DLC: AoWまで、パッチ: 1.16くらい
あいかわらずポルトガル以外では一切プレイしていないが、とりあえず実例でレポートをしてみる。まずは開始直後の定型的な準備作業をひととおり行う。
同盟 alliance
ポルトガルの外交関係 diplomatic relations の総枠は4つ。
開始直後から組める国は少ないが、ポルトガルには歴史的宿敵 historical enemy はなく、関係改善 relation improvement すれば大半の国と組めるので、大国から順に同盟の可能性度合いを調べて相手を選ぶ。
- イングランドとは最初から同盟している。
- 歴史的盟友 historical friend のカスティリャとは、いつもどおり先方からの申し入れがあり同盟した。
- 北アフリカのトレムセン Tlemcen も同盟したい。ただしあまり早く同盟するとトレムセンが当事者の戦争に従属的な立場で巻き込まれるなどロクな結果にならないので、関係改善だけ上限まで行った上で同盟せず寸止めにしておく。
- 今回はブルゴーニュ Burgundy とも組めそうな感じだった。従属国多数であり組めれば強力。4カ国めの同盟国にすべく関係を上げ、これも寸止めしておく。
一般に、関係改善をがんばれば大抵の国とは同盟できるようになる。目安として初期でゲージの長さが40%くらいあれば関係改善で50%越えとなり同盟できる可能性は高い。
限界まで関係改善してもギリギリ50%未満のときは、たんに待つか、外交評判 diplomatic reputation を上げる顧問を雇ったりしてさらにがんばる。
グラナダ Granada 争奪戦に向けた準備
スパイ網が20、25に達する度に領有権主張 claim を行ってジブラルタルとグラナダの2州に領有権主張をつけた。
数年後にやっと摂政政治 regency が終わったので、いちおう宣戦布告はできるようになった。しかしグラナダとは停戦中のため、まだ直接に宣戦布告することはできない。
グラナダの同盟国であるモロッコに仕掛ければ巻き込めるが、モロッコとトレムセンが同盟しているため、こちらから仕掛けると折角味方にできそうなトレムセンまでわざわざ敵に回すことになる。カスティリャを引き込んでも、北アフリカに足がかり無しだと時間とお金がかかるので、何かいい事件が起きるのを期待していたが遂に起きず。
ポルトガルより一年早く停戦開けになったカスティリャが、ついに国境に陸軍を集結させ始めた。
ポルトガルの停戦明けまで、たっぶり一年もありどうしようもないので、運を天に任せ、たんに待つことにした。
チュニスとトレムセンが開戦 1448
すると事件は起きた。突如としてモロッコとグラナダが海戦を始めているではないか。
どうやらトレムセンがモロッコを連れてチュニスに攻め込んださいに、グラナダが巻き込まれたようだ。
これでカスティリャのグラナダ攻略は更に楽になった...と失望していたところ、意外にもカスティリャはすぐ開戦しようとしなかった。
後から思い起こすと、ここでトレムセンと同盟すればトレムセン側で参戦して、グラナダ攻略を始めることができたのかもしれないが、このときは思いつかなかった。もっとも攻撃側なので、たとえ同盟しても誘われなかったかもしれないが。
アラゴンがナバラに宣戦
数ヶ月後、アラゴンがナバラ併合の使命達成を目指して開戦。ナバラ、カスティリャとアラゴンの戦争になった。
このおかげでカスティリャのグラナダ攻略は、少なくとも数年先になることが確定した。つまりポルトガルとの停戦期間の問題は、これにて自然解決の見込みとなった。
時間的な余裕ができたのと、アラゴン領のバレアレスやサルディーニャを占領すればあらゆる国に領有権主張ができるメリットがあることから、ポルトガルは方針を変更。
予定外だがナバラと同盟して参戦し、いつでもできるグラナダ攻略は後回しにして、アラゴンのほうを先を削ることにした。
ところでこのナバラ、今回は後から同盟したが、ほぼいつでも同盟できるし、関係改善をカスティリャより早くやれば属国化もできる。
しかしイングランド、フランス、アラゴン、カスティリャの係争地になりがちなので、同盟せずに放置しておくのが実は最善だったりする。
イングランドがフランスに宣戦
しばらくして今度はイングランドが、アルマニャック伯領を回復するという、史実に由縁のある話ではあるがゲーム的には正気とは思えぬ大それた使命達成を目指して開戦。
オーストリアを連れていたし、どうせアラゴンと戦争しているので、1個も2個も変わらないと判断して、攻撃側ではあるが参戦することにした。
とはいえアラゴン領攻略が優先なので、フランスと同盟国ジェノバの攻略は後回しにすることにした。
一般に、フランスをまともに相手にしても何もいいことはない。実際フランスはこの後、イングランド、オーストリア、教皇領の60個連隊以上を全滅させている。
チュニスとトレムセンが和平
