奪取して全体和平
フランス南東部の旧プロバンス領は、すべてポルトガルが抑えた。
今度はフランス中心に、包囲網を形成される
現在、摂政政治のため、大規模な包囲網形成を未然に防ぐための停戦切れ即因縁戦争ふっかけ戦術が使えなかった。フランスが包囲網を作った後、最初の数か月でアラゴン・フェザーン・サヴォイ・モロッコが次々と加入。
そのあとティンブクトゥ・ソンゲー・オヨ Oyo など西アフリカの不平分子も加わって巨大化した。
真正面からフランスを切り崩すのは難しいので、包囲網参加国の同盟国を攻めて、少しずつ包囲網から切り離していく常套手段で弱体化を進める。
- まずは北アフリカのカビリャを攻めて、その同盟国のモロッコ・フェザーンの2か国を包囲網から切り離す
包囲網がなくてもやるつもりだったので、もう準備はできている - 次にナポリを攻めて、その同盟国のアラゴンを切り離す
フランスの隣なので、まとめて攻略するのは難しいので先に対処 - 余裕があればソンゲー・ティンブクトゥなどの西アフリカの比較的大きな国々も個別に切り崩す
- 最後にオヨあたりのフランスから遠く遠く離れた、簡単に首都を占領できるような国を攻め、適当な和平に持ち込んで包囲網を解体
この手口は前回の包囲網戦闘と同じ手口だがモロッコよりオヨの方が簡単
このプロセスの途中でフランスから宣戦布告されないよう祈りつつ、どこまで包囲網参加国を減らしておけるかが重要なポイントだ。
カビリャやオヨ攻めは摂政政治が終了次第、すぐに仕掛けることにする。
ナポリについては領有権主張が期限切れで消えてしまったので、今から急いでつけ直す。
1514年、摂政政治が終了、速やかにカビリャと開戦
西アフリカのヌペ・ベニン・ジェンネ分離主義者の叛乱を片付ける必要があり、陸軍の帰投が遅れたが、摂政政治が終了して数か月後にはカビリャ攻めの準備が整った。
カスティリャも参加してくれるようなので呼び出す。
モロッコ陸軍11,000とマラケシュ要塞(今回は無人ではない)の相手をしておいてもらおう。
ポルトガル軍はフェザーンとムザベ分離主義者の相手で忙しいのだw
緩衝地帯を拡大せよ Expand the Buffer Zone の使命を完了
ガルブ地域 Garb Area をすべて奪取したので、不穏が低下する使命を発動できるようになった。北モロッコ、南モロッコ、ガルブ地域の全域で15年間、不穏がマイナス2なので鎮圧効果は絶大。まあ、これが今回の開戦の主目的だったのだが。
次々と包囲網から皆が抜けていった
モロッコとカビリャが脱落すると、包囲網は解消された。
最初にアラゴン Aragon が離脱。「もともと乗り気じゃなかったんですよ…」
数日後にはサヴォイ Savoy も離脱。「実は私も・・・フランスから強要されて…」
ティンブクトゥ「んじゃ、わしらもこの辺で失礼するわ」
オヨ「よく考えれば、フランスって誰だっけ?」
盟主フランス「では解散ということで!」
1515年、探検・植民イベントが連発
新大陸で若さの泉を見失う
原住民の不興を買ってコンキスタドール Conquistador はお亡くなりに。
しかし、その直後に雇った別のコンキスタドールが桃源郷 El Dorado の手がかりをすぐに発見した。見失った同じ州で即座に発生するのは珍しいかも。
まあ、このエル・ドラド探索も11年後には失敗してしまうのだが
植民地での揉め事! Colony in Trouble
植民地で食糧難が発生したらしい。
人口1000名減少 Lose 1000 Population って、実質的に破棄と同じじゃないか。
仕方ないので、外交君主力を支払って苦難を逃れた。
1519年、カスティリャ継承戦争が発生
まだ発生していなかったらしい。どうせ鎮圧されるので人的資源の支援はしない。
1522年、年齢3歳差の後継者が死亡
君主と3歳しか違わなかった後継者は、行軍中に首尾よく死んでくれた。
新たな後継者は軍事君主力は最高の6だが、継承権が弱い Weak のが玉に瑕。
その数か月後、君主も逝去してしまい、王妃による摂政政治に
王妃には不妊 Infertile のペナルティがついているが、もはや関係ない。
果たして王子の成人まで生き延びられるかな・・・
1522年、ようやく時代の特典の1つ目を獲得
かれこれ20年弱かかってしまった。
他の宗教の国に対する戦勝点ボーナスの特典をとった。
海上封鎖で攻城+1も魅力的だったが、欧州以外では使い道がないので後回し。
1529年、コンゴを属国にして周辺を再征服
数年間、西アフリカで反乱鎮圧と無双状態の戦争を続けた後、中央アフリカに進出することにした。中央アフリカの友好国から地図をもらって、東アフリカ・南アフリカの事情も明らかになった。
中央アフリカではコンゴが程よく弱っていたので、外交枠は2つ超過になってしまうが、コンゴを強制的に属国化してから周辺国の再征服 reconquest をすることにした。
中央アフリカの西半分は、ほぼすべてコンゴの中核州 core だったので、あっという間にコンゴは旧領を回復。強制的に属国したペナルティを取り返しボーナスで相殺でき、ポルトガル大好きなコンゴになった。
1530年、ベネツィア・フランスにオスマンが開戦したようだ
フランス軍が北アフリカを行軍するという珍しい光景が見られた。
なおこの後、反乱祭りのチュニス領内も通過してゆき、道すがら反乱軍をなぎ倒していった。
オスマンはそんな面倒くさいことはせず、無敵ガレー艦隊からフランス本土に強襲をかけていた。ベネツィア海軍は何をやっておるのだw
1530年、近い方の新大陸の南部を征服
近い方の新大陸は、北部と南部に分かれており、南部がわは遠くて植民できていない。
今から植民するのも面倒なので、境目に植民して橋頭堡を作ったうえで、周辺の5か国国から5州奪取して植民地国家を成立させることにした。
まずは2州を2か国から脅迫で獲得、残り3州は3か国を滅亡させて獲得した。
1531年、遠い方の新大陸で、ついにシボラ Cibola 発見
若さの泉、桃源郷と失敗が続いたが、諦めずに探索は続けていた。
するとついに、遠い方の新大陸の北部でシボラを発見。
一気に800ダカットを獲得し、開発24の州を発見した。
1532年、ナポリと開戦
オスマンとの戦争は終わったが、フランス軍の半数は北アフリカを行軍中・・・
フランスの同盟国を攻める好機到来か?