ポルトガルがアラゴン本土の占領にいそしんでいるときに、トレムセンがチュニスに首都を落とされてしまったらしく、兵力は優勢なのにチュニスと和平した。
一体なぜそういう和平条件になったのかわからないが、トレムセンの西半分がモロッコの領土になっていた。
戦後に、ちゃっかりチュニスとモロッコが同盟していたので、トレムセンを挟み撃ちにする方針にでもしたのだろうか。
マジャブ Mzab がトレムセンに火事場泥棒
ズタボロになったトレムセンを見て、即刻マジャブがトレムセンに宣戦した。
すでに2つ戦争を掛け持ちしているが、マジャブなら片手間で覆滅できるので、トレムセンと同盟して参戦した。これで同時に3つの戦争を掛け持ちすることとなった。
マジャブ Mzab を無力化
ポルトガル陸軍がマジャブ陸軍の主力をあっさり狩り飛ばせば実質的に勝負は決まった。
端数の連隊をマジャブ領に先に置き石し、トレムセン陸軍に攻城戦を代行させて全土(といっても2州)を占領。個別和平して賠償金をせしめることができた。
個別和平後は、トレムセンが再占領して隣接する州を獲得したようだ。
カスティリャと連帯し、アラゴンを占領。
アラゴンがナバラを陥落させ、カスティリャが包囲中の首都バレンシアを救いに来たが、群れなすカスティリャ、ポルトガル陸軍に数の差で殲滅された。
その過程でバレンシアの占領権をカスティリャから掠めとることもできた。
また幸いアラゴン海軍はナバラ沖合のビスケー湾に張り付き、ジェノバ海軍はオーストリア封鎖のためアドリア海にずっと張り付いておいてくれたおかげで、海軍力で劣るポルトガルでも離島のバレアレス、サルディーニャ、コルシカ、マルタには分遣隊を送って簡単に占領できた。アラゴン本土では、ジローナ、ルシヨンの要塞占領に着手した。
余った陸軍でジェノバ本土も侵攻したが、フランス陸軍30個弱がオーストリア陸軍をすり潰しながら迫ってきたのでジェノバで攻城戦をする時間はなく、略奪 root をやれるだけやって、船で撤退した。
ジローナ、ルシヨン占領後、シチリアにも隙を見て上陸し、士気最大にしておく必要はあったが何とか占領した。ナポリ陸軍はナポリ本土から一歩も出ず全軍温存されていたため、ナポリの占領は結局諦めた。
アラゴンと個別和平 1450
時間をかければナポリを落とすことはできるが、いまのところアラゴンへの領有権主張が一つもなく、長期化させるメリットは薄い。
ナルボンヌ沖でフランス海軍と相撃ちになってしまい大型船 Carrack が1隻に減らされ、カスティリャ海軍がついてこない限りはナポリ海軍に勝てるかどうかも怪しく、アラゴン海軍に至っては絶対勝てないのも情勢としては厳しかった。
なのでアラゴン本土の要塞を3つとも落としたところで幕引きにすることにした。
バレアレスと若干の戦争賠償金をせしめ、屈辱して個別和平することにした。
この島があれば地中海西部は丸見えになり、虎の子の海軍が不意打ちされるリスクはほぼゼロになる。アラゴン、フランス、チュニスなど沿岸国に領有権主張が付けられる。
カスティリャも一年後に、サルディーニャ独立などを条件に和平したらしく、アラゴンとの戦争は終結した。
フランスと個別和平 1450
アラゴン首都バレンシアを陥落させたカスティリャ軍が大量にジローナ、ルシヨンに殺到し、ポルトガル軍の代わりに攻城戦をやってくれていたので、解放されたポルトガル陸軍はフランス南部に侵入を開始できるようになった。
いっぽうイングランド陸軍は、フランス北部では殲滅されたが、ベアルンの山岳ではフランス陸軍を2度も撃退。その活躍のおかげでベアルンを攻略できピレネー山脈の裏手にあるいくつかの州も占領できた。
ポルトガルとしては、アラゴン戦を終わらせたと同時にフランス戦も抜けたかったので、戦勝点は2%に過ぎなかったが、100ダカットかそこらの少額の賠償金を払って個別和平できた。5年も続いて厭戦気分が高まっていたからか比較的安上がりだった。
これでイングランドが始めたフランスとの戦争からも離脱し、3つの戦争が終わった。
サルディーニャ侵攻 1452
独立もあるかと思って、前回の停戦時にわざと要求しなかった。
なすすべもなく、ポルトガルに占領された。
イングランド叛乱祭り 1453
鎮圧できず政権交代。フランスにノルマンディを引き渡して和平したようだ。
陸軍伝統を出稼ぎに行きたかったが、着く前に終わった。
グラナダ Granada 攻略 1455
厭戦気分が回復するまで待った後、お待ちかねグラナダ攻略を再開。
グラナダはモロッコ、チュニスと同盟しているので、グラナダではなく仮想敵国 rival のチュニスへの宣戦布告も検討した。今やサルディーニャを支配しているので、北岸の適当な州に領有権主張をつけている。しかし停戦期間のためトレムセンがついて来れないことが判明。そこでモロッコに宣戦布告することにした。
開戦直前にタンジール攻略の使命も発動し、ライバル挑発して戦力投射 power projection を5点追加。
海軍を待ち伏せ状態にしてトレムセンを誘い宣戦布告。
カスティリャについては最初から呼ぶとグラナダを先取りされるし、誘わないと邪魔するので、グラナダ全土を占領または攻城戦開始してから別途呼び出す。
ちなみにモロッコは、開戦の前年から農民戦争に襲われて国力・戦力を吸われており、農民戦争が続いている最中に攻め込んだので陸軍戦力はほぼゼロとなっており、しばらく完全に無視できる存在で楽だった。
ポルトガル軍がカスティリャ軍のモロッコ侵攻待ちでなかなか独りで行こうとしないものだから、モロッコ・チュニス軍は南方に向かったトレムセン軍を征伐しに行っている。
それを全く救いに行く気がなく、むしろその間にメリヤ、ガルブを占領してフェズ攻略を続行するポルトガル。
グラナダはポルトガル軍の置き石+カスティリャ軍で攻城戦。浮かせた陸軍でチュニスの要塞が無い州を占領して弱体化させる。
要塞の無い州の占領を陸軍維持費最低のままで行うために、2個連隊×4の編成で上陸させる。月替わりのタイミングで合成し、各編成から浮いた端数の1個連隊を次の州にすぐ向かわせて別の一組を作ることで時間・コストを節約できる。
- チュニスは屈辱の上、個別和平で賠償金と湾内の島 Djerba を入手。
サルディーニャやチュニス北岸を支配していない場合には中核化距離の範囲外のため要求できないが、幸い今回はできる。次回の侵攻時の橋頭堡かつ沿海の見張りをできるようにした。これでオスマン海軍は(あまり)怖くない。 - グラナダとは個別和平せずに、モロッコと全体和平する条件としてジブラルタル、グラナダを要求することで外交君主力を節約した。
- モロッコは屈辱のうえ、主目的のタンジールを貰った。
なおモロッコ、チュニスからは本来もっと要求できるが、わざと要求しなかった。
北アフリアの諸国にはベルベル伝統 berber tradition があり、占領すると中核化にやたら行政君主力を使わされてしまい、その結果として政策 Idea 取得が遅れることが多いため、この段階では必要最低限しか要求しないことにした。
また要求しすぎると、モロッコ、チュニスが仮想敵国から脱落してしまって戦力投射の補給源がなくなることも多いなど、いろいろメリットが少ない。実際、この戦後にチュニスは仮想敵国から脱落してしまった。
高まる叛乱機運 1463
しばらく中核化、厭戦気分解消など内政に集中。
安定度 Stability +3、不穏 Unrest -3 の顧問をもってしても叛乱機運の高まりは押さえられず。同時に3カ所で同時多発テロ。
むしろ同時の方が、陸軍維持費を上げる期間が短くてすむのでうれしいけど。
陸軍を士気最大に上げて待機させておく。
- グラナダ分離主義者 Granadan Separatists
グラナダ、ジブラルタルのどちらで発生するか予想はつかなかったが、ジブラルタルの開発力であれば叛乱軍の数は少ないはずで、後から駆けつけても鎮圧できるので、グラナダで張り込んでいたところ、そこに沸いた。士気最大で数もこちらが多く簡単に撃滅。 - チュニス分離主義者 Tunisian Separatists
開発力が低いため少数だったが、遠方の島に湧いたので1か月以内の鎮圧は不可能。そのままチュニスに侵攻してくれればむしろラッキーと考えて後回し。行ってくれなかったけど。 - モロッコ分離主義者 Moroccan Separatists
候補のセウタ、タンジールのうちタンジールにそれなりの数が湧いたが、この2州には要塞があるのですぐに陥落する心配はもともとない。退治。
アラゴンに開戦 1467
10年以上経ち、ほとぼりが冷めたのでアラゴンに開戦。フランス軍の生贄にするためにサヴォイとも同盟してから宣戦布告。
ポルトガルは、脱落したチュニスのかわりにジェノバを仮想敵国にしており、アラゴンとジェノバどちらに開戦しようか迷ったが、カスティリャが余計な単独行動をしない分、アラゴンのほうがマシと考えた。
フランスとも戦うことになるので総力戦モード。カスティリャの他に、けっこう海軍を持っており時々ミラクル発動する同盟国トレムセンも誘う。イングランドは...借金漬けで参戦できないようだ。
初期の将軍 Earl of Avantes と探検家 Gomes 両方がもう死亡していたので、開戦時に引き直したら、タイミングよく攻城戦+3の将軍を引いた。この将軍はこの後、1491年までなんと24年も活躍することになる。
提督の方は平凡だったが、次に探検アイデアをとれば1970以降にコロンブスが出るので気にしない。
フランス軍は想定通り、開戦するなりサヴォイのほうに行った。山岳なのでなかなか全滅はせず1年以上粘り、フランス軍を長期間拘束した。しかし首都サヴォイも他の要塞も落とされて個別和平にて離脱。よくやったぞ。
その間、首都バレンシアは今回カスティリャに占領されたものの、ほかはだいたいポルトガルが占領。アラゴン海軍は今回は本土にいたが、カスティリャ海軍に封印されていたので無力化されていた。
本土にいたアラゴン陸軍は、数の暴力ですぐに叩き出してリヨンまで退却させた。ジローナ、ルシヨンの二連要塞線は攻城戦+3の将軍のおかげで迅速に攻囲が進捗した。