グレートブリテン Great Britain、ブルゴーニュ Burgundy、ミラノ Milano を動員してナポリ・アラゴン・フランスとの全面戦争を開始した。
なおカスティリャは、おそらくアラゴンに独立保障をかけているせいで、参戦できないようだ。まあ、いなくても大丈夫だろう。
ナポリは内乱発生中なので、アラゴン・フランスを先に片づけることにした。
およそ1年後、フランス軍の半数、27,000が欧州がわから本土に戻ってきた。
アラゴン軍と合わせるとブルゴーニュの2倍なのだが、なぜかブルゴーニュ軍に野戦を仕掛けたりはせず、黙って隣で待機するという謎の光景が2年ばかり続いた。
1534年2月、フランス南部を概ね奪取
首都を占領してしばらくしたら、アラゴンは個別和平に応じた。
フランスの北アフリカ遠征軍の主力は相変わらず所在不明なままで戻ってきていないので、アラゴンが脱落しグレートブリテンが本土上陸すると、フランス領内の戦力比は逆転した。
1534年2月、同時にナポリ攻略にも着手
ミラノ軍はナポリ軍に首都を攻囲されているが、ナポリ本土に向かったので、ポルトガル軍もフランス南部の占領を終えた砲兵隊のすべてと旗艦を増援に送ることにした。
1534年5月、ミラノが脱落
数か月後、首都をナポリに落とされた腰抜けミラノ軍は、ナポリとあっさり個別和平して戦線離脱してしまった。
ナポリ攻囲軍の員数が足りなくなったので、歩兵部隊も送り込み攻囲を継続。
数か月後、ナポリ軍が戻ってきたが、なぜかナポリの脇を通過して南方に向かったので、何とか首都を陥落させることができた。
1534年10月、フランスと個別和平
フランス南部・北部・中央部の要塞はあらかた占領したが、東部の要塞は2個とも残っている状態。そんな中、ナポリ軍がフランス軍に合流の構えを見せている。
しばらくはアヴィニョン要塞に引っ掛かってフランス領内には来ないと思うが。
フランス軍も傭兵などで戦力強化し、5万弱まで戦力を増やしてきており、時折、不意に近寄ってきたりするようになって野戦のリスクが増してきた。
ポルトガル軍は陸軍維持費をケチっており、フランス本土には端数しか派遣しないので、このまま続けると同盟軍が各個撃破される可能性が高い。
そろそろ潮時と見て、フランスとは個別和平することにした。
フランスには一つも領有権主張を付けていなかったので、ブルゴーニュに中核州返還…のつもりだったが、ナポリが当事国なので外交君主力がけっこうかかる。
もったいないので、お金メインでの和平とした。
あとはナポリ軍のメッシナ要塞を落とすだけなので、この戦争はほぼ終わった。
フランスの他の同盟関係は残っているが、借金漬けの間は参戦しない可能性が高い。
フランス抜きでは包囲網も形成されないだろう。
1536年、ジェノバ攻略した後、さらに教皇領攻め
フランスとの同盟がなくなったジェノバに攻め込み、ミラノと共同でマントヴァとジェノバの欧州がわ領土を全土占領。ジェノバ海軍がけっこう強力だったので、島に引き籠っているキプロスとジェノバのクリミアの領土は放置したまま和平した。
ジェノバの欧州側領土全てに領有権主張はつけていたが、多分これを全部分捕るとエラいことになりそうなので首都ジェノバだけで我慢した。
その後、教皇領へ侵攻。サヴォイ、ババリア、アウグスブルグとの戦争となった。
これは教皇領の領土(ピサ)目当てというわけではなく、大規模な包囲網形成を防ぐための予防措置。
ここいらで中断
今回は北アフリカ・西アフリカはもちろんのこと、欧州側でもブルターニュ、プロバンス3州、アラゴン、ジェノバなどに食い込めていて、フランスもけっこう抑え込めた。
ここまでの展開としては悪くはなかったのだが、いくつか反省点があった。
許容文化 Accepted Culture の認定が遅すぎた
いつもどおり、常に叛乱祭りだったのだが、一つの要因としては許容文化の枠があるにもかからず、外交君主力を惜しんで認定を遅らせたことがある。
認定できるようになったらすぐにやったほうが良かったと思う。
正統性 Legitimacy を低いまま放置した
前王妃による長い摂政政治のあと、継承権が弱い weak の君主が即位した結果、正統性がマイナス20!になった。1000以上軍事君主力が貯めてあり、これで上げることができたのだが、ついつい軍事技術力を上げる方につかってしまい、100まで戻すのに足りなくなってしまった。
どうでもいい辺境の土地を聖職に割り当てていたが、召し上げ忘れた
ほとんどの土地では、数十年経っているのですでに自治度は十分に低下しており、聖職の用は済んでいるはずなのだが、聖職の忠誠が下がるのを気にしたり、改宗のボーナスに目がくらんだりして、こまめに召し上げてはいなかった。
忠誠40を維持できる範囲でこまめに召し上げておかないと、たんに諸身分に割り当たっているというだけで、諸身分イベントによって時折発生する反乱軍大量発生の対象州になってしまうようだ。
シボラ Cibola の州をフロ文化にしてしまった
少数派の追放を活用すると、植民は早いし安上がりなのだが、民族・文化・宗教が追放した連中のものになってしまう。さすがに、この土地を少数派の追放の対象にしたのはまずかったわ・・・金はあるのに愚かなことだ・・・
行政・外交技術で大きな遅れ
プレイ開始時点から行政君主力ブーストをずっと維持したうえで、統治アイデアをとったり、安定度を3まで上げなかったり、色々工夫はしてきたつもりだが、結果的には今時点で行政レベル10に達しておらず、3つめのアイデアグループ解放ができていない。
収入アップのため、欧州の開発が高い州をどんどん中核化した結果、こうなってしまったと反省している。金はあるのに愚かなことだ…
政府改革の第4階層は、ブルジョア重視にすべきだった
その時の諸身分の忠誠度と影響の都合で、何となく聖職重視にしたのだが、アイデアグループを3つコンプしない限り、ほとんどメリットもないものだった。
国の特性から見ても、顧問の給料10%引きのほうが良かった気がする。
傭兵大杉
叛乱を当月に鎮圧することにこだわりすぎた。
鎮圧軍がギリギリ数日の差で間に合わない場合、隣の州で傭兵を2~4個連隊徴用して突入させ、時間稼ぎして間に合わせていたのだが、そんなことを多分3~4回やった結果、傭兵がこんな数に…今回は人的資源は余っているのに愚かなことよ…
まあ解隊すればいいことなのだが、なんか勿体ないんだよね…
旗艦に交易力アップの特典つける意味はなかったんじゃ?
実験してみたところ交易力アップの効果よりも旗艦の維持費のほうが高いため、旗艦を交易保護の艦隊に入れることはほぼなかった。
叛乱軍に占領された自国領の奪回には、旗艦ボーナスはつかないらしい
アルジェ分離主義者にダーラ要塞を落とされてしまった。
旗艦で海上封鎖して迅速に奪回・・・のはずだったのだが、攻城ボーナスはつかないようだった。味方の要塞だからかな?
なお旗艦を利用して敵の沿岸要塞を封鎖している場合は、通常ならば攻城ボーナスが付く。
大砲は18世紀ごろに優れた野戦砲が出るまで、陸ではほとんど役に立たなかったが、船では大いに役立ったらしい。
ポルトガルAAR 再び基本に忠実にやってみる(その1)発見の時代 Age of Discovery
この数回のプレイは諸身分 estates との取引 interactions において君主力 monarc power を最大値200で確保することにこだわりすぎ、すべて金欠か叛乱祭りとなって投了に終わった。
- ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
- ポルトガルAAR モロッコ爆誕させたが期待ほどではなかった(即、投了)
- ポルトガルAAR サブスクリプションで全部入り(即、投了)
もう君主力は150で諦め、収入 income 高め・不穏 unrest 抑制の基本プレイに回帰することにする。無理はいかんぞ無理は。
1447年、さっそく恒例のモロッコ戦争
君主アフォンソ5世 Afonso V が成人して開戦できるようになった。
土地を餌にカスティリャ Castile を勧誘できるようなので、カスティリャによるグラナダ Granada 攻略が始まる前に、モロッコ Morocco と開戦して巻き込むこととした。
今回は、兵数増加の陸軍顧問を雇い、なんと21個連隊を開戦前に最前線に揃えた。
陸では、開戦劈頭にモロッコ、トレムセン Tlemcen、スース Sus、マラケシュ Marrakesh のジェットストリームアタック3連発を食らった。
いきなりモロッコ陸軍の主力12,000を壊滅させたのは大きい。
最後のスース・マラケシュ連合軍は途中で敵軍が合流して当初想定よりも数が増え、かなりやばかったが何とか全て撃退できた。
海では開戦劈頭に海上のモロッコ・スースの商船を駆った後、一か月で陥落したタンジール港から叩き出されたモロッコ海軍とジブラルタル沖合で大海戦。カスティリャ海軍も加わっていたので難なく勝利し、海軍主力を再び隣のサレ Sale に閉じ込めた。
1451年7月、叛乱軍だらけになってきたので和平
まずトレムセンで農民叛乱が勃発、首都を攻囲していた連合軍がいきなり襲われた。
しばらくしてモロッコでも農民叛乱。そろそろ潮時とみて和平した。
トレムセンからはダーラ要塞 Dahra、賠償金を奪取し、モロッコとの同盟を解消させる。
モロッコは首都フェズ要塞 Fez、メリリャ Melilla、サレ Sale を割譲、屈辱 humiliate、賠償金の条件で和平。
開戦前に土地を要求していたカスティリャ Castile は、和平のさいにはどの土地も受け取ろうとしなかったので、信頼 trust が20下がってしまった。なんでやねん。
1452年6月、アイルランド情勢に介入
もしかしてアイルランドに領地が確保できるかもしれないので、チロン Tyrone に独立保障をかけておいた。
しばらく経ってグラナダ・チュニス戦争(後述)の最中に開戦となったので、参戦はしたが兵を送る余裕はなかった。しかしチロンが勝手に勝利したようだ。
1452年7月、メーヌ Maine を巡る英仏戦争が終結
メーヌは死守されたが、アキテーヌ Aquitaine その他の大西洋側の領土は軒並み奪われたようだ。
チュニスのジェルバ要塞を奇襲
旗艦 flagship も建造したので、沿岸の要塞の奇襲が可能になった。
どういうときにジェルバ要塞 Djerba fort の防備がオンになるのか、開戦前にいろいろ調査してみる。
兵員を載せてリスボンLisboa を出航した瞬間にオン
海上に出た後、再びサレに戻ったらオフになった。
しかし、トレムセン領内の叛乱軍やトレムセン陸軍の位置にも連動しているようだったので、ポルトガル軍の動きは関係なかったのかもしれない。
兵員満載してバーバリー海岸 Barbary Coast 沖を航海してもオフのまま
ここまで来ても要塞はオンになっていない。ボン岬 Cape Bon まで進んでも同様。
結局のところ、ジェルバ要塞沖合に来た瞬間にオンになるようだったので、開戦したい月の1日ちょうどに沖合に来るように調整して開戦した。
アンナバ、カビリャあたりを奪取してチュニスと和平。
数年後、グラナダは全土併合して1州をカスティリャに売却した。
1461年、悪夢のフランス・カスティリャ戦争が発令
前回のプレイではフランスの同盟国にアラゴンがいたため地獄のような展開だったが、今回は何とかなりそうだ。開戦の直前に、ミラノ Milano と同盟して視界を確保した。
しかしジェノバ Genoa、教皇領 The Papal State も敵方なので、ポルトガル海軍の船体修復が終わるまでは地中海には出航できそうもない。
実はブルゴーニュ Burgundy とも同盟していたので、フランス近辺の視界はかなり良好なのも、今回有利な点だ。
ドーバー海峡付近に旗艦を送りこみ、フランス北部に小部隊で上陸をかける。
さっそくフランス軍の半数とジェノバ全軍が釣られてやってきた。
そちらを再占領している間に、今度は大西洋側に奇襲をかける。
教皇領の陸軍は真北に向かっているが、もし引き返してきても旗艦の艦隊に戻ればよい。
戦争当事者のカスティリャ陸軍がイベリア半島には見当たらないが、実は北アフリカのポルトガル領でバカンス中。ふざけんなよコラ。
1462年、探検アイデアグループ exploration ideas group 獲得
外交君主力800を超えたので、行政君主力を使い切って探検アイデアグループを解放し、すぐにアイデアを2つ取る。
時代の特典、ポルトガル植民地の成長 Portuguese Colonial Growth も解放。
まずテネリフェ Tenerife、次にカポ・ヴェルデ Cape Verde に植民を開始した。
植民者 colonists は後で植民した方に張り付くので、カポ・ヴェルデの方が先に植民完了するはずだ。
フランス陸海軍との死闘
カスティリャ陸軍がバカンス中なので、ブルゴス Burgos を攻囲していたフランス軍にポルトガル陸軍の全軍をぶつけて、何とか攻囲を中断させた。
フランスとは陸軍レベルが1違うので、戦闘開始時点で既に士気が6割くらいしかなかったが、ブルゴスの地形(丘陵)と数の差で押し切った。
陸軍がどこまで逃げたか確認するため、ポルトガル海軍を海岸沿いに寄せて見に行ったら、フランス海軍の主力、大型船4隻とぶつかった。しかし、なぜかナルボンヌのフランス艦隊は応援に出航してこず、余裕で勝利することができた。
1463年、カスティリャ陸軍がようやく本土に戻る
ブルゴス要塞が落とされて、首都トレド Toledo に向かってくると、カスティリャ陸軍が北アフリカのバカンスから帰ってきた。やっとか。
単独でトレドまで深入りしていたジェノバはカスティリャ・ポルトガル連合軍で簡単に各個撃破。
教皇領のほうは、各個撃破し終わる前にフランス軍も合流してきたために大会戦に。
カスティリャ陸軍はズタボロになったが、先に交戦していた教皇領の陸軍の士気が尽きて戦線離脱したため、それに釣られて後詰のフランス軍の士気も下がり、残ったポルトガル軍でも無事押し切ることができた。
1464年12月、君主力獲得のお時間
20年経過し、諸身分 estate との取引 interaction で君主力の確保が可能に。
今回は150で我慢しているので、ブルジョア Burghers と聖職 Clergy の忠誠に問題はない。
貴族 Nobility は赤なので、フランス軍の数を減らすのに協力してもらうことにした。
フランス軍の移動先が固定されたのを確認してから、行き先のベジャ Beja の土地を召し上げて叛乱軍を出現させる。しかし平地なので、フランス軍は1000名強減っただけだった。
同じ手口をバイラ Beira でも。こちらは高地なので、ベジャよりは抵抗したがフランス軍を倒せるほどではない。
1465年11月、教皇領が個別和平で離脱
ジェノバ領内でバカンス中だったフランス軍を拾って随伴し、本土奪回の構えを見せてきた教皇領。
こちらもローマの攻囲軍を野戦用に剥がして迎撃しようとしていた矢先、教皇領は唐突にカスティリャと個別和平した。
もし戦えばタダでは済まないことになっていたはずなので、いいタイミングだった。
1466年3月、ついに終戦
実はポルトガルもフランスとの個別和平を考えていたのだが、いかんせん何処も占領していないので白紙和平にしかならない。
かといって本格的に攻め込む余力もないので、海上封鎖だけしておいて放置していた。
フランスがわもカスティリャを攻め落とせず、カスティリャもフランスに向かおうとすらしない膠着状態に陥り、ついに終戦となった。
賠償金の半分くらいがポルトガルのものに。戦争中、ほとんど陸軍維持費最低にしていたので多分得した。カスティリャの好意も大量に獲得した。
1467年3月、モロッコ・トレムセンと再戦
フランス戦で稼いだカスティリャの好意20をさっそく使わせていただく。
海岸の州で呑気に訓練などしているモロッコ陸軍9,000。
マラケシュ要塞は無人であり、ここは通常の将軍でもサレ Sale から1カ月以内に到達できるので一発陥落を狙うが、モロッコ陸軍は合計16,000なので残り7,000の所在が不明。
たぶんマラケシュの裏手あたりにいるだろうが、行軍中に山岳で激突したり、マラケシュ要塞上で全軍衝突になることだけは避けなければならない。
海岸沿いで訓練中のモロッコ陸軍については、旗艦から直接上陸をかけて追い払うことにした。訓練中の軍は士気最低のはずなので難しくはないだろう。
北方の軍は、サレから沿岸沿いに進軍させた。途中で逆方向に山岳地帯を進んでくるモロッコ陸軍とすれ違った。
もし山岳沿いに進軍していたら、モロッコ陸軍7,000と正面衝突していたことだろう。
約3年後、トレムセンを降服させた。モロッコでは農民叛乱が発生して収集がつかなくなってきた。自領でもモロッコ分離主義者の叛乱が起きたが、カスティリャ軍に始末してもらった。
1470年、南北に一直線の新世界を発見
久しぶりに近くに大量出現。やる気出てきた。
どうやら地球は平面で、端っこが新大陸でふさがっているらしいな。
1471年、ムザベ・チュニス攻略
チュニスとの停戦開けまで待てないので、恨みはないがムザベを攻める。
ポルトガル軍がダーラ要塞にいる間はケフ要塞 Kef は無人となるようなので、開戦時にダーラからアンナバに陸軍を海上輸送すれば守備兵ゼロのケフ要塞を襲うことはできそうだ。
しかし、ここはモロッコ陸軍が1カ月以内に到達できる場所であり、しかも高地なのでケフ要塞上での戦闘にならないよう工夫した。
- ダーラからアンナバへ11個連隊を海上輸送し、アンナバ入港と同じ日に開戦となるよう、入港前日にムザベに宣戦布告
チュニスはムザベの同盟国なので1日遅れの参戦となる - アンナバからケフ要塞を通過して、要塞圏外のチュニスへ抜ける進軍ルートを設定
開戦当日のみ通過ルートを指示できる - 輸送船が11隻しかないため、再びダーラに戻り2回目の輸送で増援を送り込むが、先鋒の11個連隊を9個と2個に分割して同じ進軍ルートを指定しておき、2個のほうは陸軍2分割・ピックアップで進軍を遅延させ、増援が入港したタイミングで増援をピックアップすることでケフ要塞を通過
最初の野戦で勝ちはしたが、チュニス陸軍は生き残ってしまったので、陸軍維持費を最高にしたまま数か月間チュニス攻囲を続けざるを得なかった。お金が~
ムザベからトゥーグラを独立させて復活させた。
1474年、ジョロフ Jolof 攻略
カポ・ヴェルデに植民が終わったので、西アフリカ攻略を開始。
沿岸にいた陸軍は瞬殺。マリ領経由で最前線の偵察に出した傭兵連隊の報告により、マーシナ、ジェンネがフロを通過して攻囲を解こうとしていることを発見したので、全軍で迎撃して勝利。
またモロッコ人になるイベントか?と思ったが違った。
北モロッコの生産力などが上がる良いイベントだった。
1476年、アラゴン Aragon 攻略
まずは事前偵察を怠りなく
海軍の船体修復をして開戦に備えつつ、陸海軍の位置を全て偵察しておく。なるほどバレンシアに17,000が訓練中か。
国境沿いには、特に陸軍はいないようだ。
このタイミングで異端が蜂起かよ
偵察している途中に、占領地のグラナダ Granada で10,000名ほどの異端が叛乱を企てているとの報告があった。
もう1つの選択肢は、実質的にグラナダへの宣教が不可能になるというもの。
折角80%くらい布教したのに、今更諦められるか!
この反乱軍を鎮圧するための方策は2つ考えられる。
当然、理想は後者だが、失敗した場合には前者で対応するように動きたい。
ウエスカ Huesca 要塞を速攻で落とすぞ
大軍を国境に集めても、ウエスカ要塞は無人のままなので、もちろん開戦直後に占領させてもらうことにした。
という機動をすれば、間に合うかもしれない。
アラゴンの旗艦はあえなく轟沈。士気最大で挑めば、まあこんなもんよ!