そして野戦では3カ国の連合軍で、ついにナルボンヌにてフランス陸軍とのガチンコ勝負に勝った。平野で勝ったのはこれが初めてだ。アラゴン軍が間に合わなかったのが勝因だろう。
ポルトガル軍はルシヨン、タラゴナで略奪に勤しんでいたのを諦めて、ラングドックに船で上陸させて戦場へ駆けつけたので、戦場への到着は最後となった。そのため喰らった損害の大半はカスティリャ軍と思われる。まあ国力あるから許してね。
フランス軍の敗走で4ヶ月くらいの時間稼ぎができて、ジローナの要塞も陥落。
しかしパリで士気を回復したフランス、アラゴン合計6万の大軍が逆襲に転じてポルトガル陸軍に向かってきたので、劣勢のカスティリャ軍とぶつかる前に和平した。
今回欲しかったのはイベリア半島東岸の各州だったので、バルセロナ、ジローナを要求して和平した。
今回のアラゴン攻略は、だいたい前回と同じ流れだったが、フランス軍の脅威が大きくてシチリアに陸軍を行かせる余裕はなかった。そのため戦勝点は多くなく、2州しか得られなかった。
ブルゴーニュ公が戦死して遺産はカスティリャ領に 1468
アラゴン戦争中に、トリール攻略をしていたブルゴーニュ公が戦死するイベントが発生。普段はオーストリアのものになることが多いが、今回はカスティリャ領になった。
これでフランスはカスティリャに挟まれる形となり、不倶戴天の敵同士になったようだ。
モロッコでまたまた叛乱 1468
しかも違う種類の叛乱。叛乱のデパート、モロッコ。
モロッコの叛乱軍、実はこんなにいた。モロッコ軍では勝てない量。
ジョロフ占領 1470
今回は領土拡大を抑えてプレイしたので、行政君主力を温存できている。そこであえて外交系の探検 exploration ではなく、行政系の拡張アイデア expansion をとってみた。
カポ・ヴェルデに入植次第、ジョロフに領有権主張。もともと弱いのに、さらにマリに削られており、なすすべもない。攻め込んで保護国化した。
旧領にはマリが要塞を立ててくれているようだ。できた後でポルトガルがもらおう。
この戦争の最中に、まったく唐突にAfonso V世が急逝した。いつも60歳くらいまで生きるので意外に早かった。攻城戦 +3 の将軍がいるおかげで、とくに将軍には割り当てていなかったため、安定度 -1 の影響だけですんだ。しかし Duke of Coimbra の効果は消えてしまった。
次の君主の能力は同等レベル。その息子はコミュ不足のジャイアンのような奴らしい。
外交君主力を節約して今の君主の間に探検アイデアを完了させ、軍事アイデアをとれるようにしておかないと、中途半端なアイデア構成になりそうだ。
モロッコ戦争 1476
グラナダの最後の一州、アルメリア Almeria が目当てだが、戦力投射が欲しいため仮想敵国モロッコに宣戦布告した。好都合にもメリヤ占領のイベント Inspiring Victory も出ていたので、これも発動。
さらに好都合にも、単なる運で開戦前に教皇庁支配者 Curia Controller になれていたので、十字軍 Call for Crudader も発動した。
今回は借金返済が終わったイングランドを呼び、カスティリャ、トレムセンは呼ばない。攻撃側での同盟軍呼び出しは、あまり頻繁に行えないようクールダウン期間が設けられているので、切り札カスティリャは別の機会(フランス、アラゴン)にとっておく。
別段困難もなく、主にイングランドがモロッコを、ポルトガルがチュニスを攻略して戦争は2年で終わった。
- チュニスからは Bizerte と若干の賠償金を獲得。
しかし Bizerte は余計だった。叛乱発生率や過剰拡大 over extention を高めるだけで逆効果だったので、中核化すらせず後に40ダカットで売却した。 - モロッコからは主目的のメリヤと、砂糖が出る Agadir、その隣の Ifni を獲得。
次に金が出る Sus、その次には回廊につながっている Draa を狙うため。 - グラナダは滅亡した。
-
巻き込まれた Touggourt は同盟国トレムセンに喰われて滅亡した。
トレムセンがモロッコに開戦 1481
こんどはトレムセンが火事場泥棒。弱ったモロッコ軍を野戦で蹴散らし、賠償金をもらって和平していた。
Beafada、シェラレオネに入植
しばらく内政期間が続く。占領地を中核化しつつ、植民を開始した。
まず Beafada に入植することで、マリへの領有権主張をさらにつけられるようにした。
またシェラレオネに400名を入植させると移民が増えるイベント Colonize Sierra Leone が出たので、とても大変なのは承知の上で陸軍を集めて入植を開始した。
しかしこれは失敗だった。熱帯なのですごく増加が遅い。スペイン(AI)と違ってプレイヤー(人間)の場合、容赦なく蜂起するので見張りが欠かせず、陸軍が拘束されてしまっている一方で、叛乱が起きそうな気運が高まっている。
何せ攻撃性がほぼ最大の地域なので、一回でも蜂起されると200名くらいは消し飛ぶので叛乱鎮圧するにも全軍回せないのがきつい。
アイデアの効果もあって何とか使命を完了
モロッコ南西部で叛乱が勃発したり、布教中のアルメリアで地味に不穏が溜まっていて90%まで行ったり、シェラレオネで4回くらい原住民に蜂起されたりしたが、輸送船を駆使して全部で撃退して何とか使命の400名を達成。
図:モロッコ南部での反乱軍蜂起。シェラレオネに駐留軍を置かねばならず、叛乱軍10個に対して12個連隊しか投入できなかったため、歩兵の損害はけっこう多い。
図:シェラレオネの原住民蜂起。7個に対して11個で臨めば、士気最低でも戦闘では負けることはないが、戦闘に持ち込むためには常時駐留軍を置いておかないといけないのがつらい。
その間に拡張、探検アイデアもいくつか取って年間15名が年間70名に急増すると、1000名まではかなり早く進むようになった。
しかし本来ならアラゴン、ジェノバ(とフランス)に挑んでいるべき時期を植民に費やしてしまった。つけた領有権主張は次々と外れるし、戦力投射は50を割りはじめて小型船を私掠船に切り替えないと50を維持できない有り様。使命に釣られて優先度を間違え、10年位は無駄にした気がした。
教皇領支配者交替、君主崩御 1486
長かった内政期間が終わろうとした頃、教皇領支配者の資格を失って指揮官枠と外交官数が1ずつ減少。コロンブス下位互換の提督は解雇した。
しばらくして君主 Duarte I de Avis がこれまた若くして崩御。摂政は 0-0-1 という呆れた無能っぷり。皇太子ジョアン Joan は、なかなかの武闘派 4-0-6 だが12歳未成年なので、あと2年は開戦できない。戦力投射が50を割らないよう小細工を続けて、あと2年我慢する。
現在、地中海北岸・西岸には全ての州に領有権主張をつけている。
さっき気付いたが Diplomatic Move イベントで外交関係枠も1つ増えており、カスティリャ、イングランド、トレムセン、オーストリアに加えてサルディーニャとも再び同盟できる状態。このように準備は万端だが、摂政政治がね…
西アフリカ探索 1488
イベントのお陰で外交枠が1つあまっていたので、開戦前の同盟強化で使う前に、マリを探索しておくことにした。アラゴンの後はマリの金山を狙いたいので。
いっぽうでコロンブスは15年位の任期を全うして死亡した。
残念ながら新大陸は発見できなかったが、その足掛かりは発見してくれた。
ジョアン2世が王座へ、摂政政治終了 1488.10
ジョアン2世のリーダーシップと優れた戦術知識は、立ち塞がる敵を抹殺するのに役立つであろう。本人は14歳、後継者は13歳なので兄弟ですかね。
一か月後にはアラゴン国境でもみあい Border Friction。上等だ。
アラゴンに開戦 1489.6
どんな工夫をしても戦力投射50を維持できなくなったので、いよいよ開戦する。
タイミングよくタラゴナ支配で Inspiring Victory のイベントが出たのでこれを選択。
サヴォイ、カスティリャ、オーストリア、イングランドは参戦OK。
トレムセンはNGだったが、これだけ大国が揃えば開戦には十分である。
そのトレムセンも、なぜか翌月には参戦意思を示したので、後から呼び出すことにした。フランス戦なので容赦してはならない。
神の恩寵か。その7日後には教皇権支配者を単なる運で奪取した。
長期戦・人的資源の損耗に備えて50点払い聖戦を宣言する。
アラゴン本領へ侵攻開始 1489.7
首都バレンシアにまっすぐ直行し、アラゴン軍を撃破。フランスまで追い払った。
カスティリャ軍26,000は隣の州で待っていて助けてくれなかった。薄情者。
フランス国境付近が戦場の霧 Fog of War で見えなくて危ないので、連隊を合成したあまりの50名を捨て駒にしてフランス国境に向かわせる。主力はルシヨンを目指す。
サヴォイとオーストリアはギリギリだったがフランス、マントヴァ、ナポリの連合軍を振り払った。しかし敗走軍が迷惑なことにプロヴァンスのほうへ退却してくる。こっちくんな。慌てて陸軍士気を上げて、ルシヨンでの戦闘に備える。
読み通りフランス軍はルシヨンに来た。幸いにも40,000全てではなく半数くらい。
バレンシアの攻囲軍を8,000、包囲から外して応援に向かわせたが、陸軍士気が上がり切っていなかったこともありフランス軍に敗れてしまった。リスボンまで遁走。
攻城戦35%まで進んでいたので、これはかなり痛い。
しかし、そのかわりといってはなんだが、ベアルンの攻城戦は成功した。
また北のほうで戦っているトレムセンも勝つことだろう。どうでもいいが。
ショック5の提督を引く
そろそろアラゴン海軍との衝突が予想されるので、死去したコロンブスに代わる提督をくじ引きした。探索で海軍伝統が70にもなっていたので、なんとショック5の提督を引いた。この提督はこの後1519年まで30年間も活躍することとなる。君主、後継者もかなり優秀であり、将星、綺羅星の如し。