頼みのカスティリャだが・・
数か月前にはイングランドと共に参戦見込みだったのだが、今になってダメだと言い始めた。
仕方ないので、フランス戦で貯めた好意を信頼 trust に変換し、参戦させた。
開戦直後ではなく、アラゴン・ナバラ軍がポルトガル側へ移動しきったところでカスティリャを参戦させたため、カスティリャ領内の要塞が邪魔になってアラゴン・ナバラ陸軍はアラゴン側に戻れなくなったようだ。
カスティリャ軍を叛乱鎮圧に使いたかったが、開戦するとアラゴン方面へ移動を始めたので、グラナダでポルトガル軍と合流させることはできそうもなく目論見は外れた。
異端の叛乱はそのままグラナダで蜂起してしまい、占領されてしまった。
もっとも隣にマラガ要塞があるので、占領されても何もペナルティはなかったのだが・・・そもそも未然に防止する必要すらなかった。
しばらく後にカスティリャ軍が指揮下に入ったさいに、狩りに行ったのだが、そのさいには別の叛乱軍との交戦によりスルーされるという椿事が発生した。
カスティリャ軍を率いて討伐を開始
カスティリャ軍が指揮下に入ったので、反乱軍を始末した後、ナバラ・アラゴン軍を狩りに行く。アラゴン軍はナバラ軍を置き去りにして、自分だけ北方に退却した。
ここで、貴族の大叛乱が発生。
前回のプレイは実質的にコレで破綻したのでトラウマになっている。
しかし今回はカスティリャ軍で全て討伐できそうなので問題ない。
なお北アフリカの叛乱軍は、後ほど合流してきたイングランド陸軍に狩ってもらった。・・・全部、他力本願かよ。
アフォンソ5世が逝去、6世が戴冠
まだ50歳にもなっていないが、アフォンソ5世が逝去した。
後任のアフォンソ6世の君主力は平凡だが、白兵6なので戦死も視野に入れてコキつかっていたところ、歩兵戦闘ボーナス Infantry Combat Bonus まで付いて、より便利な将軍に。
しかしアフォンソ5世が40歳を超えてからは戦闘への投入は控えめにしていたので、無事、生き延びて国王になれたようだ。
カスティリャ軍、アルプス超えを拒否
イングランド軍がブルターニュから南下してきて、イベリア半島でポルトガル軍の指揮下に入ったので、アラゴンの討伐と北アフリカの叛乱鎮圧はイングランド軍に交替。
カスティリャ軍は教皇領へ進軍させることにした。しかしサヴォイ Savoy までは追従してきていたのだが、アルプス超えの直前で離脱していった。
西アフリカ方面で動乱が発生
ビファーダ Befada にも植民を始めていたので、アラゴン攻めかマリ Mali 攻めから迷っていたのだが、マリの陸軍規模が大きいのでアラゴン攻めを優先した。
そのマリが周辺国との戦争を始めた。アラゴン攻めが終わったら、殴り込みをかける予定だ。
新大陸の南側を探索していたらペラルタ金鉱を発見
新大陸の北側には植民を開始していたが南側が全く未踏査だったので、南端にコンキスタドール Conquistador を上陸させて探索させていたところ、ペラルタ金鉱 Peralta Gold Mine を発見した。
半々の確率で、金か宝石を貰えるらしいぞ。
金とダイアモンド Gold and Diamonds を引いて300以上の資金を獲得した。
1480年、ブルターニュの要塞が脱落
アラゴン本土はあらかた占領したので、北方のブルターニュを蹴落としにかかる。
ほどなくして港は落ち、湾外のイングランド・ポルトガル艦隊にタコ殴りにされるブルターニュ艦隊。首都はまだ粘っているが既に21%であり風前の灯。
この局面で、
このおかげでシチリア島が攻略できるようになった。
教皇領軍は、ブルターニュ軍に奪われたカレー Calais の奪回を断固阻止したいらしく、ほぼ真っすぐ北上を続けている。
ミラノ・ブルゴーニュが同盟国なので、参戦していなくても動きが丸見えで実に助かっている。
ことからカレー奪回は諦めた。
ブルターニュの首都は、あれから一年近く粘り続け、ブルターニュ半島に敵軍が結集する中ようやく陥落した。カスティリャ軍に半島内の敵の討伐を続けさせたいので、陸軍通行権を和平の条件として要求した。
これは外交枠を喰うので、討伐が終わったら返上する予定だが。
ナンティス Nantis 奪取により、ブルターニュとフランスは陸路では分断されたので、何かいいことあるかもしれない。
もはや大局を見失っている敵軍たち
全軍4万でカーン Caen の攻囲に全力投球する敵軍。もうそこ、どうでもよくない?
コロンブスが敵艦船を狩りまくった結果のご報告
移動6のコロンブスで地中海を荒らしまわり、もともと25隻だった艦隊は47隻に殖えた。けっこうな捕獲率だ。
この結果、海軍上限枠 naval force limit を超えたので、商船以外の全艦艇を毎月末に港湾で予備役 mothball にするマイクロマネジメントを行っているが、それでもマイナス2.15ダカットの超過費用となっている。ガレー船と輸送船は戦後に売り飛ばす予定だ。
ナポリ軍だけは戻ってきたが、カスティリャ軍で一蹴した。
イタリア半島でも消化試合が始まっている。
1481年、ローマ陥落
今は金はあるので、ローマ略奪 Sack of Roma では陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism を増強することとした。
資金90ダカットは痛いが、陸軍プロフェッショナリズム 5%増はめったにないので。
フランス様とはラブラブになってきた
アラゴンを攻めたので、 フランス様は上機嫌になっている。もしかして同盟?
ブルゴーニュはプロバンスにやられて零落中
一方でわが友、ブルゴーニュ Burgundy はいつのまにかフランスから独立保障されるほどに零落していた。
ブルゴーニュの代わりにプロバンス領を奪回してあげて再興でもはからないと、同盟国としての存在価値が薄い。視界確保だけでは、ちょっとねぇ。
1481年12月、アラゴンと和平
ローマに続いてナポリも落ち、全土占領での和平となった。
教皇領・アラゴンの両方に交易力移転を呑ませたので、ジェノバ交易圏 Genea Trade Node で10%強を確保でき、数ダカットの収入が得られるようになった。
チュニスがライバルから脱落したので、当然プロバンス Provence を指定する。
ガレー船 Galley を新興アルジェ Algiers に売り払った結果、相変わらず海軍枠を超過しているが超過費用の金額は大分マシになった。
この程度の超過で済むなら、輸送船については売却しないことにする。
1482年、マリ侵攻
ジェンネ Jenne およびソンゲー Songae と絶賛戦争中のマリに西から侵攻。
マリ・モッシ Mossi との戦争となった。
マリのライバルのフロ Fulo・マーシナ Macina が通行権をくれたので、邪魔なフタ・ジェロン Futa Jellon 要塞を回り込んで背面に進出することができた。
回り込み終わった頃にマリがジェンネと和平。
その結果、近くまで来ていたモッシ軍は、ジェンネ領となった州内で潰走状態となり、マリ攻略の脅威ではなくなった。
巨大化したジェンネの野望はとどまるところを知らない
隣のコング Kong まで狙っているようだ。
マリからは3州を奪取
モッシ軍にも見捨てられたマリからは、予定どおり3州を奪取した。
東西に分断されたので、たぶん東側はそのうちジョロフとして分離独立するだろう。
1483年、ミラノ Milano からすでに勝っているパルマ戦争に呼ばれる
盟友ミラノから突然の呼び出し。
すでに戦争目的 War Goal のパルマ Parma は全土占領されており、ブラバント Brabant は攻囲されている状況で、戦勝点60を超えている。
そして呼ばれた数か月後には和平となった。
全く何もしていないので、好意 favor は1、金は2しかもらえなかった。
1485年、3回目のモロッコ戦争
前回のアラゴン戦争で大量に船舶を捕獲して海軍枠の最大に達したので、タダでタンジールに領有権主張を付けることができる使命 Mission をやっと発動できるようになった。
ポルトガルには、モロッコ領に領有権主張を付けられる使命が幾つかあるが、安易にあまり早く発動しないほうがよい。
一気に征服するより、ジワジワ占領地を広げた方がはるかに安全なので。
しばらくライバルでいてくれた方が、戦力投射 power projection も稼ぎやすいし。
植民中のシエラ・レオネ Serra Leoa にフロ軍 Fulo が退却中
フロとマリが戦争を始めた。戦力は拮抗しており、お互いに陸軍での決戦は避けているようだ。フロ軍はなぜか植民中のシエラ・レオネに退避し始めた。
ここは植民イベントで原住民の攻撃性が恐ろしいレベルに上がっているので、そのままそこを守備しておいてくれるとありがたい。
しかし翌月にはマリとの戦線に戻っていった。残念。そもそも何故ここにきたのか・・・
1487年、トレムセン・トゥーグラ攻略
以前ムザベから独立させたトゥーグラにも領有権主張を付け終わっているので、併合する予定だ。
1488年、チュニス攻略
開始
終了
君主の個性のおかげで、素晴らしい芸術家が登場したが別に用はなかった。
1490年、影の王国 The Shadow Kingdom 発動
これでイタリア半島北部のほとんどが神聖ローマ帝国の管轄から外れた。
1492年、プロバンス・アラゴン攻略
アラゴンとは後5年くらい和平期間があり、交易力移転・賠償金に不満はなかったのだが、プロバンスと組んでいたので仕方なく再度攻略を行うこととなった。
新世界はさらに西にも大陸があるようだ
近い方の大陸は、見事なまでの壁状大陸だった。
さらに航海を続けると、さらに西に大陸を発見。これも大きいぞ。萌え~
1494年、サヴォイを盟主とする包囲網組まれた
プロバンス領を併合したら、周辺国が一気に激おこ状態に。当たり前だが…
サヴォイを盟主とする包囲網に、フランス、ジェノバ、シエナなどが続々と参加。
しかし皆、激おこなのだが、関係はわずかにマイナスという程度なので、フランス以外は関係改善を最大まで行って解除を狙っていく。
まず手始めにジェノバの関係改善を最大100まで行ってみた。
関係はプラス圏に戻ったが激おこ状態は解消されなかったので、その他の国の改善は中止した。どうやら無駄っぽい。
1495年、マーシナがマリ・ジェンネを喰って肥大化
マリはマーシナにも攻め立てられ、もはや一州になってしまった。
生きてはいるが滅んではおらず、中核州や領有権主張は最盛期のまま。
これはこれで利用価値がある。
ということでマリを強制的に属国にした後、周りを攻めとる作戦にすることにした。
油断大敵
マリ陸軍は全滅して兵がいないものと思って適当に進駐したら、戦地から帰還したマリ軍とまともに衝突してしまった。
何とか撃退したが、ちゃんと統計 ledger 画面でチェックしておくべきだったな。
マリに続いてフロも攻める
マリを併合した直後に、フロとの停戦 truce も切れたのでそのまま北西に移動して開戦。フロはジョロフを攻めている最中だったが、ポルトガルの横やりで陸軍が全滅し、両国間の国境も分断されたため、数年後に白紙和平となっていた。
少数派の追放、一度はじめるとキャンセルできない
資金に余裕はあるので、ケープにも同時に植民したかったのだが、少数派の追放 minority expulsion をキャンセルすると植民地の放棄 abandon になる仕様らしい。
複数同時に植民したい場合や、旧世界の特定の場所に急いで植民したい場合には、先に旧世界がわへ植民してから、その後に新世界への少数派の追放をするようにしないといけないようだ。
1494年7月、プロバンスがプロテスタントに改宗されてしまった。
となりのフォルカルキエ Forcalquier に改宗中心地 Center of Reformation が出現していたので、真西のプロバンス Provence はひとたまりもなく改宗されたようだ。
経緯はともかく、これでとりあえず自国内にプロテスタントの州が出来たので、いちおうプロテスタントに改宗しようと思えばできる状態にはなった。
宗教地図モードで確認すると、今のところ改宗中心地は2つしかないので、いますぐ改宗するかどうか迷ったが、
- 教皇庁影響力が70くらい貯まっている
- 西アフリカでの改宗作業がもうすぐ終わりそう
なので、しばらく判断は保留とした。
すると聖書の現地語訳 Bible Translated がサン・トメ Sao Tome で発生
自前でプロテスタント州をつくれるイベント、聖書の現地語訳が発生。
しかし、なぜこんな離れ小島で…
すでにプロバンスがプロテスタント州なので、これ以上は必要ない。
よって周辺のカトリック諸国家との関係改善ボーナスの方を当然選んだ。
1494年10月、ついにコロンブス退役す
持ち前の移動6を生かして何十隻も敵船を捕獲し、我が国の海軍規模を2倍にした殊勲の提督クリストヴァン・コロンボ Cristvao Colombo、ついに退役。
州の名前や提督名もポルトガル語になっているあたり、凝っているよなEU4は。
1497年、摂政政治 regency が終了して新君主が即位
前王の王妃(王母)が有能だったので、別にそのままでもよかったのだが、ともかくも新国王が成人したので交代となった。
しかし継承権が弱かったらしく、首都に僭称者 pretender が蜂起しそうだ。
フランス国内には石炭 Coal があるらしいな。
何か操作を間違ってフランス領内を偶然クリックしたら、石炭 coal の産地を発見。
これは終盤で何かの役に立つらしいが、いまのところは効果は不明だ。
1497年4月、カスティリャがアラゴンに攻め込む
ポルトガルはアラゴンとは停戦中なので誘われなかった。
まあ呼ぶ必要も無い位、弱り切っているのも確かだが。
1497年10月、フランスから痛恨の破門を喰らってしまった・・・
これは痛い・・・プロテスタントへの改宗を考えたが、時すでに遅し。改宗中心地の3つめがドイツ北部のどこかの国に出現していた。
毎月ものすごい勢いで教皇庁影響力が減るので、使えるだけ全部使っておく。
一度、破門されると君主が死亡するか、自らが教皇庁支配者に返り咲くかしないと、ずっとカトリックであるメリットは享受できない。
とりあえず50は教会税 Levy Church Tax で使い、残りは教皇庁の選挙にすべて投入した。しかし根本解決を図るには、カトリック Catholic を捨てるしかない。
1497年11月、フロの次はマーシナ
マーシナには高レベル要塞は無いが、ティンブクトゥ Timbukutu、エア Air とも同盟しているので陸軍は多く、少し時間がかかりそうだ。
このあたりは最大5%の損耗 attrition 地域があり、その被害は抑えたいので、
- 敵の州には月替わり直後の2日に入るように移動タイミング調整
- そのまま全軍を率いて2州先まで移動させて、月末には占領済みとなる予定の州へ戻ってくる
- もし2州先を偵察して周囲に敵が見当たらなければ、2個連隊を置き去りにして占領に着手
というロシア仕込みの偵察機動を徹底する。
読み通り途中でマーシナ、ティンブクトゥの陸軍と鉢合わせになったが全軍引き連れていたので、数の暴力で粉砕した。
一気に要塞に詰め寄った
陸軍があっさり始末できたので、意外とすんなりティンブクトゥ要塞 Timbukutu、ガオ要塞 Gao まで詰め寄れた。ガオの方は、あまり守備兵がいないようだ。
エア陸軍も発見したので、リスクはなくなった
エア軍の所在は長らく不明だったが、開戦してから数か月は無人にしておいたベニン要塞 Benin に釣れらて南下していくのがやっと見えた。
このままベニン要塞に捉まらずに戻ってきたとしても、戻る様子も丸見えだし、数か月時間があるので安心だ。
ティンブクトゥとは、2つの要塞を落として戦勝点99点になったところで個別和平した。もうすぐ停戦切れになり再戦を予定しているモロッコとの同盟は切っておく。前回、トゥアト回廊 Tuat から攻めあがってきたのがウザかったので。
1499年3月、ついにこの時が来てしまった・・・
包囲網に参加しているジェノバの君主から漏れた最高機密。
継続中のマーシナ攻略は、最後の詰めエア攻囲の途中だが、余裕兵力をできるだけ欧州方面へ戻して開戦に備えておく。
フランスは無防備
なお開戦予定についてフランスには何も通知されていないらしく、ルシヨン要塞とナルボンヌ要塞は無人のようだ。できれば奇襲で獲りたいので検討してみる。
- 海側からの場合、フランス海軍を封じ込めておき旗艦から直接上陸
リヨン湾に艦隊を集結させてフランス海軍の出航を防げるかがポイント - 陸側からの場合、バルセロナからアラゴン領経由での進軍
ライバルであるアラゴンを通過させてもらえるかどうか次第だが、少なくともポルトガルからの通行権申請はアラゴンに認めてもらえない可能性が高い。
開戦後に敵がアラゴンに通行権を請求すれば、その反射で当方も通過できるようにはなるが保証の限りではない。
海側からの攻略案で準備を進める
より確実な前者の海側からの攻略案で準備を進める。
リヨン湾で海戦が発生するだけで上陸作戦は台無しなので、全ての大型船と小型船をリヨン湾に集結し、そもそもフランス海軍に出航する気をなくさせてしまうことが何よりも大事だ。
月末にはエアの首都も陥落
タイミングよく最後のエアの首都も陥落したので、さっさとエア、マーシナと和平してすべての兵力を西に戻しはじめる。数か月かかりますけど。
1499年5月、むしろ、こちらからモロッコに仕掛ける
サヴォイが作った包囲網に、最後にふらっとモロッコが加わった。
当初はルシヨンに付けた領有権主張が生きているフランスを攻めるつもりだったが、モロッコの方が欧州から外れており首都や要塞を片付けやすいので、ジェノバから包囲網戦争を開戦される前に、こちらからモロッコへの征服戦争を宣戦布告した。
- いままで完了を保留していたタンジール占領の使命 mission を完了させ、ガルブとモロッコ南部全域への領有権主張を獲得
- カスティリャはアラゴン戦争中のため、土地をくれるなら参加するとの意向
まあアラゴン戦争が終わってから呼べばいいので、最初からは呼ばない。 - イングランドはとりあえず呼ぶ
陸軍にはあまり期待していないが、地中海に艦隊を回してくれると、かなり助かる。
モロッコ方面では、マラケシュ要塞を奇襲占領
ジブラルタル海峡の海上で西アフリカから海路帰還した陸軍を待機させておき、無警戒のマラケシュ要塞が無人の状態で翌月1日に開戦。
前回のモロッコ戦と同様、サレ Sale からひたすら直進させ、当月内に要塞を抑えた。
フランス方面では、ルシヨン、ナルボンヌ要塞を奇襲
両要塞とも無人なので、リヨン湾の旗艦からなけなしの決死隊(傭兵中心)を上陸させたところ、敵艦隊は出航せず、敵陸軍も近くにはいなかった。
意外とウザい教皇領のガレー11隻艦隊が出現
船脚は遅いので避けることは難しくないが、後から合流されるだけでもリスクになる。
去ったのを見計らって、ジェノバ艦隊のほうを襲撃する。
いつでも逃げられるとはいえ、アビニョンから教皇領軍が近づいてくるなど、かなりヒヤヒヤしたが無事占領できた。大した戦勝点にならないが、いい時間稼ぎにはなる。
アンジュー要塞を無人のままで開戦していた orz
ふと気づいたらアンジュー要塞が落城との報告が...