フランス領内にて大会戦 1490.11
さらにフランス領内へ踏み込んでいく。再び大会戦が発生。ポルトガル軍の武闘派君主がもっとも野戦に強いので、討ち死にリスクを背負うことになるが1個連隊で大将を引き受ける。これでも油断はできないので、さらに増援18個連隊が突っ込む。
6日後4に増援が到着し、フランス、マントヴァ連合軍は敗走した。
フランス陥落 1493.3
ほぼ3年半が経過し、ついにフランス全土を占領した。カスティリャ、イングランドが一部占領してしまったせいで83%しかないが、ポルトガルが外交君主力を使わない範囲で個別和平する。イングランドには2州が返還されたが、ポルトガルは一州も得ず。
アラゴン、ナポリ最後の州、メッシナ攻略中に思わぬ伏兵が。包囲中の軍を上回る叛乱軍がダイレクトにメッシナに湧いた。幸い、包囲は砲兵を除きオーストリア軍が行っており、しかも山岳だったので撃退できた。
アラゴンと和平 1494.3
フランス陥落の一年後、最後の拠点メッシナが陥落。
アラゴン本土の海岸の全てと、シラクサを割譲させた。カスティリャ、サヴォイ、オーストリア、トレムセンには何もあ~げないっと。
過剰拡大72%になったが、一年くらいで中核化できそうだ。タイミングよく、過剰拡大10%未満にすると外交評判+1の使命が出たので選択する。
フェザーン、トレムセンがチュニスにやられた
待っていたがポルトガルに支援を求めてこず、フェザーンはチュニスに吸収され、トレムセンは首都トレムセンをモロッコに奪われてマジャブに首都が移転した。
イベリアン・ウェディング 1497
カスティリャの当主が結構若くして早世。後継者は女性だった。一方アラゴンの君主は男性。
ヤバいなと思っていたが、すぐにイベリアン・ウェディングが発生してアラゴン、ナポリが同君連合に取り込まれてしまった。
アラゴン本土の海岸線は確保していたが、シチリア、マルタは奪えないうちに手出しできなくなったのは痛い。
同時にアラゴンが仮想敵国から外れてしまい、戦力投射が50を割った。カスティリャを指定するわけにはいかないので、とりあえずマムルークを指定したが、予定より早くモロッコを殴らなければいけなくなった。
モロッコ侵攻
トレムセンを喰って国力が増したため、陸軍が19個連隊もいて半数が騎兵。ポルトガルは陸軍上限を増やす顧問に変更して3個連帯を積み増して31個連隊を仕立てた。
タイミングよく、また農民がマラケシュで蜂起して要塞を占領してくれたため、モロッコが反撃して攻城戦を0%くらいにしたところで宣戦布告。
即座に戦力投射は54に回復し、砲兵10個連隊と攻城+2の君主がすごい勢いでフェズの攻城戦を28%まで進捗させた。
しかしマラケシュが陥落してまっしぐらにモロッコ陸軍がフェズへ向かってきたため、セウタから船で逃亡して今度はマラケシュへ転戦。先にマラケシュを陥落させた。
モロッコはセウタに入ったら最後ずっと執着して出てこなくなったので、南から順に攻め上がり全土を占領した。
セウタに執着したモロッコ19個連隊と、島の対岸に張り付いていたチュニスとは一度も戦うことなく和平。モロッコを屈辱のうえスース Sus を奪った。
戦後モロッコは仮想敵国から外れたため、オスマンを指定した。戦力投射は70を越えたので、次のフランス戦まで何とか持たせられそう。
フィレンツェ侵攻 1502
ヨーロッパは戦争花盛り。とりあえず沿岸すべてに領有権主張をつけていたが、あまり邪魔されずに参戦できそうなフィレンツェを選定した。幸い Shadow Kingdom も発動済みなので、神聖ローマ皇帝を刺激せず領土を拡大できる。
同盟国のヴェネツィア、ブルターニュも別の戦争で大忙しであり、まったく駆けつけて来ないという大チャンス。
教皇領に陸軍通行権をもらって北に進軍し、ピサ、シエナを割譲させ賠償金270をいただいた。攻撃的拡張 Aggresive Expansion が35になってしまったので、気を付けないと対抗同盟 coalition 組まれかねない。顧問をDiplomat に変更して宥めにかかる。
このあとフィレンツェは、ポルトガル戦より前から参加していた2つの戦争に敗れて和平した。その後、隣国のルッカ、積年の恨みを晴らしたい教皇領から攻め込まれて消滅した。
ブルターニュはというと、もちろんフランスに併合されて消滅した。ヴェネツイアは辛うじて生存しているが、本島以外は全て奪われたか、もしくは叛乱軍に占領されている哀れな境遇に転落している。
軍事君主点が余って余ってしかたない
君主が軍事6のため、軍事君主点がやたら貯まる。あまり使い道がないので、叛乱軍の抑圧などに贅沢に使うことにした。多分6回くらい使った。
マムルーク、モロッコに宣戦 1506-1513
サヴォイア、フランスとの停戦期間がようやく切れた。ルッカとしか同盟していないサヴォイアに攻め込み、両方ともいただくつもりで宣戦布告の画面を見たら、カスティリャが独立保障をかけていやがった...
それではフランスにでも攻め込むかと思って宣戦布告の画面を見たら、オスマン、スコットランド、フリースラントと同盟していた。この配置だと:
- イングランドはスコットランドに向かう。
- 先の戦争の余波で北方に陸軍を集結しており本土には1個連隊しか置いていないカスティーリャはフリースラントに向かう。
- その結果、ポルトガルはフランスを正面で受けさせられる。
- カスティリャの同君連合下にあるアラゴン、ナポリは、オスマンに陸海軍ともに各個撃破されて蹂躙される。
といった展開になりそうだ。
そこでトレムセンの同盟を破棄し、ポーランド・リトアニア連合と同盟してオスマンの相手でもさせようと仕組んだが、借金漬けで参戦できないとのことだった。
しかたないので別に何の恨みもないが、カスティリャ一味を誘ってマムルークに宣戦することにした。本当の狙いはモロッコだが、ちょうど戦力投射も50を割りかかっていたので、仮想敵国にしているマムルークに宣戦布告。とはいえ領地は1つも接していないので、海上封鎖だけを行って牽制し、陸軍はモロッコだけに集中して全土占領することにした。
盟友カスティリャはモロッコ軍が籠るフェズ(山岳)に突入して完封。見事すぎる。
マルルークは主力の大半で出島 Djerba に突っ込んできた。もちろん海上封鎖して出られなくしてやった。ナポリ軍は尊い犠牲となった。
ショック5の提督はまだ存命。打って出たマムルーク海軍34隻を粉砕して望みを絶った。
マムルーク陸軍26個連隊を出島に3年間幽閉し続け、その間にマムルーク本土をすべて占領した。ポルトガルは出島のことなどすっかり忘れて和平交渉を始めようとしていたが、まさにそのとき、カスティリャが情け容赦なく出島に全軍突入した。そこまでする?
かなりギリギリだったが、出島で退路を絶たれたマムルーク軍を全滅させた。
この戦争は長い戦争だったが、そもそも土地を取れない開戦理由だったので、モロッコとは交易力移転や同盟破棄などを条件として個別和平した。
カラマンもマムルーク側で参戦していたが、別途オスマンに攻め込まれて先に占領されてしまったので戦勝点を稼げなかった。
マムルークは屈辱、交易力移転、レバノン、イラクの独立などで和平した。戦力投射は80近くまで戻った。
この戦争の間に武闘派君主は終に逝去した。また戦後にモロッコは西洋化 westernization を果たした。
トレムセンと戦争
多分この頃にトレムセンと戦争して、Kabylia、Djerid を独立させた。このうち Djerid は属国化にやぶさかでない様子だったので、同盟・関係改善して属国化した。
スペイン成立 1518
しばらく内政期間が続く。その間、お隣でスペインが成立した。アラゴン領につけた領有権主張 claim は事実上無効に。
そして1523年ごろ、君主が早逝して摂政政治になってしまった。やることがないので、船で運べる限りの歩兵を引き連れて新大陸を探索させることに。
新大陸はやはり遠かった 1526
教皇庁支配者の資格を失ってリーダが定員超過しており、どのみち摂政政治で数年間戦争もないので将軍を2名退役させ、探検家 explorer とコンキスタドール Conquistador を雇って新大陸を探索した。
まあまあ、まとまった大陸の形を成しているだけマシだが、いかんせん遠い。
どうもランダム新大陸にすると、新大陸の出現が遠くになる気がするな。
これで両方ともセビリャ交易圏に繋がっていなかったら怒るぞ?
探索できる州の数を増やしたいので、あえて海岸 coast は探検家に探索させず、全軍を引き連れたコンキスタドールを大陸の隅っこに上陸させて陸上を探索させる。
上陸後の探索成績
- 1528.10 シボラ Cibola 探索に成功、威信+0.25/年の効果を得た。
- 1528.12 イベント A Glimmer of Hope で資金97.60獲得
- 1539.2 「本物の」シボラ Cibola 探索に初めて成功した。
- 1545.5 イベント The Survivor でコンキスタドール死亡。
威信 -5して新たなコンキスタドールではなく、行政君主力50と交換のほうを選んだ。まあ、すぐに雇いなおしたが。 - 1546.12 イベント Perata Glod Mine で Gold and Diamond を引き、資金 481.21を獲得。
- 1547.2 イベント Attacked by Natives でコンキスタドール死亡。よく死ぬなあ。
ギニア湾岸への植民コンプリート
また以前にカスティリャ(スペイン)にギニア湾岸をすべて植民地化されたのが腹立たしかったので、 今回はアルクィン以外のすべての海岸に植民した。
50年くらい、ずっと騎兵4個連隊、歩兵4~8個連隊を張り付けておかないといけなかったが、今回は何とかやりきったぜ。
付け焼刃教育のオマケ付きで新君主が就任 1528
皇太子 14歳、あと数か月で就任というタイミングで、素敵イベント Education for a King 発生。1-3-5 が 3-3-5になるように行政の教育を施した。なんと良い摂政だ。
1528.10に新君主 Afonso 就任、すぐさま将軍にしたら 0-6-3-1 と、初めて白兵 shock 6を引いた。皇太子 Duarte 9歳は4-4-6の鬼君主。Afonso は5年後に逝ってヨシ。
モロッコ、チュニス、アルジェと戦争 1528-1531
仮想敵国モロッコのガルブ Garb を獲得すると Inspring Victory となる使命を選択の上、モロッコ、チュニス、アルジェに宣戦布告。