ルシヨン・ナルボンヌ決死隊が襲われなくてラッキー!と思っていたのだが、ポルトガルがわがアンジュー要塞を無人にしたまま開戦しており、そちらに敵の陸軍が釣られていっただけだったらしい。
アンジューは無人のまま、翌月あえなく陥落 orz
まあ要塞2個と引き換えならいいか…どのみち守れないし...
モロッコは早くも占領モード
モロッコ陸軍はフェズを通過し、そのままグラナダまで直進してマラガの攻囲を始めた。ジブラルタル海峡で止めるのを忘れていたが、遊兵に出来たことに違いはないので放置しておき、完全に無防備となった本土を全土占領して継戦能力を奪っておく。
モロッコの唯一の同盟国、トゥーグラがうろちょろしており、ダーラ・ケフ要塞のオン・オフが面倒くさい。小国なので兵数は4,000しかいない。先に討伐しておく。
イングランド軍は役に立ってないが、イングランド領は役に立つ
カレー Calais を攻囲していたジェノバ軍 Genoa を直接入港で追い払った後、カーン Caen を攻囲していたフランス軍を狙ったが察知されて海岸から逃げられた。
内陸に踏み込んだところ、ゼロ日差で逃げられたが、何故か引き返してきたので合戦となり、方面軍全部を始末できた。
リスボンに来ていた教皇領軍も同じ目に
フランス北部の攻囲を粉砕して地中化方面に引き返す途中に、はるばるリスボンを攻囲にきていた教皇領軍も同じ目に遭わせた。
2歳差の後継者 heir は馬車馬のごとく酷使
この後継者の将軍は、君主と年齢がわずか2歳差で、しかも射撃3、白兵6、移動4と優秀なので、戦死上等でコキ使っている。
2歳差のまま君主と後継者が歳をとり、両方が似たようなタイミングで死なれるのが一番困るので。
モロッコの首都ガルブでは、ひたすら粘られる
包囲に必要な陸軍は3,000だけでいいのだが、イングランド軍がここへ上陸してしまったので戦力超過気味となっている。しかし城壁も壊れないし、全然落城しなかった。
この数か月後、99%になってようやく落城した。
ナルボンヌ、ルシヨン要塞を奪回された
半年ばかり敵を拘束した末に落城した。十分な働きだ。
モロッコとの全体和平
モロッコ領ガルブを戦争目的として、こちらから仕掛けた戦なのだが、扱いは包囲網戦争 coalition war のため個別和平はさせてもらえなかった。
教皇領、シエナも全土占領して戦勝点が40を超えた。残ったフランスの海岸線を全て海上封鎖して戦勝点を少し嵩上げした上でモロッコとの全体和平。
陸戦での勝利による戦勝点も10点くらいあり、かなり貢献している。
フランス軍21,000がジェノバあたりに迫って来ており、厭戦気分 WE も3.9と高くなってきたので、ガルブ Garb と賠償金しかもらえなかったが、何も失わなかっただけでも御の字だ。
トレムセン、トゥーグラを消滅させる
包囲網リスクを減らすため、滅亡させた。
1503年、植民主義がロンドンに華開く
なんでだよ!どう考えてもこちらだろ!
まあ植民主義の制度 institution の伝搬は早いので、別にいいけど。
1503年、モロッコ大叛乱
西アフリカでは物神 Fetishist、北アフリカではモロッコ分離主義者 Moroccan Separtists の叛乱進捗が同時に100%に。
一応両方とも鎮圧できるつもりだが、モロッコ 33,000 はこのままだときついので、色々な手口で不穏を緊急調整。
10%を超えている州は、もうどうしようもないので5%以下を中心に対象州を減らす。
不穏-5の政令を発令
まず中央モロッコ3州(フェズ、セウタ、メクネス)には、発見の時代の特典として取得した不穏-5の政令を発令。これで不穏がゼロになった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任
北部モロッコにも同様に政令を発令。メリリャ Melilla の不穏は0.8になった。
さらに修道士会 Holy Orders を赴任させて、不穏はゼロに。
予想どおり、叛乱軍はガルブに 21,000 の規模で出現した。
33,000だと損害は馬鹿にならないが、これならば余裕だろう。
3000弱の損害で討伐できた。
目論見通り2歳年下の後継者 heir は死亡
射撃4、白兵6、移動4の闘将は、行軍中に突然お亡くなりに。
1504年、宗教改革の時代へ
カトリックを破門され、プロテスタントへの改宗もし損ねた中途半端な立ち位置のまま、宗教改革の時代へ突入した。
今回は欧州方面進出のため、西アフリカの物神地域の改宗が進んでおらず、時代の目標は何にも達成していないので、繁栄 splender は毎月1しか増えない。
つづく
ポルトガルAAR モロッコと西アフリカは今日も大荒れ模様(即、投了)
アフォンソ5世 Afonso V 即位までは、君主力 monarc power を貯めつつ外交施策で参戦機会を伺う。今回はトレムセン Tlemcen と同盟 alliance することができた。
1446年2月、モロッコ Morocco がトレムセンを狙っているとの噂
事前報告ありがとう。
セウタ要塞 Ceuta をオン、海軍 navy の予備役 mothball を解除して開戦に備える。
タンジール要塞 Tangiers の守備兵 garrison ゼロのままになっていたので、数か月後、開戦直後に陸軍1個連隊でいきなり占領できた。
チュニス Tunis がトゥーグラ Touggourt とグラナダ Granada に宣戦布告
チュニスにとっては余興の如き戦いだが、この2か国は相当離れているので、トゥーグラ完全占領後も多分長引くことだろう。和平強要 enforce peace による参戦も視野に、関係改善 improve relations は行っておく。
恐るべしマラケシュ Marraksh の3つ星将軍
北アフリカを舞台に2つの戦争が同時進行となっているが、とりあえずポルトガルの敵はモロッコとその属国 subjects のみ。モロッコの属国たち、兵数は少ないが白兵6、攻城4の3つ星将軍 general がいるなど、けっこう侮れない。
モロッコとはいつも通り、主力との衝突は避けて機動戦
セウタ Ceuta を囮にして後背地に上陸し属国から落としていく、いつもの作戦。
スース Sus、タフィラルト Tafilalt の首都はそれぞれポルトガル、トレムセンで陥落させた。
何とか全軍の半数以上、10個連隊をかき集めて、マラケシュのレベル2要塞を攻囲 siege する構えだけは見せている。しかし、モロッコ軍主力が近づくたびに逃げざるをえず、敗走させられた同盟国の陸軍が戻ってくるための時間稼ぎにしかなっていない。
陸路でチュニスに向かおうとするトゥーグラ同盟国グラナダ Granada、モロッコに向かうトレムセン同盟国ジェリド Djerid、占領された後背地を奪回しようとするタフィラルト Tafilalt の陸軍などが入り乱れて大変見苦しい。
1449年7月、マラケシュ除いて全土を占領
我が国にも攻城3の将軍が出現したので、トレムセンの協力を得て首都フェズ Fez を迅速に落とすことができた。モロッコに奪回されたスースを再度奪回し始めている。
マラケシュ要塞を落としたいところだが、モロッコ陸軍のフルスタックが健在で、頼みのトレムセン軍は近づいても来ないので、そろそろ和平しようかと思っている。
1450年5月、カスティリャ Castile にマラガ Malaga 横取りされた
カスティリャがグラナダに宣戦布告した2か月後に、ポルトガルも停戦が解けたので宣戦布告。首都グラナダ Granada はカスティリャに先取されたが、マリヤ Marriya、マラガ Malaga、ジブラルタル Jabal Tariq はポルトガル軍が先取した。
しかしポルトガルがマラガを落とす直前(陥落確率28%)にグラナダがカスティリャと和平。グラナダだけでなくマラガまでとられてしまった。多分カスティリャの中核州 core だったのだろう。
トレムセン・ジェリド軍と協力してスース再占領
トレムセン軍がようやく南下してきたので、スース首都の再占領までは何とか成功した。残るはマラケシュ要塞だけなのだが、ここで農民反乱 peasants rebels が発生。そろそろ潮時だ。
1450年11月、モロッコと個別和平
つい忘れがちになるのだが、この戦争はトレムセンが当事国の戦争なので、ほどほどのところで自国に都合の良い条件で個別和平 separate peace して離脱することにした。