アルジェは属国 Vassal にするつもりで、以前にトレムセンを虐めたときに独立させてやったのだが、属国になってくれなかった。そればかりかモロッコと同盟したので3国まとめて膺懲した。
モロッコからは、ガルブのほかにトゥアット回廊への植民を狙って Draa を獲得。
チュニスからはマジャブを独立させた。
ミラノと戦争 1531-1533
ミラノがルッカに攻め込んでおり、しかもオーストリア、サヴォイアから挟みうちにされて劣勢だったので火事場泥棒で参戦。
砲兵はチュニス包囲に残し、やることがない歩兵のみでミラノ領を抑えにかかる。
早く抑えないとサヴォイアとルッカにとられるので、けっこうタイミングは絶妙だった。
このあとスイスも占領して和平。残り3州となっていたミラノは強制的に属国化した。
実はコルシカも敵陣営だったのだが、
- 白兵6の将軍が士気最大で張り込んでおり、甚大な被害が予想された
- コルシカにレベル2要塞を建設している途中だった
- 属国化もやぶさかでない感じであり、いずれ外交併合すればよさそう
といった事情を勘案し、ガレー2隻で海上封鎖して無力化するのみに止めて、侵攻はしなかった。
トレムセンと戦争 1534-1535
やることがなくなったので、オスマンに痛めつけられているマムルークでも侵略しようかと思いジェノバから北アフリカに陸軍を輸送したが、輸送し終わったときにマムルークがオスマンと和平。運のいい奴だ。
振り上げた拳をどうしようかと思っていたら、以前にチュニスから独立させ、いずれ属国にしようとしていたマジャブをトレムセン、Kabyliaが侵略し始めたらしく、マジャブで陸戦が発生しているのを見つけた。
たまたま北アフリカに注目していたので戦闘に気付いたが、危うく見逃すところだった。すぐさま和平強要で参戦。
輸送船団を最寄りの沿海州に向かわせ、歩兵連隊からなる第一陣をマジャブに突入させたが士気が足りず敗退。オラン Oran まで潰走してしまった。しかし第二陣は、追撃してきた敵軍を待ち受けて全滅に追いやった。
偶然にも将軍の能力は完全に同じだったようだ。白兵6、もう普通なんだな...
優しいマジャブは賠償金10%しか要求せず、ほとんど白紙和平に近い条件だった。
戦後にマジャブを属国化し、10年が経過していた Djerd は外交併合に着手した。
フランスと戦争 1543-1545
フランスがイングランド領の Caux を狙って宣戦布告してきた。
盟主イングランドは、フリースラントとフェッラーラから罰金1000、スコットランドからは領土をせしめたものの、ますます手に負えないフランス軍67,000にヨーロッパ本土の領土はすべて奪還された。
戦争自体は1548年くらいまで継続していたが、ポルトガルは例によって、罰金70ほどの好条件な和平で離脱。和平を金で買い、往復2年くらいかけてギニア湾岸の叛乱2つを鎮圧した。
アルジェ、トレムセンと戦争 1547-1548
マジャブを属国化してから10年が経過したので、アルジェ、トレムセンが持っているマジャブ旧領を奪還する名目で順番に宣戦布告。
トレムセンには91%まで粘られたものの、所詮は時間の問題で余裕の勝利。
当初は、トレムセンの最後の領土である Ouargla をマジャブに与えるつもりだったが、北岸にトレムセン旧領があり奪還にちょうど良いので、属国化することにした。
領土が3つに増えたマジャブは外交併合を開始。3年かかるらしい。
しかし皇太子 Durate 早逝す 1547.12
皇太子 Duarte 9歳は4-4-6の鬼君主。Afonso は5年後に逝ってヨシ。
などと不謹慎なことを言ったせいか、Duarte のほうが先に逝ってしまった。
代わりに出てきたのは継承券の弱い Weak な17歳、2-2-3 の凡人。
Weak だと不穏 Unrest がたいへん厳しいので、現君主の長生きを祈るしかない。
やることないのでマムルーク侵攻 1550.12
こちらはテルシオ歩兵で、質でも量でも圧倒している。緒戦で主力を撃滅。
あとの占領はただの作業。
プロテスタント連合が誕生したようだ 1553.10
今のところ影響は不明だが、おそらく30年戦争っぽいものが発生するのだろう。
ここまで100年ほどプレイしたが、反省材料が多いため、いったんこの辺で中断。
良かった点
- 拡張アイデア、探検アイデアを迅速に取り、植民中に陸軍を常駐させたことでギニア湾岸をすべて確保できた。
- イタリア本土に足がかりを得るのは早かった。
- アフリカに深入りしなかったので、叛乱が少なくてすんだ。
- 真のシボラを発見できた。
悪かった点
- 新大陸遠い...(運)
- 属国を使いこなせておらず、あまり重要でない北アフリカ諸州を自ら支配・中核化しようとしたため、行政君主力が慢性的に足りなくなり、完全に中核化できていない州が30以上もたまってしまった。
- 資金をムダに5000も貯めてしまった。
- アラゴン領(ナポリ含む)を吸収しきらないまま、スペイン成立を許してしまった。
- アフリカに攻め込まないわりには、モロッコやらマリやらに領有権主張は続けており、期限切れが続発してムダだった。
- フランスをうまく牽制できず、ブルターニュ、プロヴァンスがさっさと滅んでしまい、ヨーロッパ大陸でそれ以上拡張できなかった。
- インド、アジア方面への進出が史実より相当遅くなってしまった。ポルトガル固有イベントの効果をうまく享受できていない。
- 軍事アイデアをとるタイミングが微妙に遅れ、軍事君主力を無駄に使ってしまった。
- モロッコとの戦争再開のペースが遅く、アフリカ直通回廊の開設に時間がかかりすぎた。