交易力移転 transfer trade power はムリだったが、賠償金 War Reparations は取れるだけとり、領土としては
を確保した。厄介な属国のうち、マラケシュの宗主権 overlordship は放棄させた。
メリリャを確保できたので、アルメリア Almeria の方は金持ちのカスティリャに183ダカットで売り払った。
その数か月後、グラナダ全域で分離主義者の大叛乱が発生した。
いやはや、売り払っておいて正解だったわ。
1451年、トレムセンもモロッコと和平
タフィラルトは併合され、スースはモロッコから解放された。
これでモロッコは丸裸になったので、停戦 truce 切れになり次第、各個撃破すればよい。
共通の利益 A Shared Interest イベント
気さく(=外交力が高い)な王妃 consort のおかげで良いイベント発生。
- アフォンソの外交力が1増える(確率20%)
- 外交君主力 diplomatic monarc power を100獲得(確率80%)
とのこと。結果は君主力だった。
1455年10月、教皇庁支配者 PAPAL CONTROLLER に当選
教皇庁影響力 papal influence を2回投資し、フランスを出し抜いて当選した。
1456年12月、ブルゴーニュ公頓死
ブルゴーニュ公が頓死し、低地地方はオーストリア領 Austria になった。
このイベント、最近、発生しにくくなったと思う。
低地地方がオーストリアになるか、カスティリャになるかはどっちでもいい(後でオランダ独立で荷物になるし)が、フランス France の棚ボタだけは何か腹立たしい。
1457年10月、ジョロフ侵攻
カポ・ヴェルデ Cape Verde に植民した直後に、ジョロフ Jolof に領有権主張 claim を2つ付けて宣戦布告した。植民地 colony 成立するまで州 province は奪取できないので、とりあえず賠償金稼ぎ。
モロッコからの賠償金で旗艦 flagship を建造したので、当月内に上陸できる上、上陸戦ペナルティ(マイナス2)も付かない。ポルトガルのフュージリア、末恐ろしいわ。
イベリア半島 Iberia では、カスティリャ継承戦争 Castilian Civil War が始まったようだ。僭称者 Pretender Rebels の一人はアラゴン Aragon に支援されているらしい。
人的資源 manpower はわずか2000でも惜しいので、2つめの選択肢を選ぶ。
この程度の叛乱なら、現政権側が必ず勝つだろう。西アフリカで被るであろう損耗を想像すると、たとえ2000でもキープしておきたい。
1459年3月、ほぼケリがついた
マーシナ Macina、ジェンネ Jenne についても全土占領に入った。
ここでも攻城3の将軍は大活躍。
野戦軍は弱いが、土地柄による損耗 attrition が多い西アフリカでは、攻囲期間中の2~4%の損耗が無視できないので、北アフリカ・欧州におけるよりも攻城ボーナスは価値がある。
土地は一つも奪取できないが、3か国からそれぞれ賠償金をかき集めた。
ジョロフは戦勝点 War Score が余っていたので、寄港権を強要 Enforced Fleet Basing もしておいた。岬の向こう側に寄港権があると、植民や侵攻のさいにかなり便利なので。
1459年11月、カスティリャ継承戦争が終結
さらに仲良くなり、関係は最大値200になった。
1463年10月、マリ Mali 侵攻
ポルトガルがマーシナ、ジェンネの陸軍を全滅させて西アフリカのパワーバランスを崩した結果、ここら一帯は大荒れに。
教皇庁支配者で外交官 diplomats に余裕があったので、マリにもスパイ網 spy network を張っておいたところ、マリがジェンネに攻め込むつもりだという事前情報が流れてきた。外交枠も余っていたのでジェンネに独立保障をかけておいたのだが、お構いなしに開戦された。
敵方の勢力はマリ、コング Kong で合計2万強の陸軍を持っていたが、ジェンネ要塞はレベル2なので攻囲軍の9,000は無視できたのは大きい。ジェンネ陸軍9,000も後背地に退いており温存されていたので、牽制効果はあり、マリ全土占領はうまくいった。
首都ジョマ Joma を落としたところ、現地調達(略奪) Sack of Niami イベントが発生して、陸軍プロフェッショナリズム Army Professionalism が5も増えた。
途中で敵方にティンブクトゥ Timbuktu が加わったが、大勢に影響なし。
ジェンネ首都を奪回した時点で、マリから賠償金を取れるだけとって個別和平した。
そのあとジェンネはマリに併合されたが、まあこれは仕方ないな。
後継者ジョアン Joao がモロッコ人になる(?)
わが息子ジョアンは、モロッコで何かに目覚めてしまったらしい。
モロッコ人になるってどういうことだよ。でも10年間、モロッコ文化の州の不穏 unrest がマイナス3というのは、かなり良いなとは思った。
でも今は、該当する州は3州しかないのでモロッコ人になるのはやめとく。
1463年10月、トレムセンがモロッコ攻略を企画中との噂
トレムセンにフェズ Fez まで取られると後々、厄介なので妨害することにする。
トレムセンは同盟国なのだが、ポルトガルは密かにスパイ網を張り巡らせて裏切りの準備を進めていた。
ちょうど45点貯まっていたので、トレムセンの2州に領有権主張を付けることができる。
トレムセンを仮想敵国 rival に指定して同盟を切った。モロッコとの停戦切れは数か月後に迫っており、トレムセン側で呼ばれたくはないので。
モロッコ側についてトレムセンを叩く案も考えた。
そのためにトレムセンに警告を送る send warining ことや、モロッコに独立保障をかけることを試みたが、トレムセン・モロッコは強大すぎるからという理由でどちらも実行できなかった。
3か月後、トレムセン軍は叛乱で瀕死のモロッコに雪崩れ込んだ。
モロッコ軍は今のところ2000名しかおらず、同盟国はティンブクトゥだけなので、トレムセンがフェズに拘っている間に周り全部をポルトガルが占領するのがいいだろう。
モロッコへのスパイ網は60に達しているので、叛乱軍を支援すればフェズも横取りできるかもしれない。
2か月ほど遅れてポルトガルもモロッコ・ティンブクトゥに宣戦布告。
叛乱軍の支援 support rebels はトレムセンが攻囲中のフェズに叛乱軍が向かったタイミングで行って、共同でトレムセン軍を追い払う算段でいたのだが、叛乱軍も馬鹿ではなく、フェズには行ってくれなかった。よくよく考えると、要塞はモロッコのものなので、反乱軍は要塞の防御側にはなれない立場。わざわざ挑むとも考えにくかった。
もうフェズはトレムセンに取られたものと諦めていたところ、トレムセン軍が急にフェズから撤退した。いちおう置き石で総員79名のゴミ連隊 regiments を攻囲戦に参加させていたので、ポルトガルが奪取できる可能性が出てきた。
トレムセン軍は、叛乱軍がフェズに来るのを事前に察知して逃げたものと思いこんでいたが、実は違った。南方からティンブクトゥの本隊が攻めあがってきたのに反応していたらしい。
折角、占領し終えたモロッコ南部をティンブクトゥに奪回されるのは本意ではないので、スパイ網60を使ってモロッコ叛乱軍への支援を発動した。
味方になった叛乱軍は相変わらずフェズ攻略には協力してくれなかったが、モロッコ南部をずっと往復運動し続けることで、ポルトガルの支配地域を守り続けた。
はるか東方では、チュニスがムザベ Mzab・ジェリドに宣戦布告。
助けてやりたいところだが、ちょっと今は無理だ。
その翌月、今度はスース分離主義者がマラケシュから独立を勝ち取った。
ティンブクトゥ軍はトレムセンの方にはいかず、フェズを通過してセウタ Ceuta に向ってくるようだ。たとえ端数の1個連隊でも無駄にはできないので撤退させた。残念ながら棚ボタは失敗したようだ。
そこから一年半、ティンブクトゥ軍がセウタを攻略している真後ろで、ポルトガル軍がフェズ攻略を継続。セウタが落とされる前にフェズを落とし、何とか和平に持ち込んだ。
戦争目的 war goal のフェズをポルトガルに横取りされたトレムセンは、モロッコ攻略を諦めたようだが、弱ったモロッコに今度はマラケシュが襲い掛かる。2州しかないが、レベル2要塞があるので勝てると踏んだのだろうか。
そろそろ探検家 explorer でも出すか
やっとこさカポ・ヴェルデへの植民が完了したので、タダで探検家をもらえる任務 mission を完了させた。
さっそく公海上を捜索させたのだが、新世界は近くにはないようだった。
しょぼーん。
1468年5月、スース・トレムセン攻略
マラケシュはモロッコを滅ぼしてしまった。
まあそのうち、モロッコ分離主義者が蜂起して元に戻る気はしているが。
マラケシュとの停戦切れは大分先だし、トレムセンもライバル指定で同盟を切ってから数年しか経っていないので、別に何の恨みもないのだが、独立したばかりのスース Sus を攻めることにした。
もっとも真の標的は、スースの同盟国であるトレムセン。トレムセン陸軍が南端のタフィラルトに湧いたモロッコ分離主義者の鎮圧に出かけている隙に、無人のダーラ要塞 Dahra を最初に攻略した。
ここでも旗艦は大活躍。月内に上陸できるので、制海権さえ握っていれば、海岸沿いの無人要塞はほぼ一発で墜とせる。
好意 favor が10貯まっていたので、カスティリャ軍も勧誘した。
国内に大叛乱が発生しているというのに、まったく気にせずにスースに全軍を直行させるカスティリャ軍、かこいい。
落としたダーラ要塞にトレムセン軍が拘泥している間に、周りの州をどんどん落とす。
戦後を見据えてアラゴンの状況をチェック。アラゴンの後継者、女性のようなのでイベリアン・ウェディングのリスクはかなりありそうだ。
スースへ進軍中のカスティリャの目前にモロッコ分離主義者の叛乱軍が沸いた。
がんばって片づけてね。
最近覚えた海戦のマイクロマネジメント
海戦に入るさいに、艦隊単位で交戦させるのではなくて、全ての艦艇をバラバラにしてから交戦させ、士気がゼロになった艦艇だけを1隻ずつ退却させていくマイクロマネジメントがけっこう有効だと気付いた。
海戦に勝ったとしても、途中で味方に多くの損害が出たのでは意味がないので・・・
いつもなら先に沈められてしまうガレー船や小型船も救うことができる。もちろん大型船の不慮の事故なんかもありえない。
最後はカスティリャ陸軍無双となり、トレムセンの首都は陥落した。
1471年、アラゴンたちが攻めて来た
フランス France、サヴォイ Savoy、教皇領 The Papal States を引き連れて攻めて来た。
ポルトガルしか同盟国がないので、放置するわけにもいかず参戦する。総力戦に堪える資金もなければ人的資源もないので、とにかく陸戦はやらない方向で、いつもどおり海上からの奇襲を徹底する。
制海権がなければ話にならないので、まずはアラゴン海軍をマイクロマネジメントで狩りとりにいく。
マイクロマネジメントすること数回、カスティリャ無敵艦隊の助けも借りて敵海軍は一掃した。バレアレス諸島、サルディーニャ島、シチリア島などは占領したが、本土の重要拠点には全く手が出せない。
勝利に向けた展望は何も見えない中、和平を待ち焦がれつつ抵抗を続けて3年め。
島以外でも取れるところはと取り、味方船舶を入港させて奪回を防いではいるが決め手に欠ける。
維持費最低のままで出来ることだけ繰り返し行っており、一度たりとも大きな陸戦は行っていないので、3年経っているわりには厭戦気分 WE は2未満のままだ。
そんな中、国内ではなぜか異端どもの叛乱がポルトに大挙して湧く。その数、なんと2万3千。すでにリスボンに2万1千の貴族叛乱軍 noble rebles がいる中、とてもじゃないが鎮圧できない。仕方ないので反乱軍の出している条件を呑む。
フランス国内でも叛乱が発生し、フランス軍の半分とサヴォイ全軍はそちらに向かった。こっちも3万3千の異端なので、そう簡単には片づけられず、イタチごっこになっている。
フランス・サヴォイはフランス領内に、教皇領・ナポリ軍はイタリア方面に散らした結果、ついにイベリア半島でカスティリャ軍が反攻に転ずる。
さらに一年が経過、首都トレド Toledo を奪回し、ブルゴス Burgos の再包囲を開始した。開戦4年目にしてようやく、カスティリャ領の大半を取り戻した。
4年間、カスティリャのために必死に戦った結果、ナバラ解放と少しの賠償金で終戦となった。何と虚しい戦いだろう。
そしてアラゴンの後継者の娘は、いつの間にかお亡くなりに。ますますやばいぞ。
カスティリャは1000以上の借金を背負ったので、好意 favor を24もらったところで何の役にも立はしないという悲しさ orz
1477年、トレムセンがチュニスを平らげる
1478年、ジョロフ攻めの途中に最高の将軍を獲得
久しぶりに出た!A new champion of the joust で陸軍伝統100の将軍をくじ引き。
移動6、攻城4という、まさに鬼神のような将軍が引けた。
さっそくジョロフ戦に投入したが、すごい勢いで首都の防御が剥がされていく。
1485年、マリがフロを攻めるとの噂
マリに警告を送って send waring 牽制したのだが、やはり無視して宣戦布告された。
マリの金山 Gold 2か所に領有権主張が付け終わっているので、それを奪取することが当方の狙い。
しかしタッチの差でフロ Fulo の首都が落とされたため、賠償金のみの中途半端な和平を呑まされることになった。いちおう賠償金の9割はこちらにもらえたが、欲しかったのは金山なんだよ!
1487年、ついにブルジョア災厄の危機
残期間の計算を一カ月を誤り、ブルジョア Burghers の影響 influence が100のままで進捗95%を迎えてしまった。
ブルジョアに与えている封土はポルト Porto しかなく、陸軍主力は別の叛乱鎮圧のため北アフリカに遠征中なので、ここで蜂起させたら翌月に鎮圧することは難しいだろう。
最終手段として、西アフリカの territory の州を1つ、中核化して分母の方を増やすことで100%を割らせるという裏ワザを使わざるを得なかった。
1488年、貴族 nobles どもが一斉蜂起
国内のあちこちに貴族の封土を与え、しかも忠誠 loyalty が低かったがためにこんなことに。
貴族の諸身分イベント Deteriorating Relations with the Nobility で6か所同時蜂起となるが、要塞の隣に湧く奴は無視できるので、アヴェイロ Aveiro、ハハ Haha、イフニ Ifni の叛乱軍を迎撃する。
磨き抜かれた叛乱鎮圧テクで迎撃はしたが・・・アヴェイロは叛乱軍の将軍が白兵6という鬼将軍のため想定外の敗退となった。しかも、その敗走先がフェズ Fez という最悪の流れ。
メリリャは要塞の隣なので迎撃しなかったのだが、そこが占領されたために、フェズ分離主義者の進捗70%とポルトガル貴族反乱軍30%の進捗率が合成されて、コインブラ Coimbra にさらに2万6千もの貴族叛乱軍が湧いてしまった。
敗走した軍は、この後フェズで士気0.51の状態で別の叛乱軍とぶつかったが、フェズは山岳要塞で防御側なのでギリギリ全滅は免れ、今度はリスボンへ敗走。
残りの全軍を海路リスボンに集め、本土北方の貴族叛乱軍はすべて鎮圧したが、なおスース分離主義者18,000、同モロッコ18,000、同テトゥアン8,000は北アフリカに残っており、トレムセン分離主義者が叛乱間近がまだ控えている苦しい情勢だ。
パトラッシュ、もう疲れたよ・・・
君主力200獲得路線でずっとやってきたが、その結果、忠誠がずっと低いまま。
それを補うべく封土を与えたが、忠誠が40を超えるようには与えられなかったため、逆に不穏が増大。このような叛乱祭りを招いてしまった。
今回は探検アイデア exploration ideas と拡張アイデア expansion ideas のコンボにしてみて、植民だけはやたらと順調だったが、不穏 unrest の扱いは甘かった。
- インフレ率下げる顧問などは、後回しで良かったはずだ
- 西アフリカの領地を貿易会社にすぐ割り当てなかった(キリスト教に改宗させてからやろうと思った)
- 領有権主張が永久の土地まで、欲張って一気に分捕り、過剰拡大が80%を超えた
君主力200はムリがあるという結論
君主力200獲得路線でやってきたが、だいぶ無理がある気がしてきた。
影響100を切るように土地を剥がすさいの忠誠低下が大きすぎ、弊害のほうが上回っている。やはり影響75~80あたりで君主力150で我慢するのがよいようだ。
忠誠30を割ると、諸身分イベントで大規模な叛乱が起きやすいようなので、忠誠は30~80の間でコントロールしておかないといけないようだ。